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令和三年白露

2021年9月7日

鬼籍

綺羅星のごとく

曉に輝く白い露

白露—日中の熱が夜に冷えて明けに朝露となり白く光る。

夏と秋の狭間にある水の玉は美しくも、どこか儚く怪しい気分になる。

白露には芭蕉に「白露を こぼさぬ萩の うねりかな」がある。
紫の小さな花が集まって佇む萩の花、その花弁ひとつひとつが朝露をこぼさぬようにと抱えている様を見て芭蕉が詠んだものである。
早朝の静謐な空気と透明感のある朝の露の水の薫りが漂ってきそうである。

芭蕉が詠う萩は〝秋の七草〟のひとつである。
〝萩(ハギ)・芒(ススキ)・葛(クズ)・撫子(ナデシコ)・女郎花(オミナエシ)・藤袴(フジバカマ)・桔梗(キキョウ)〟の秋の七草は、人日の節供に食す〝春の七種(くさ)〟とは異なり、特別な日の行事に戴くのではなく、秋という季節を通して野原に七草の咲き乱れる「花野」を愛で、歌を詠む対象とされてきた。

中でも萩は秋の草(艸)という字の成り立ちから分かるように、秋を代表する花とされる。
他に季節を代表する草木に、春の木の〝椿(つばき)〟・冬の木である〝柊(ひいらぎ)〟があるが、同じような字の成り立ちの〝榎(えのき)〟だけは、夏を代表する草木ではあらず、中国渡来の漢字とは異なり「夏に日陰となす樹」として日本で名付けられた和製漢字である(萩も和製漢字の国字とする説もある)。

萩は旧暦八月十五日の中秋の名月(令和三年は九月二十一日)である十五夜に芒とともに飾られることも多い。
中秋は旧暦で八月十五日のみを指すが、仲秋と書くと八月の一ヶ月全体を意味することになる。
毎度毎度、新たに知ることのみ多かりきである。

十五夜には芭蕉の「名月や 池をめぐりて 夜もすがら」が有名であるが、一茶にも「名月を 取ってくれろと 泣く子かな」という一句がある。
芭蕉のものは、満月を堪能しながら池を巡っていたらいつの間にか夜が明けだしたというもので、俳人の風雅を糧としている生活が浮かび、一方、一茶のものは平易な言葉で市井の人々の仄々とした一瞬がうかがわれて、両者の作風が滲み出ている作品である。

当然、蕪村にも名月を歌った「名月や うさぎのわたる 諏訪の海」の一句がある。
蕪村は、十五夜の名月に照らされた諏訪湖に、キラキラと月光の反射する湖面を跳ねて渡るうさぎの姿を見せる。
こちらは幻想的な夢幻の世界が現れて、童謡『うさぎ』の
——うさぎ、うさぎ なに見て跳ねる
十五夜 お月様 見て跳ねる——
という情景が浮かんでくるのである。

名月ひとつで、風雅の芭蕉、市井の一茶、幻想の蕪村と三者三様の世界が展開される。

と、私のようなぼーっとした人間が、名月を前にこれまたぼーっと酒を呑みながら、分かったようなことを書けるのが、十七文字の世界一短かい文学と言われる俳句の良いところである。

極限まで言葉を削いだ俳句は、人の想像力を幾重にも掻き立てる。
私のような底の浅い解釈でも、それなりに許してもらえそうだ。
呆けて空を見上げている言い訳には、文学的な素振りが出来て俳句はもってこいである。

仁義なき戦い

十五夜の名月の隣で輝くのが数多の星であるが、星=スターと呼ばれる人間がこの令和三年にも多く鬼籍に入った。

亡くなった男優で一番のスターといえば〝田村正和〟、であろう。他には主に脇を固めた〝ジェリー藤尾〟〝瑳川哲朗〟〝江原達治〟〝亀石征一郎〟〝二瓶正也〟〝本郷直樹〟といった面々。声優界の御大〝若山弦蔵〟〝森山周一郎〟は海外の大スターの日本語版の声を渋い声で担った。異色の俳優『寺内貫太郎一家シリーズ』の作曲家〝小林亜星〟も亡くなった。

そして〝千葉真一〟〝田中邦衛〟〝小峰隆司〟〝福本清三〟も物故者となった。
多くの主役を張った〝千葉真一〟はアクション・ドラマの『キーハンター』や〝ソニー千葉〟の名で海外でも活躍した。〝田中邦衛〟には加山雄三の『若大将シリーズ』の青大将役や脚本倉本聰の『北の国から』がある。悪役で有名な〝小峰隆司〟は一万回斬られ〝福本清三〟は五万回斬られた。福本は『ラスト・サムライ』で脚光を浴びた。

