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令和三年 雨水

2021年2月18日

あぁ陽性

【陽性】顛末記

雨水

雨水—山の雪が溶けて川の流れとなり大地を潤おす。
雪降らぬ都会に住む者にとって、雪解け水が大地に生命力を与えるというのは皮膚感覚としてなかなか判るものではないが、岩と岩の間に張った氷が徐々に溶け、その一滴一滴が透明な筋となって川に流れ込むという画を想像することは清々しくも春をイメージさせるものである。

泉鏡花の句に「恋人と 書院に語る 雪解かな」と、季語〈雪解(ゆきげ)〉を使ったものがある。

外はまだ寒さが残る雨水の雪解の季節、佳き人と書斎にて何を語らうのか。
何だか〝しっぽり〟とした感じがなかなかよろしい感じがする。

—などと不埒な妄想をしていたら喉に違和感があった。それがだんだんと酷くなり、夜には喉がヒリヒリと痛くなった。

翌朝の二日目—喉が痛く咳が出て微熱があり倦怠感を感じたが、翌日の節分用の飾りと立春用の生花、和菓子を求めに銀座に出た。
帰宅すると体がだるい。

三日目—熱が38度まで上がり、気管支炎のように咳が出る。
漢方系の風邪薬と喉の薬を飲んで一旦横になる。倦怠感がひどいが起き上がり、どうにかHPの更新を終える。喉が痛いので昨日からやたらにアイスクリームを食べる。

四日目—朝には喉の痛みがほとんど無くなり、熱も下がった。普通の風邪だなと安心する。昼食の用意を始めてオカズの〝回鍋肉〟の味見をした際に「あれっ!」と思う。味があまりしない。
昼食を食べ始めたところ「え—!」と声を上げた。味覚が全くなくなっている。米も味噌汁も漬物も、味の濃いはずの回鍋肉の味が全くしないし、香りもない。あるのは食感だけだ。確かに、米を喰い、味噌汁のほうれん草や豆腐、薄揚げなどを食べている感覚はある。回鍋肉の豚肉も噛んだ。キャベツも咀嚼した。しかし、甜麺醤(てんめんじゃん)の味が全くしない。全ての物の味と香りが失われてしまった。旨いとか不味いではなく、ただこれまで経験してきた食感が確認できただけで、噛み砕いた食物をただ胃に流し込んだ。
私は途方にくれた—味が無いということが、こんなにも虚しく悲しいものなのか。
まだ不味いものを喰った方がはるかに幸せだ。
それは不味いという感覚があるということは、旨いものを味わうということが可能だからだ。
これが長く続いてしまったらどうしようと不安になった。
味覚がなくなることで食を楽しむという欲がなくなってしまったら、生きている楽しみの半分近くはなくなってしまうだろう。
特に老い先短し隠居の身ならばなおのこと焦る。
齢を重ねた身には、性欲よりも食欲の方がはるかに大事だと思い知った。

早速、最近渋谷にできた民間の「PCR検査センター」なるところに予約をして飛んで行った。
唾液を15ccプラスチックの容器に出し(15ccの唾液というのは結構な量でなかなか出ない。選挙の投票所のように一人ずつに区切られた仕切りの前にはレモンと梅干しの写真が貼ってあった)、どうみても新しいゴミ箱を代用した提出箱に検体の唾液を入れたカプセルを投げ入れ明日の結果を待つ。結果はメールで知らせるとのこと。私の他に検査に来た人が7名ほどいたが思いの外高齢者が多かった。

夕飯に、〝茸の餡かけうどん〟を作ったが、やはり味覚はなく。ヌルヌルでズルズルのうどんらしきものの食感を感じながら、ただただ胃に流し込む。出汁の熱さは感じた。

五日目—熱もなく、咳は治ったが喉に違和感が残った。倦怠感も軽くなったが、朝に抹茶を点てて飲んでからヨーグルトを食べてもやはり味がしない。
昼食に〝マグロの漬け丼〟を作り、納豆と漬物・味噌汁で食べる。ネバネバのフニャフニャをただ胃に流す。
夕飯には〝鶏もも肉の柚子胡椒焼き〟と漬物・味噌汁を作る。パリパリのグニャグニャしたものが胃におさまる。

