令和三年 小暑
酔っ払いの戯言
お上の仰るには
時候に遊ぶ
小暑・七夕—梅雨が明けて本格的に夏を迎える時候であるが、まだまだ梅雨は明けそうにない。
暑中見舞いは、この小暑(令和三年七月七日)から立秋(八月七日)の間に出すものだが、梅雨明けを待ってから出すのが常のようである。小暑前に出すのを梅雨見舞い、立秋後に出すのを残暑見舞いと呼ぶ。
出す時期によって手紙の名を変えるのを煩わしいと感ずるか、そこに面白みを感じるかは、その人の生まれ育った環境や、その時々の年齢で異なってくるだろう。
私の場合は、齢を重ねるによって、この暑中見舞いなどの時候に関する決まり事や二十四節気・七十二候などの由来や供奉・室礼に興味を持つようになった。
これは年齢によるものと、きものと礼法に関わる雑誌・会員誌の編集に携わっていたことが大きい。
が、しかし、こういったことに全く興味がないという人を、せっかく日本に生まれたのに勿体ないとは思うが非難する気はない。
世の中は個々人の違いを知ることが楽しいのであって、須らく日本人が風雅に通じているというのもなんだか気持ちが悪く、かえって面白みに欠けるのではなかろうか。
かくいう私も、二十四節気や人日・上巳・端午・乞巧奠(七夕)・重陽の五節供・雑節などに、きものを着て「野の花を挿し。生菓子で一杯呑る」くらいで風雅とはほど遠いお遊び程度のことであるので、人を非難できる訳も無い。
古来から日本では、時候などの季節の折々に花鳥風月を愛で、そこには必ず笹(酒)があった。移ろう季節の夜の刹那を、酒にほろ酔いとなりながら歌を詠み、さらに杯を重ねた。傍(かたわら)に見目麗しい女人を侍らせて—
万葉集や古今集、新古今集も酒無くして成り立たないのではなかろうか、これは私の暴論だろうか。
現代において酔うということは、人類が長い間親しんできた古き良き素敵な「愚か」なことの名残だともいえる。
飲酒を悪習と呼ばれても一向に構わない。
人はただただ品行方正であれば良いというものはない。
世迷言
谷崎潤一郎が『刺青』の冒頭で「それはまだ人々が「愚(おろか)」という貴い徳を持って居て、世の中が今のように激しく軋み合わない時分であった」と記すように、少なくとも私にとって、「愚」に当たるであろう酒に酔うということは人生において必要不可欠なスパイスである。
その「愚か」が今、お上(政府)によって奪われようとしている。
知己・知音の人と語り合い、喰らい、呑み、酔うことは人生における大いなる喜び、そして生き甲斐である。
イタリアンやフレンチの料理をワイン抜きで、寿司や蕎麦を日本酒抜きで喰うことは私にとって拷問に等しい。こちとら余命少ない高齢者で、従順素直で小利口な〝お子ちゃま〟ではないのだ。
お上は、外食で早い晩飯を喰うのは構わぬが酒を呑んではならぬと宣う。冗談ではない。それならば一層のこと飲食店自体の営業を禁止すれば良い。これは酒飲みだけの意見ではなかろう。
コロナ感染を抑え込むためにロックダウンでも何でも一定期間を集中して自粛強化を求めるという、お上の確固たる姿勢と事業者に対する保証の確約を示せば国民も素直に従えるというものだ。
予定通りオリンピックを開催するというのであれば、本来、このロックダウンもしくはそれに近い自粛政策を少なくとも一度はお上は取るべきであったし、国民はそれを覚悟して居た。またオリンピック参加を呼びかける海外に対しても、これを行なうことは開催国としての最低限の礼儀であったはずである。
それがどうだ、のんべんだらりと風呂で放屁したような中途半端な緊急事態宣言を連発して、せっかくの国民の覚悟を挫けさせてしまった。責任回避の先送り政策で日本式役人天国の面目躍如というところか。
私の知る限り、飲酒をすればコロナに感染しやすくなりリスクが高まるという医学的根拠は無いはずである。お上の理屈は、酒を呑むと注意が散漫となり、マスクを外して会話したり大声で話すようになって間接的に感染のリスクが高まるという、集団ヒステリー状態の智慧の浅い役人と御用医学者の考えそうな理屈のみである。
実際、飲食店で複数の感染者が出るクラスターの発生は全体のわずか4%程度であるという調査結果もある。
飲食店における飲酒を禁ずる。これではまるで小中学校の校則である。狭小な度量の教育委員会や校長とお上・役人の姿が重なる。
大人を馬鹿にするのもいい加減にせよ。人を人とも思わぬ甚だ失礼な話だ。
欧米で一定期間飲食店の営業を禁止したのは知るが、飲酒のみを禁止したのは日本くらいではなかろうか。
以前のコラムでも触れたが、昨年、お上は「GOTOトラベル」と称して安くしてやるから旅行をしろとキャンペーンを開催し、しばらく経ってコロナ陽性者が激増するに及んで慌ててストップをかけた。
「ステイ」「ホーム」と自宅での自粛を求めたと思えば、旅行へ「ゴー」、そしてまた「ストップ」「ステイ」と宣う。
国民は犬か。
背骨の見えぬお上に調教される筋合いはない。
と、つらつらと想っている時に、『街に顔があった頃 浅草・銀座・新宿』を再読した。これは街を題材とした吉行淳之介と開高健の対談集なのだが、中身は吉行曰く「テツガク的立派な猥談」のオンパレードである。
この対談の中に、開高健がまだサントリー(当時は壽屋)の宣伝部にいた時代の逸話がある。—勝沼紳一さんの昭和歌謡の今回のコラムにある小林亜星にサントリーオールドのCMソング「人間みな兄弟」を依頼した頃である—
開高健が浅草で花電車(女性が性器を使って披露する芸で、ピンポン球や茹で卵を飛ばしたり、客と綱引きをしたりした。中にはアソコでビールの栓を抜くという豪の者もいたと聞いたことがある。かつては温泉地などの宴会のお座敷芸であった)を見物した際に、毛筆を女性器に挿して字を書くというのがあった。そこで「寿」という字を数枚書かせて、その中の一枚を金を払って持ち帰ったという。
開高健がこの女性器で書かれた「寿」を何に使ったかというと、さる高名な女性書道家による筆であると役員を騙して、あろうことか壽屋(サントリー)の新年の新聞広告に使った。
朝日・読売・毎日の大新聞の一面広告にこの「寿」の字がデカデカと載ったものが、元旦の一般家庭に配られたのである。
天晴れである。
正月から寿ぐ気分いっぱいである。
ぜひ見てみたかった。
開高健曰く「サラリーマンのはかない抵抗、ダダイズムですわ」
酔狂とも言える人を喰った咄であるが、真っ当な仕事と遊びの狭間にある拍手喝采したい戯れ、酒を介して大人が成し得る立派な仕業・所業である。
こんな素敵なこと酒も呑まずに素面で考えられますか。
世の中に酔狂な大人が少なくなった。
酒も博打も女も知らず百まで生きた馬鹿—この言葉が頭の中をぐるぐる回っている。