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令和二年 小満

2020年5月20日

キスと恋文

「映画」の人たち

小満

小満_草木が徐々に萌え、新緑の季節となる。

私が出会った鮮やかなものに、以前も記した〝山の辺の道〟の脇にあった柿畑がある。
その緑は、カメラマンも私も息をのむほどに美しいものだった。

秋には真紅の色合いで山を染める楓の緑〝若楓〟も清々しいものである。

花が散ってすぐの〝葉桜〟は寂しい想いになるが、この時期の緑萌える〝葉桜〟が風にそよぐ風情は、満開の花で華やかな様とはまた違って、なかなかによろしい。

皐月には、端午の菖蒲、母の日のカーネーション、七十二候にもある紅花と、花のイメージが強い日がある。

私自身、母の日にカーネーションを贈る習慣はないが、母の日と聞くと映画『眠狂四郎無頼剣/1966年11月9日公開』で市川雷蔵が「俺はなあ、産みの母親は顔さえ知らんが、女の腹から生まれてきたのに相違ないのだ。お袋様と同じ〝おなご〟に理不尽を働く輩は許さんぞ」と云う科白のあと、女性(藤村志保)を拉致しようとした輩をバッタバッタと斬り捨てる場面が、なぜか思い起こされる。

紅花は、もう少し時期が経つと花摘みが始まる。
昨年お亡くなりになった吉岡幸雄先生の工房が、伊賀の契約農家に総出で紅花摘みをされているところにお邪魔した記憶が蘇る。

キスの日

5月23日は〝キスの日〟だと云う。

来歴は、日本映画で初めてキスシーンがある映画『はたちの青春/監督:佐々木康・制作:松竹』が公開された日に因むらしい。

この映画の中で、大坂志郎と幾野道子が行ったキスが日本映画史上初のキスシーンと云われている。

しかし実際は、その4ヶ月前に同じく松竹から公開されていた『追いつ追われつ/監督:川島雄三』の方が最初のようである。

こちらは、森川信と幾野道子がキスシーンを演じているが、どちらにせよ日本映画史上初のキスシーンを演じた女優は幾野道子と云うことに変わりがないようである。

やはり、ここでも女性にはかなわない。

森川信は、『サザエさん』の波平、『男はつらいよ』のおいちゃん、で有名な俳優である。

森川が最初に映画『サザエさん』の波平を演じたのが。1956年44歳の時である。

それから1961年まで8本を演じ、1965年から67年まではテレビ版『サザエさん』でも波平を演じた。
一番最後に波平を演じた時点で、まだ55歳。

『男はつらいよ』で寅さんの渥美清に放つ「バカだねぇー」というセリフが有名なおいちゃん役は、1969年の57歳から1971年の59歳まで、これも8本演じている。

いずれも私よりずっと若い頃から、波平やおいちゃんを演じているのである。

もともと老け役が多かったと云うことなのか、昔の日本人が老成していたと云うことなのか。

若い頃の森川信は非常に女性にモテて「こちらが女に金を使うより、女が金を使わせてくれという」と豪語していたそうである。

こう云う人物が齢を重ねて、波平やおいちゃんを演ることで、作品はぐっと奥行きを持つのであろう。

恋文の日

また5月23日は、5(こい)2(ふ)3(み)の語呂から「恋文の日」「ラブレターの日」であるという。

「恋文の日」が「キスの日」と云うのも、ロマンチックというか艶っぽいが、出来すぎのような気もする。

「恋文の日」が近いと云うことで、その名の通りの『恋文/松竹制作』と云う映画を見直した。

監督が神代辰巳、出演はショーケン(萩原健一)、倍賞美津子、高橋恵子である。
連城三紀彦が、ショーケンをモデルとして書いたと云う原作は「第91回直木賞」を受賞している。

原作:連城三紀彦、監督:神代辰巳、主演:ショーケンという組み合わせは『もどり川』『恋文』「離婚しない女』と3本あるが、私はこの『恋文』が一番好きである。

神代監督とショーケンは『青春の蹉跌』『アフリカの光』『もどり川』『恋文』『離婚しない女』の5本の映画をやっているが、他の作品は神代監督の力が入りすぎていて、見ていて少ししんどい。

『恋文』は、力が抜けて神代監督独特の情緒的な場面が少なく(嫌いではないのだが—)、また、原作者の連城三紀彦がショーケンをモデルにして書いたと云うだけあって、ショーケンがすんなりフィットしている。

ショーケンも『もどり川』の時にはクスリにどっぷり浸かっていて、その狂気みたいなものがスクリーン全体から放出され、観る者を圧倒していたのが、その後逮捕され一段落しての映画であったこともあって、〝おこり〟のようなものがこの『恋文』では落ちている。

ショーケン自身も「黒澤(明監督)さんの映画に出て、心が焼け火箸で焼かれたように爛(ただ)れて、それから『もどり川』でかさぶたができて、警察に捕まってかさぶたが取れ、つるっとなったという気がしますね。そういう過程はある/『日本映画[監督・俳優]論』ワニブックス刊」と云っている。

しかし、『恋文』に狂気がないのかというと違う、派手に感情を爆発させる演技ではないが故に、ショーケンの持つアナーキーで無頼、どうしようもない社会不適合者のデカダンスが現れていると思う。

観たことがある方はご存知のように、この映画は倍賞美津子の映画である。

白血病という不治の病で余命いくばくもない昔の女(高橋恵子)のもとに、職も妻子も捨てて走り。
挙げ句の果てに、女と結婚式を挙げたいから別れてくれという不条理な男を、見つめる女。

これは倍賞美津子にしか演じられない役であったと思う。

しかし、どうしようもない男のショーケンが放つ不条理なデカダンスがあって、賠償美津子の演る女の凄みが一層増した。

物語の中、ショーケンの結婚式に息子と出席する倍賞美津子がショーケンに離婚届を差し出す。

そしてショーケンが呟く「これラブレターだ。俺こんなすごいラブレターもらったの初めてだ」

この離婚届のラブレターが、映画の題名『恋文』となっている。

この映画を見て、倍賞美津子の姉の倍賞千恵子が、次の『離婚しない女』に出たいと云いだし、山田洋次や松竹の反対を押し切って出演した。

『離婚しない女』では、どちらにも家庭も子供もある賠償姉妹がショーケンを取り合うという。

これまた不条理な映画である。

アントニオ猪木と結婚していた倍賞美津子は、映画の後に本当にショーケンと男女の仲となる。

「恋文」について我が身を振り返ると、頂いたことはあるが、渡したことはない。

私たちの頃「恋文」の役割を果たしたのはもっぱら電話であったような気がする。

まだ、電話が一家に一台の時代、我々は親が特に父親が出ぬよう願いながら、女性の家に電話をかけた。

運悪く父親が出ると反射的に電話を切ったものだ。

うまいタイミングで彼女が出ると、あれこれと語り合った。

電話というものが何か特別な手段であった時代だ。
それは案外最近まで続いていたような気がするのは、私だけであろうか。

「恋文」に、恋しいならぬ「変しい、変しい私の彼女—」と間違えてしまうエピソードがあるのは、石坂洋次郎の『青い山脈』だが、一人が一台携帯電話を持ち、メールのやり取りをする時代の現代版「恋文」はどうなっているのか、誰か教えてくれぬか。

 

 

編緝子_秋山徹