「PCR検査センター」よりメールで「新型コロナウィルス陽性の可能性あり」との連絡。
「当センター」では、医療法人の監修のもとに検査を行っているが「陽性」の疑いが出ても保健所への報告義務のある機関では無いので、改めて医療機関でPCR検査をするようにとある。〝検査の意味がないな〟と思いながらも、「陽性」という結果をもって区の保健所に相談しようとするが、すでに業務を終了し電話がつながらなかった。そこで「東京都発熱相談センター」に電話する。
医療機関ではないが民間のPCR検査で「陽性」となった旨伝えると、やはり医療機関以外の検査の陽性では陽性と認定できないので(なんのこっちゃ)、明日改めてかかりつけ医などの医療機関でPCR検査を受けて「陽性」という結果が出れば、その医療機関から区の保健所に「陽性」である旨の連絡が行き、それで初めて陽性者として貴方のもとに保健所から連絡が入る、というプロセスが必要だと説明される。
ああだこうだと言っても拉致があかないので、近くの医療機関で明日PCR検査をやってくれそうなところを紹介してもらう。翌日が土曜日であったので開いている医療機関が少なかった。

六日目—朝一番で何軒かの医療機関に連絡して一番近いところに午後の予約ができた。
昼食は〝さわらのソテー 茸ソース〟に味噌汁と冷奴、ご飯。さわらのホロホロ、茸のコロコロという感覚と冷奴のクチャッとした冷たさは感じる。

診察は、ひと駅隣にある医院だったが、公共交通機関である電車とタクシーが使えないので30分以上をかけて歩いて行く。
医師に症状を説明する。喉の痛みや微熱、倦怠感といったものは普通の風邪の症状と大差ないが、突然、味覚障害と嗅覚障害が起こるのはコロナの特性であるので「陽性」で間違いないだろうという診断でやっと医療機関でのPCR検査ということになった。検査結果は明日電話連絡するとのこと。

夕飯は〝鯛の刺身の炙り ポン酢がけ〟、鯛の具の味噌汁にご飯と晩酌に熱燗。鯛の皮の炙りのカリカリという食感はあるがポン酢の香りと酸味が全くこない。熱燗は鼻に抜ける感覚はある。

七日目—PCR検査の医療機関から「陽性」の連絡があり、明日にも区の保健所から連絡があるだろうということ。この時点で症状が出てから一週間が経過している。相変わらず喉に違和感はあるが、咳と熱、倦怠感は無し。

昼食に〝牛バラ肉のすき焼き風卵とじ〟を作り、納豆、味噌汁、ご飯を食べる。牛バラ肉のハフハフ感と卵とじのズルズル感はあるが味は無し。
夕飯には〝ニョッキのゴルゴンゾーラソース〟と〝ブラッターチーズ おろしリンゴがけ〟にサラダ、ニョッキとソースは神楽坂のイタリアン「ラ・タルタルギーナ」の冷凍配送を湯煎で戻したもの。かなり強いはずのゴルゴンゾーラチーズの香りさえしない。クチャクチャのドロドロを胃に収める。

八日目—保健所より連絡があり、年齢や住所などの基本的な情報の確認と、過去半月の濃厚接触者や行動について細かいヒアリングを受ける。〝発症から10日間が隔離療養期間〟と設定されているので、あと3日間の隔離が必要となる。
都が手配する病院かホテル、もしくは自宅で療養するかを選べという。しかし、都が病院やホテルを調整している間に3日間が経ってしまう可能性が高いとのこと。自然、自宅療養を選ぶ他ない。外出は控えてほしいが、食料品を買うためにスーパーなどに短時間行くのは良いという。必要なら食料を送るがどうするか聞かれる。必要ないと答えるが、何が送られてくるのかあとから興味が湧き、聞いておけばよかったと後悔する。くれぐれも呼吸困難など重症化した場合は、すぐに救急車を呼ぶようにと念を押されて電話は切れた。
実質的な隔離療養は2日半かと少し拍子抜けをした。

昼食に〝ブリの塩焼き〟と納豆・冷奴、味噌汁、漬物とご飯。ブリの脂がのったネットリした感触はあるも味は無し。
夕飯は〝生パスタのペスカトーレ〟とサラダ。この生パスタも「ラ・タルタルギーナ」の冷凍配送を湯煎で戻したものでドロドロのツルツル。

