1. HOME
  2. 24節気に想ふ
  3. 令和二年 穀雨

令和二年 穀雨

2020年4月19日

仏陀のくしゃみ

穀雨_穀物に滋養を与えるたくさんの雨がふる

穀雨—世の中はどうであれ、この時候の春の雨は穀物の恵みとなり、田畑を潤す。

最近特に、人の基本は農耕であり、漁であり、猟であるとつくづく感じる。

どんなに、科学が進歩し便利な世の中になろうとも、この基本原則に人間は勝てない。

サプリを呑もうが、栄養剤を打とうが、飯を食わなければ人間は元気に生きていけない。

明日、農家の方々がみな倒れてしまったら、我々は路頭に迷ってしまうのである。

そんな中でも雨は降り、穀物に栄養を与えてくれる。

江戸時代初期の歌人・北村季吟は、春雨を「うそさびしく音もせずふりくる」とあらわしたが、令和二年の春雨は、また一層寂しげである。

 

休息万病 — くしゃみ

「くしゃみ」の語源は仏教であるという。

ある日、仏陀が「くしゃみ」をしたところ、弟子たちが口々に「クサンメ」と唱えて仏陀の健康を願ったという逸話が仏典に載っている。

「クサンメ」とは、古代インドの言葉で「長寿」を意味すると云う。

インドでは「くしゃみ」をすると命が縮まると信じられていて、風習としてだれかが「くしゃみ」をすると、廻りの者が「クサンメ」と唱えたのだと伝わる。

この「クサンメ」が〈休息万命/くそくまんめい〉〈休息万病/くそくまんびょう〉と音写されて、「クサンメ」—「クサメ」—「くしゃみ」へと変化した。

いま巷では、「くしゃみ」ひとつで人非人のような扱いを受ける。

喜んで受け入れろとは云わないが、「くしゃみ」をした相手に「クサンメ/休息万病」と唱える心の有り様が必要ではないだろうか。

何となれば、われわれは源を同じくする日本人なのだから。

 

平和のつけ

中世14世半ば欧州に猛威を振るった『ペスト/黒死病』は、その死亡率が60%に上るほど高く、当時の欧州の人口を1/3にまで減らしたと伝えられる。

このペストの原因が『平和』であったといえば意外であろうか。

13世紀のモンゴル帝国によるユーラシア大陸の制覇で、欧州をはじめとする大陸に「タタールの平和」が訪れた。

平和が訪れるとともに人々の交流は活発となり、欧州と東洋との「レバント(東方)交易」も盛んとなった。

この最中、モンゴル帝国の軍隊が、中国の雲南省に入った際、ペスト菌に感染した齧歯類(主にクマネズミ)と、その齧歯類に寄生しているノミを欧州に運んでしまったというのが、現在信じられている説である。

その後、広範囲に海洋交易を行なっていたヴェネツィアとジェノバのガレー船から、順に交易先の各国に伝染し、やがて欧州全体にペストはその猛威を振るったのである。

平和になり交易が盛んとなって、人々の往来が激しくなった結果、ペストはヨーロッパに蔓延した。

 

 

「平和のつけ」と云うには余りにも死者が多すぎた。

この時期に生まれた文学作品に、ジョバンニ・ボッカッチョの『デカメロン』(1348—53制作)がある。

フィレンツェ市街に住む男3名女7名の10名の貴族が、ペストが蔓延するフィレンツェ市内から郊外の農村に逃れて10日間それぞれ各人が10の話をした物語100話を書き記したという設定の短編小説集である。

ペストが生み出した文芸作品と呼んで良い。

 

 

ペストが猛威を振るった後の欧州では、労働力が大幅に減少し、農民をはじめとする労働者の賃金は上がり、その生活は安定した。

それまで〝農奴〟として使われていた者も解放されて、その地位は向上し自前の農作地を持つ農民が次々と誕生した。

新しい社会の仕組みは、人々を経済的に潤して精神性の成長へと至った。

この底辺の人々の精神的な成長が、次に来る「ルネサンス時代」の礎となったとする学者は多い。

振り子の作用ではないが、大きく〈陰〉に振れたあと、同じ振り幅で反対の〈陽〉に振れると歴史が物語っている。

また、〈陽〉に振れるようにするのも人間の智慧が問われるのである。

まさに『人生万事塞翁馬/じんせいばんじさいおうがうま』である。

古来こうやって、日本人は度重なる災害に耐えてきた。

肝の座らぬ〝お上〟に対して、面従腹背でしたたかに生き〝お上〟を支えてきた我々である。

 

壺中日月長/こちゅうじつげつながし

正確には禅語ではないが、茶席の床の間に『壺中日月長』という軸が掛けられていることがある。

『後漢書』にある逸話で、費長房という人が壺公という薬売りの老人が持つ壺の中に入ったところ、非常に居心地が良いため、ついつい10日間ほどいたが、壺から出てみると、実際には10年もの月日が流れていたという話である。

どことなく日本の『浦島太郎』に似ているが、最後に玉手箱の煙で白髪の老人になってしまうというオチはない。

『壺中日月長』の云わんとするところは、壺中のような狭い場所でも、心根次第で人は居心地よく感じ暮らすことができるということだ。

日々の暮らしの中で楽しみを見つけ、心豊かに暮らすことこそ、人としての幸せであるということである。

いわゆる『我唯足知/われただたるをしる』ということであろう。

いま我々は狭いところに閉じこもり、自粛せよと云われている。

平和がペストという疫病を生んだように、ペストという疫病もまた新たなる価値観を与え、社会構造を変化させた。

今後の日本いや世界が、過去の歴史が繰り返してきたように我々自身が成長することを信じて、いまは「壺中」で活力を蓄えようではないか。

 

編緝子_秋山徹