しかし、私がこの四人を別に挙げたのは、四人が深作欣二監督『仁義なき戦い』に出演していたということからである。


1973(昭和四十八)年一月に公開された『仁義なき戦い』は大ヒットとなってシリーズ化され、続編として『広島死闘編(同年四月)』『代理戦争(同年九月)』『頂上作戦(1974年一月)』『完結編(同年六月)』の四本が一年半の期間に瞬く間に制作・公開された。
昭和四十八年16歳の高校生であった私は学校をサボって夢中になって観た。
そしてこの頃、もう一本衝撃的な映画が公開された、ブルースリーの『燃えよドラゴン』である。


想像してみていただきたい『仁義なき戦い』と『燃えよドラゴン』を同時に与えられた高校生を——友人と映画館に入り浸った。
その頃は今のように、上映回ごとに入れ替えというケチくさいシステムはなく、ありがたいことに一度チケットを買えば一日中でも観続けることができた。
だから私たちは『仁義なき戦い』シリーズとブルースリーの『ドラゴン』シリーズはセリフを覚えてしまうくらい何度も観た。
そして、この二本の映画は観終わった後が危ない。
特に『燃えよドラゴン』の後が危ない。
映画館を出る人間は、皆自分をブルースリーもしくは菅原文太だと思っている。
その目は血走り、隙あらば戦う気満々である。
そこら中で、客同士の目と目が合えば「アチョーッ」と飛び蹴りを食らわしている光景が繰り広げられた。

『仁義なき戦い』の方も危なくはあったが、そういう実際のトラブルは無かった。
それは、こちらの映画の方には本職の方々もたくさんご覧に来館していたからである。俄か菅原文太のメンタルでは、私の郷里北九州は小倉の本職の方々の姿を見れば、恐怖で昂奮と闘争心が一瞬で醒めて我に返ってしまうからである。
(先日、この北九州を縄張りとする特定危険指定暴力団『工藤會』の会長に死刑判決が下ったばかりである)

この『仁義なき戦い』シリーズの大ヒットを受けて、実録タッチのヤクザ映画が立て続けに東映から封切られたが、「広島抗争事件」の当事者である美能幸三組長の獄中手記に作家飯干晃一が追記したものを原作とした『仁義なき戦い』のリアリティに優るものはなかった。

『仁義なき戦い』からは多くのスターが出たが、今はもう主要キャストのそのほとんどが亡くなってしまった。
先の四名に加え監督の〝深作欣二〟に、主演の〝菅原文太〟、〝梅宮辰夫〟〝松方弘樹〟〝渡瀬恒彦〟〝宍戸錠〟〝金子信雄〟〝川谷拓三〟〝室田日出男〟等々。
主要キャストで存命なのは〝北大路欣也〟〝小林旭〟〝八名信夫〟くらいではなかろうか。

亡くなった出演者の中でも特に私が好きだったのが〝成田三樹夫〟だった。
このとても元東大生とは思えない風貌と圧倒的な存在感を持つ悪役俳優は、何の役をやっても〝成田三樹夫〟となるが、決して役柄の現実感を損なうことがないという演技力を持っていた。
また読書家であったらしく、病床で認めた俳句と読書ノートをまとめた『成田三樹夫遺稿句集 鯨の目/無明舎出版』が出版されている。

彼の発言も面白い。
以下「稀代の悪役俳優 成田三樹夫の反骨の系譜/佐高 信」より、1982年の発言

「最近の役者というのは、いやらしいのが多すぎるよ。総理大臣主催のナントカ会というと、ニコニコして出かけていって、握手なんかしてるだろう。権力にヘタヘタするみたいな役者じゃ意味ないよ」

——問題となった首相主催の「桜を観る会」で嬉々として集合写真に収まっている芸能人達を見ると、この言葉が浮かんだ。

「オレも、一言で言えば流れ者っていう感じね。世の中全体という視点からみると余計者じゃないかな。昔の河原乞食タイプだしサ。ただ、昔の河原乞食という言葉が大好きなわけよ。社会的に追い立てられた時代でも権力をバカにするみたいな芝居をやってたわけだからね。これは心根の問題、なんで役者やるかという問題よ。カネを欲しがったり、名声や権力が欲しいなら、役者やるなって言いたいわけよ」

「僕もこの辺でもう一つ腰をおとして勉強の仕直しをするつもりです。とにかくもっと自分をいじめてみます。男が余裕を持って生きているなんてこの上なく醜態だと思う。ぎりぎりの曲芸師の様なそんな具合に生き続けるのが男の務めと思っています。色気のない便りになって御免なさい」

このコラムを書いている最中に〝ジャンポール・ベルモンド〟の訃報が入った。
勝手にしやがれ』『ボルサリーノ』中でも『気狂いピエロ』が好きだった。

また唯一無二の俳優が逝ってしまった。
この喪失感を補う俳優がいないことが、より一層寂しい。

 

編緝子_秋山徹