九日目—咳・熱、倦怠感はなく、相変わらず喉の違和感のみ。
昼食に〝マグロのタタキ風〟とけんちん汁、漬物とご飯。マグロと薬味の食感はあるが柚子ポン酢の香りと酸味は感じない。
夕飯は〝サイコロマグロのチャーハン〟とわかめスープ。チャーハンのパラパラとポロポロを胃に。

十日目—保健所から電話があり、体調を聞かれる。咳は治まり、熱もなく、倦怠感も感じないが、喉の違和感はあることを告げる。症状が出てから十日間が経過し、他人にウィルスを移す危険がなくなったので明日から普段通りの生活をして構わないと言われる。十日経つとウィルスには他人を感染させるほどの力は無くなるそうである。

食材が乏しくなったので近所のスーパーに買い出しに出かける。なるべく商品に触らないようにした。特に、野菜などの生鮮食品は気を配った。
昼食に〝さわらのソテー 人参ピューレソース〟に味噌汁、漬物にご飯。味がしない分だけ人参ピューレの鮮やかなオレンジ色が虚しさを高める。
夕飯は〝麻婆豆腐〟にわかめスープとご飯。少し豆板醤の辛味を感じた—気のせいか?

この十日間、薬を処方されることもなく(PCR検査をした医院で喉の薬がいるかと言われるが、いらないと断った)、二日目・三日目に漢方系の風と喉の薬を飲んでから一切薬は飲まず、のど飴くらいでただ安静に自宅で過ごした。熱咳、倦怠感が酷いわけでもないので普段通りに仕事をする。外で他の人と打ち合わせをすることもなく自宅で仕事をする私にとっては、通常の生活と全く変わらなかった。
外には、陽性とは思いもせず出かけた銀座と十日目に食材の買い出しに出たきりである。

コロナ感染については、ほぼ毎日違う場所に出かけて行く家人の職業柄、移されるのなら家人からであろうと去年から覚悟していた。また、重症化さえしなければ早めに感染して陽性となり抗体ができるのが良いと思っていた。

しかし、実際に陽性となって起こった味覚障害と嗅覚障害には参った。
前述したように残り少ない人生の幸せが奪われたような気がしてパニックになりそうだった。家人には味覚障害が出なかったので我が家の食事当番の私は昼食・夕飯をきちんと作った。己の味覚が戻ると信じ、ここで中途半端に作るとそれこそコロナに負ける気がして味は判らぬが、これまでの経験と感覚で味付けをした。家人によればいつもの味と変わらぬということであった(普段から少し味覚は怪しいが—)。
十日間を振り返ると、味覚・嗅覚を失いながらも料理を作り続けたことが私のコロナとの戦いであった。

現在、十九日間が経過した。今では喉の違和感はかなり改善された。ありがたいことに味覚と嗅覚も日々少しずつ改善され今では九割がた元に戻った。当然熱や倦怠感も全くない——元来の病〝怠け病〟で「ああ倦怠感が—」と誰にいうでもなく独り言ちて横になるというのは偶(たま)にある。性慾は—これはどうでもよろしい。

痛風の治療で通うかかりつけの病院には〝三週間〟経過するまでは診療できないと言われた。
保健所に相談すると、都の指針では通院は可能のはずだと言うが、実際には各病院ごとに定める期間が違っているのが現状である。

以上が〝私のコロナ陽性顛末記〟である。

文句を言えばきりがないが、医療機関のスタッフも、区の保健所の担当者も、東京都の発熱相談センターのオペレーターも皆丁寧に接してくれて嫌な思いは全くしなかった。
だが各々は各々の現場で精一杯やっているが、各現場を横でつなぐ強固な共通認識、統一したコンセプトがなかったように感じる。
これは政府、厚生省、都の連携の不味さが、そのまま現場に反映されたものであろう。
本日のニュースで、厚生省の発表する【本日の陽性者数と重傷者数、死者数】は、各都道府県のHPで発表された数字を厚生省に委託を受けた業者が目視して手計算で集計しているという、また菅総理もそれを承知していたと報道された_ああー発展途上国。

編緝子_秋山徹