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令和二年 寒露

2020年10月8日

ヰタ・セクスアリス

MACの機嫌と大谷崎

 寒露

寒露—台風の影響でぐんと寒くなった。十一月下旬の寒さだという。
十月一日から着物は袷になり、日によっては汗ばんでいたが、ちょうど良い頃合いとなった。

こうなると酒も人肌の〝温め酒〟から〝熱燗〟が恋しくなる。
思えば、春に常温の〝冷酒/ひやざけ〟、夏にはキンキンに冷やした〝冷やし酒〟とその温度を変えて楽しめる日本酒以外の酒が他の国にあるのだろうか。
もちろん日本酒にも大吟醸のように、冷やして飲んだ方が旨いものもあるが、熱燗で呑んでも悪いことはない。

米が主食である日本の料理には米から作られた日本酒とのマリアージュが素晴らしいのは自明の理である。

寒さが募るこれからの季節、熱燗を愛でるのみである。

 MACの機嫌と谷崎潤一郎

ここ一ヶ月以上、我が家のiMACの機嫌が悪い。
作業中に突然落ちてしまう。それも1日に何度も——
一度落ちると、電源ゲーブルを本体から引き抜いて、一時間以上経ってから再度ケーブルを差し込んで起動させる。
ケーブルを一旦抜かない限りウンともスンともいわね。
また一時間以上置いてから立ち上げないとすぐに落ちてしまう。
厄介である——
せっかく作業が乗ってきたところで落ちることが多い。
そして、一時間以上の空白の時間を強いられるのである。
セキュリティソフトで長い時間をかけてクリーニングし、全てのアプリケーションとOSを初期化して入れ直したが、それでもダメだ。
さらに起動メモリーも増量したが、それでも落ちる。

いまだに原因は全く不明である。

最初の頃は、この不条理に大いに落ち込み、かつ怒り狂った。しかし、最近は考えを変えた。

強制的に与えられた無聊の時間——もっともパソコンが使えなくなると作業が全くできなくなるという事態自体が異常であることに気付きもし、以前「機心—汝、機械に使われるな」と己がコラムに書きながら、己自身がそれに陥っているという状態に唖然とするとともに、これはパソコンの世界だけで物を考えず 本を読め、というお告げだと考えた。

そこで、MACが落ちると本を読むという習慣をつけた。
開げる本は高校・大学時代などに読んだままの文芸作品を主に、読み返している。
作家としては谷崎潤一郎が中心となった。
この一ヶ月で読み返した谷崎作品に『痴人の愛』『卍/まんじ』『少将滋幹の母』、短編集『刺青・秘密』がある。

谷崎潤一郎は二十四歳の時に発表した『刺青』が永井荷風に絶賛され一躍文壇の寵児となった。

何せ『刺青』の書き出しが「其れはまだ人々が「愚」という貴い徳を持って居て、世の中が今のように激しく軋み合わない時分であった」である。
荷風ならずとも、このたった一行だけでこの作家の志向する嗜好にワクワクせざるを得ないであろう。

その後、谷崎は荷風の期待に違わぬ作品群を世に出し、文化勲章を受けて〝大谷崎〟となった。

しかし、谷崎を読まれた方にはお分かりのように、『刺青・秘密の短編集』『痴人の愛』『卍』などの作品には、フェティシズム、マゾヒズムといった谷崎自身の倒錯した性、背徳的な性慾嗜好の匂いが強く、不徳の香りがプンプン匂って居てとても婦女子に見せられない。
特に娘が幼いうちには読ませたくないと思って居たら、娘が通っていた中高一貫の女子校の中学の国語の副読本に『刺青』が乗っていて、椅子から転げ落ちそうになったことがある。

『痴人の愛』は、十五歳の少女ナオミを引き取り、自分好みの女に育てようとした男・河合譲治が、己の予想以上の妖婦に育ってしまったナオミに振り回されるのを河合の視線から描く。
『卍』では、柿内という一組の夫婦と光子、光子の性的不具者の男といった四人の関係を、同性愛を中心に垣内夫人の独白というかたちで描いている。

