令和元年 冬至
私の個人的な今年の漢字『別』

冬至_一陽来復に陰極まり陽に転ずる、陽が最も短くも再び長くならんとす初日
今年の漢字『別』
東京早稲田の穴八幡神社で冬至から配られる、金が開けると云う「一陽来復」のお守りは有名である。
この時候から花開くものに「水仙」があるが、特に福井の東尋坊あたりの越前海岸に咲き乱れる様は美しい。
「雨水」の項に詳しく記したが、やはり「水仙」というと一休宗純の詩「美人陰有水仙色香/美人の陰(ほと/女性器)は水仙の香りがする」が、この時期には頭をよぎる。
もともと水仙は、地中海沿岸が原産地の欧州の花で、それが中国に渡ってから阿智全海岸などに流れついた。
越前海岸に群生する水仙は、中国から球根が海流に乗ってやってきたというから、まさに流れ着いたのである。
「水仙」の花の姿は、清麗で儚げであるが、実は、自力で海を渡ってくる生命力の溢れる逞しい花であるのであれば、女性の陰の香りに例えられるのも、尤もであるかもしれない。
「水仙」はギリシャ神話にも登場する。
己の美しさに自惚れていたナルキッソスは、ニンフのエーコーの求愛を拒絶する。
これに怒った女神ネメシスは、ナルキッソスを水面に映った己の姿のみを愛するようにしてしまう。やがてナルキッソスは、水に映る自分の姿に恋い焦がれ死ぬ。
この時、水面近くに咲いていた「水仙」はナルキッソスの象徴となった。
この物語が、自己愛=ナルシ(シ)ストの語源となっている。
一年を象徴する文字
今年も一年を象徴する漢字が12日に京都清水寺の森清範貫主によって書かれた。
本年のひと文字は『令』だそうである。
私の個人的なひと文字は『別』である。
今年は『別れ』の多い年だった。
仕事関係では、長年編集や制作の仕事をいただいていた提携先のO会長が3月に72歳で急逝された。
東山魁夷、黒澤明、写真芸術家の汪蕪生など多くの取材の機会をいただいた。
黒澤明の取材では丸2日間「黒澤プロダクション」の資料室に籠り、貴重な資料の数々を自由に見ることができた。
一緒に、イタリアやフランスの取材旅行に出たりもした。
「分とく山」の野崎洋光料理長と仕事もできた。
私の数少ない引き出しの中身は、O会長のおかげで埋めることができたものが多い。
9月には、京都の染色家で染色史研究家の吉岡幸雄先生が亡くなられた。
吉岡先生は73歳で出張先の愛知で客死・急逝された。
まだまだこれから、ご活躍いただかなければならない方だった。
11月上旬には、妹が、母親や私よりも先に逝ってしまった。こちらは、順番を守れよ、としか云えない。
11月下旬には、バンコクのジャズ・ピアニストのランディ・キャノンが逝った。
10月にはステージをこなしていたようなので、こちらも急逝のようだ。
バンコクに行けば、必ず彼の演奏を聴いた。
彼の演奏は、バンコクに行くひとつの楽しみだった。
世の中から、楽しみがひとつひとつ消えていく。
違った「別れ」もあった。
7年間を過ごした六本木とも離れた。
サイトタイトルは『麻布御簞笥町倶樂部』のままだが、実際の所在地が麻布御簞笥町から遠く離れてしまったことは、痛恨の極みである。
そう「平成」との別れもあった。
そして、3月の萩原健一/ショーケンの逝去は本当にショックだった。
私の世代にとって〝萩原健一〟というキーワードは、人であって人でない。
1967年に小学5年生でグループサウンズ〝ザ・テンプターズ〟のボーカリストとして目の前に現れて、中学三年の時には俳優として〝太陽にほえろ〟のマカロニで登場。
高校2年の時に〝傷だらけの天使〟の小暮修である。
私と云う男子が、最も多感な小学・中学・高校生の時期に、その都度衝撃を与えてきたのが〝ショーケン〟である。
私と云う人間が形成される時期に出会い、強烈な衝撃を与えられたものは、私と云う個性のピースのひとつとなっている。
少年期に強烈な影響を受けたなものは、生半に抜けるものではない—それは〝ショーケン主義〟とでもいう感覚、スタイルとでも表現したら良いであろうか。
生身のご本人とは2度ほど同じパーティ会場にいて遭遇したことがある。共通の知人から、紹介しようかと云われたが、お断りした。
私にとって萩原健一は、人であって人ではないのだから。
今年ほど様々な縁のある人と『別れた』年はない。
こうして人は『別れ』を繰り返して、老いさらばえていくのであろうか。
こんな時は、自然と自分がオサラバする時のことを考えてしまう。
自分がこの世から去る時を思い浮かべると、必ずこの曲が頭の中をよぎる。
この素晴らしき世界/ルイアームストロング
What a Wonderful World / Louis Armstrong
木々は青々と繁り
バラの花は赤く色づいている
ぼくらのために咲く花たちを見て
しみじみ思う、この世界はなんて素晴らしいんだろう
青い空と真っ白な雲
昼の輝きと夜の闇
しみじみ思う、この世界はなんて素晴らしいんだろう
空に七色の虹がかかる行き交う人たちの表情が美しい
友だちたちが「ご機嫌よう」と握手を交わし
心から云う「大好きだよ」
赤ん坊が泣いてる
この子たちを見守ろう
彼らはこれから、私よりたくさんのことを学ぶだろう
しみじみ思う、この世界はなんて素晴らしいんだろう
そう、本当になんて素晴らしいんだろう、この世界は
なぜか私の場合、大晦日ではなく冬至の日に、その一年の出来事が浮かぶ、一年で夜が最も長いせいであろうか。
過去にとらわれるのではなく、未来のために振り返る日として、この日はふさわしい。
「一陽来復」には、悪いことが長く続いた後に、良いことが訪れると云う意味がある。
令和2年は、『出会い』の年となると良い。