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令和三年 大雪

2021年12月7日

無聊な日曜の昼下がり

わらいかわせみに話すなよ

雪の白さに想ふ

大雪—東雲の頃、吐く息が白くなり冷気をかたちとして確認できる時期となった。

雪の多い地方では、11月初旬から樹木に縄を張りめぐらせて雪の重さから守る〝雪吊り〟が行なわれる。
金沢の兼六園では夜になると、この円錐に象られた〝雪吊り〟がライトアップされ、幻想的な光景を醸し出す。

雪に映える鳥といえば、何と言ってもカワセミの右に並ぶものはない。
別名を「翡翠(ひすい)」と呼ばれるこの鳥の姿は、雪という真っ白なカンバスに佇む宝石のごとく色鮮やかである。
と、あたかも観てきたように記しているが、カワセミを写真や動画以外で実際に観たことはない。
運が良ければ都内の公園でも観ることができるというが、この幸運に恵まれたこともない。

同じカワセミの仲間で、やはり姿は画像以外で観たことはないが、その鳴き声だけは幾度か聴いたことがあるのが、ワライカワセミである。

「———アアッアア、アアアア〜(私にはこう聞こえる)」と甲高い声で人が笑うように鳴くことからその名前がついたこの鳥の鳴き声を、なぜ聴くことがあったのかというと、「ラジオ・オーストラリア日本語放送」の番組がこの鳴き声とともに始まったからである。

50年ほど前の私が小・中学生の頃、短波ラジオで海外の番組の周波数を探り当てて聴くことが流行っていた。
海外の番組は、細かい周波数を合わせるのがなかなか難しいのだが、ラジオ・オーストラリアはその中でも比較的合わせやすいので人気があり、初心者は必ずこのラジオ局から挑戦した。

そのラジオ・オーストラリアの日本語放送は午後10時から11時までの1時間配信されるが、番組の始まりの合図がワライカワセミのあの鳴き声だった。

叔父さんから短波ラジオを受け継いだ私は、定石通り、まずラジオ・オーストラリアから始め、周波数を探り当ててワライカワセミの鳴き声を聴いた時は嬉しかった。

しかし、飽き性で忍耐力のない私にとって細かく周波数を探り当てるという地道な行為を続けることは無理な話で、すぐに飽きてしまい、結局、海外放送を探り当てたのはラジオ・オーストラリアのみで終わってしまった。

私が使わないのならということで、叔父の短波ラジオは別の従兄弟のものとなった。

真面目で忍耐強いその従兄弟は、それなりの世界のラジオ局を探し当て、結構な数のベリーカード( Verification Card・受信確認証/規定の項目を明記して放送を受信したという報告をすれば、ラジオ局から送られてくるカードで、ラジオ・オーストラリアの場合はワライカワセミの姿が印刷されている)を手にしていた。
このベリーカードを何枚集めるか、というのを短波ラジオの愛好者は競っていた。

「国外ラジオ局の短波放送を受信する趣味」はBCL(Broadcast Listening)、その道具である短波ラジオはBCLラジオと呼ばれた。

海外ラジオを聴いてそれを報告し、そのご褒美として記念のカードを貰い、蒐集して楽しむ。
今から思えば、素朴といえば全く素朴な、のんびりした趣味である。

現在だと、メールで送信し、ラジオ局から日を置かず画像添付でメールが返信されてくるとなるだろうが、こればかりは早ければ良いというものではない。
国際郵便ハガキで受信確認を送り、またその返信が海外のラジオ局から国際郵便で返ってくる。
このちょっとした長さの期間のワクワクとした期待感が醍醐味であるから、長すぎず短すぎずという一定の日数が欲しい。

現代人は、〝時は金なり〟を金言に、〝簡単・便利・速い〟ばかりを追い求め、その結果、余裕ある生活を送れるどころか、却って時に追い立てられることになった。
技術革新が、人にとって豊かな生活を提供するとは必ずしも限らない。

娘がまだ三歳くらいの頃、毎朝、娘と一緒にフジテレビの『ポンキッキーズ』という幼児向け番組を観ていた。
その時オープニングテーマ曲として流れていた斉藤和義の『歩いて帰ろう』が今でも耳に残る。

走る街を見下ろして のんびり雲が泳いでく
誰にも言えないことは どうすりゃいいの?教えて

急ぐ人にあやつられ 右も左も同じ顔
寄り道なんかしてたら 置いてかれるよ すぐに

嘘でごまかして 過ごしてしまえば
頼みもしないのに 同じような朝が来る

走る街を見下ろして のんびり雲が泳いでく
だから歩いて帰ろう 今日は歩いて帰ろう

『歩いて帰ろう/詞曲・斉藤和義』

まだあどけなさの残る安室奈美恵と鈴木蘭々が踊りながら歌うのに合わせて、娘も同じように飛び跳ね無邪気にはしゃぐ、その横で親である私には『歩いて帰ろう』の歌詞は少々堪えた。
この歌は、完全に親である大人達に放たれたアンチテーゼだった。

と、ここでおぼろげな記憶が蘇った。

ワライカワセミには、もうひとつ微かに頭に残っていることがあった。
それは、『わらいかわせみに話すなよ』という童謡である。

たぬきのね たぬきのね
ぼうやがね
おなかに しもやけ できたとさ
わらいかわせみに 話すなよ
ケララ ケラケラ
ケケラ ケラと
うるさいぞ

私が幼稚園に通う前か、幼稚園で教わったのか定かではないが、その頃、しょっちゅう口ずさんでいた歌であるが、
今以上にぼーっとした幼稚園児の私にも、ワライカワセミってなんだ、という〝?〟が頭に浮かびながら大声で歌っていた。

それが、ラジオ・オーストラリア日本語放送のオープニングを聴いた時に、〝あっ、なんだこれか〟と、氷解したのである。

この歌について、改めて検索してみると、NHK放送の『みんなのうた』で1962年12月から 1963年1月まで放送
されていたもので、詞はサトウハチローによるものらしい。

60年近く前に、サトウハチローはどこでワライカワセミを知ったのであろうか、従軍でオーストラリアに赴いたのかと思ったが、兵隊に取られた形跡はない。

と、またここで思い出すことがあった。
たしか短波ラジオのテレビ・コマーシャルでワライカワセミの鳴き声が使われていた気がするぞ—
検索すると確かに、SONYのBCLラジオ ICF-5800(1973年4月発売/当時の定価20,800円)のコマーシャルにワライカワセミの鳴き声が使われていた、とあった。

疑問符をかかえて『わらいかわせみに話すなよ』を歌っていたのが5歳もしくは6歳、TVコマーシャルで鳴き声が流れたのが16歳前後、短波放送で聞いたのも同時期となると、どちらで最初にワライカワセミの鳴き声を聞いたのか、不明である。

記憶の糸が絡んだままで、辿ってみても糸は解れない。
他人様にはどうでも良いことだが、本人にとって切実とまではいわぬが、とても気になることは誰しもある。

12月の天気の良い無聊な日曜の昼下がり、ウィスキー片手に脈絡もなく浮んでは頭を巡っただけの取り留めもない話である。

しかし、技術革新による〝安・近・短〟を否定しておいて、ワライカワセミの鳴き声や『わらいかわせみに話すなよ』『歩いて帰ろう』の動画はYouTubeで探し、歌詞やその他諸々の情報はウェブの検索からである。

まことに〝安・本・丹(アンポンタン)〟なことである。

 

編緝子_秋山徹