『痴人の愛』では河合とナオミの主従関係が逆転し、『卍』では光子を中心とした四人の主従関係が幾度か入れ替わる。
谷崎はこの主従関係の逆転や変化を嬉々として描き、書くことによって己の背徳的な快楽を満たしているようにみえる。
ナオミに右往左往する河合や、光子に翻弄される垣内夫人は谷崎自身であり、サディズムの嗜好から河合に苦痛を与えているのではなく、この苦痛を我にも与えられたいというマゾヒズムの欲求から描かれているようである。

この不埒な物語には遠く及ばないが、私自身の体験を想い起こしたので次に記したい。

 ヰタ・セクスアリス

大学三年生の時、私はある女性と同棲をしていた。
その女性が、私が彼女の前に付き合っていた女と会いたがった。
前の女というのは、大学の同級生であり、日活ロマンポルノの作品に主演する当時そこそこに名前の売れている女優でもあった。
また女優という経歴を活かして銀座の高級クラブでホステスのアルバイトもしていた。

彼女は、性に対して自由奔放かつ気分屋で他人を振り回すタイプだった。当時大学生の私には、谷崎のように彼女の勝手気ままな振る舞いを愛する余裕などはなく半年程で別れたのであるが、同級生ということもあり、別れた後は仲の良い友人であった。
恋人から友人となってもなお度々振り回された。
女は、『痴人の愛』のナオミや『卍』の光子のような、まさに妖婦に近い性質を持っていた。

何かの拍子でこの女についての話をしたところ、同棲中の彼女が強い興味を持ったのである。
そして私は前の彼女の話をしたことを、このあと本当に後悔することになる——

やがて、あまりにも彼女が会いたがるので、私が仲介して前の女が勤めるクラブが終わった後の銀座で二人が待ち合わせて会うことになった。
同棲中の彼女も、そのころ銀座でホステスのアルバイトをしていたため都合が良かったのである。

私がいては、女同士の話も盛り上がらないだろうと、二人の邂逅に私は同席しなかったが、これがいけなかった。

その夜、前の女と呑みに行った彼女は家に帰ってこなかった。
彼女が家に戻ったのは、さらに二日が経った三日後の夜だった。

今のように携帯がある時代ではない、女の家に電話しても留守電でつながらず、私は嫌な予感がしてまんじりも出来ぬ夜を過ごした。

三日後戻った彼女に告げられたのは、前の女と「デキ」てしまったということだった。
三日間ほとんどベッドの中にいたという。

同棲中の彼女が前の女と「デキ」でしまった。
当然両者ともに私と肉体関係がある、その二人が——
頭が混乱した私は怒りがこみ上げるでも無くただただ唖然となった。
「えっ!」と言うなり、そのあと彼女にどんな言葉を投げかけたかも全く覚えていないくらい呆然とし、告白されてからの記憶が全くない。

どちらとの関係も「続けたい」、どちらとも「別れたくない」という彼女の強い願いに押し切られて、私は同棲を続け前の女とも以前と同じように接した。

三人で会うことも度々あった。
肉体の関係は、彼女と私、前の女と彼女、にはあったが、私と前の女には無かった。

しばらく奇妙な三角関係が続いたが、やはり私はこの状況に堪え兼ねて同棲を解除して二人から距離を置くことにした。
どうしてもわだかまりが取れなかったのである。
いや、わだかまりも生まれぬこの奇妙な状態を、私の頭と体が理解できなかった。
若い私の感性では、この関係を享受できなかったのである。

齢を重ねた今となれば、この背徳的で淫靡な交わりはすこぶる魅惑的である。

しかし、その当時の私の心境はまさに「マジッ!卍」であったのである。

編緝子_秋山徹