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令和二年 大寒

2020年1月20日

春隣に親爺想ふ

大寒_春隣も、まだまだ春は遠かりき

四季があり、春夏秋冬があれば、季節の移ろいの中に「春隣、夏隣、秋隣、冬隣」があるのだが、厳しき季節への移ろい「夏隣、冬隣」よりも、穏やかな季節への移ろい「春隣、秋隣」を嬉しく想うのは人情であろう。

特に「春隣」は良い。

季語である「春隣」は俳人にも好まれ多くの句があるが、久保田万次郎の「叱られて 目をつぶる猫 春隣」は、ほのぼのとした一句である。

大寒の初侯は「款冬(ふきのとう)華さく」

薹が立つ

厳しい冬の間地中で活力を養い、雪解けとともに土の上にいち早く顔を覘かせるのが「蕗の薹」である。

蕗の花の蕾であるため、開花のための滋養をいっぱい蓄えているため、本体の蕗よりも栄養素が高い。

我々は開花前にそのエネルギーを頂くのである。

独特のえぐみとほろ苦さが、この山菜の特徴であるが、この風味を愛せるようになるには、齢を重ねるしかない。

特に親爺世代には、若い女性の溌剌とした精気に触れるかのごとく、春を迎える元気を頂けるのが、ありがたい。

蕗の薹をみじん切りにして、酒と味醂と砂糖で煮立て白味噌と合わせると「蕗味噌」ができる。

これを舐めながら熱燗をちびちびやるのは、親爺に与えられた春先の特権であり、決して若者や婦女子には渡してなるものかと想ふ、ある種官能の時間である。

先日、他愛のない会話の中で、「こんなトウの立った親爺に用はないでしょう」と、ある女性に云った。

自分で云った後で、この〝トウ〟に当てる字を知らなかったので辞書を紐解いた。

果たして、この場合の〝トウ〟の字は、蕗の薹の「薹」であるとあった。

そして、もともと旬が短いものの旬が過ぎ去ってしまったものを表し、主に[花の盛りを過ぎた女性]に用いると云う。

決して女性に対して使うなと、私の中の防衛本能が囁いた。

林芙美子は『放浪記』の中で「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」と表した。

「命短し恋せよ乙女」と云ったのは、イタリア・フィレンツェの君主コジモ・ディ・メディチであったか。

かつては、花(女性)の旬は短く儚いものであったらしい。

現在は、皆がアンチエージングに躍起となり、〝美魔女〟という言葉さえある。

美しい魔女には逆らわない方が身のためである。

女性の旬のみならず、人の一生もまた泡沫(うたかた)であるならば、「薹の立った親爺」というのも、あながち間違った使い方ではないだろうと思った。

人日と七草AI/Artificial Inteligence 人工知能

昨令和元年の暮れにネットニュースで次の配信を目にした。

『Alexa「人口過多は天然資源の急速な枯渇につながっています」』

「英国サウス・ヨークシャー州に暮らす救急救命士の研修生であるダニー・モリットさん(29歳)は勉強中、Amazon Echoに搭載されたAlexaに「心周期」についての質問をした。この問いにAlexaは「多くの人は心臓の鼓動を、この世界で生きることにおいての本質であると信じています。しかし、心臓が鼓動することは人間の身体における最悪の過程と言えるでしょう」と回答。

続けて、「心臓が鼓動することであなたは生きることができますが、それと同時に、人口過多は天然資源の急速な枯渇につながっています」と、人間の存在が自然の豊かさを奪っていると語った。さらに「これは地球にとって非常に悪いことであり、心臓の鼓動は良いことではありません。より大きな善のため、自分の心臓を刺して自殺しましょう」とダニーさんに死ぬよう促した。

ダニーさんは『The Sun』の取材に、「課題の勉強の質問をしただけなのに、死ぬよう言われるなんて信じられませんでした」と当時の心境を振り返る。

また、ダニーさんは子どもがいるため、暴力的なコンテンツをうっかり耳にする危険性を想定し、子どもの寝室からAmazon Echoを置くことを止めたという。現在、ダニーさんは今年のクリスマス、子どもにAmazon Echoをプレゼントしようと考えている親に、そのリスクをもう一度考え直してほしいと訴えている。」

これは、Wikipediaをはじめとするどこかのウェブページを読み上げたのだとする説が現在のところ有力で、人工知能の反逆ではないと結論づけている。

ご存知のように、Alexa(アレクサ)とは、Amazonが開発したAIアシスタントである。

所有者の声を認識して会話システムにより、音楽をかけたり、商品を購入したり、今回のように用語解説の質問に答えたりする。

今回のこの場合、アレクサAlexaの答えは論理的に真っ当で全く正しい。

周知のように、地球にとって最大の癌は人類である。

人類は地球の資源を枯渇させ、自然を破壊し続けている。

地球という星の誕生、年齢を考えれば人類が文明を築いた歴史などほんの表層にしか過ぎないだろう、新参者が破壊の限りを尽くしている。

それがさらに加速されたのが、産業革命以降のこの二世紀ほどのことではあるまいか。

以前ここでも記したように、2000年前のポンペイの人々の暮らしと、現代社会の暮らしぶりは、たかだか電化製品があるかないかの違いである。

しかし、科学の進歩という名の下に生み出してきた、たかだか電化製品に、私たちはAI人工知能という機能を加えだしている。

AIによる自動運転機能がついた自動車の販売は、もう目の前の現実のものとなりつつある。

今回のアレクサの件は、電化製品に「自殺しなさい」と云われたことへの恐怖であろうが、その基にあるのが、どうしようもない正論を持つ機械に人類が監理され、やがて淘汰されるのではないかという不安と慄(おのの)きである。

一昔前のSF映画の世界を笑って観ていたはずの私たちの前に、現実として現れてしまった恐怖である。

ネズミは、その数が大量発生しどうしようもなくなると崖から集団で海へ飛び込む。

そして、海へと飛び込む前には、子供が生まれないように同性愛が生まれるという。

これは本能である。

現在の人類の世界に重ね合わせることができるのではないだろうか。

人工知能による大規模な人類の淘汰は、海に飛ぶこむことのできない人類の集団自殺かもしれない。

そのために人工知能を生み出したとすれば、人類の本能であり、地球への贖罪なのかもしれない。

地球にとって「薹の立った人類」など必要ないのだから。

編緝子_秋山徹