令和三年 啓蟄
末の六十日
メメントモリ
啓蟄
啓蟄—蟄虫戸啓(すごもりの虫、戸をひらく)、冬のあいだ地中に籠もっていた虫たちが地上に出てくる頃。
蟄「かくれ」ていた者達が、啓「ひらく」時候の節気である。
この生命力溢れる時期に、先ごろ〝コロナ陽性〟となったこともあって、死生観「メメントモリ」について改めて考えてみた。
メメントモリとは、簡単に言ってしまえば「死ぬということを忘れるな」。
世の中に唯一ある〝絶対〟とは、「遅かれ早かれ、すべからず人は必ず死ぬ」ということである。
古より多くの君主・為政者・金満家たちが、死から逃れるために不老不死の薬や術を求めたが、結局手に入れた者はいない。
麻布御簞笥町倶樂部の親爺の主張のひとつ「美丈夫」に—健やかで、できうることるなら立ち振舞いを美しく生き、その時が来たなら〝ポックリ逝く〟これが我々が目指す〝美丈夫隠居〟の理想である—と記した。
しかし、健やかに且つ立ち振舞いを美しく保てる年齢というものには限度がある。
私は、長らく無為に老いさらばえた姿を晒しながら過ごすことを良しとしないし、そんな姿で生きながらえることに執着はない。
長寿—この言葉の生まれた時代の長く生きたという年齢は、古く稀である〝古稀(こき)〟と呼ばれる70歳がせいぜいではあるまいか。
現代日本の80歳を超えた平均寿命(女性87.4歳・男性81.4歳/2020年度)や百歳時代が叫ばれるのは、到底健全な長生きの姿とは思えない。
長く生きることは寿ぐことではなく、生きることが「正義」で死にゆくことが「悪」という時代はとうに終焉している。
仏教は死は苦であるが、生もまた苦であると教える。
仏教の哲学の根本には輪廻転生がある。
生と死を繰り返し生きることは、その人生がどんなものであろうと苦行であると考えられる。
人が仏門に入り解脱を目指すのは、この生と死の輪廻転生の輪から独立して現在の己という魂が永遠に存在することにある。
死生観というのは、死に方を考えるのではなく、死に至るまでの自身の在り方〝いかにして生き、いかにして逝くか〟を考えることである。
とりあえず、おのれの死ぬ時期を設定し、そこから逆算して自分がやらねばならないことを考え実行する。
その時期となっても死なかった場合は、さらに設定を延長すればそれで良い。
そして、設定するその期間を歳とともに1年単位くらいまでにどんどん短くしていく。
もちろんこれの作業は、50歳以前の人にはなかなか現実味がないだろうが、早いうちに自分の死の時期の設定をした方が良いと思う。
その時の環境や心境の変化により、死ぬまでに為すべきことは変わっても構わないだろうし、死なない限り延長はできるのだ。
大事なことは「死ぬということを忘れるな」ということである。
老いて〝ボケ※〟てしまい「死ぬということ」さえ忘れたなら、その先は悲劇が待つ。
※以前から「認知症」という言葉・病名には違和感を感じている。正しくは「認知する能力が著しく退化する症候群」であろう。医療関係者などや一般の我々の世界でも、よく「認知」が進んだという表現の仕方をするが、「認知」が進むとは覚醒したということだろうか。「ボケ」が進んだことを表現したいのであれば、言葉の意味としては全く逆となる。〝痴呆〟という言葉が差別的だということで使用禁止になったが、判り辛い病名より〝ボケ〟で十分である。
末の六十日
口で物が食べられなくなったら、動物は自然に死にゆく。
明日から好きなものも喰えず胃瘻(いろう)などで栄養だけを流し込まれて一年後に死ぬのなら、私は明日好きなものをたらふく喰って、好きな酒を好きな遣り方で呑み、葉巻を吸って喜びに浸りながら死にたい。
これを〝逃げ〟と取られようと少しも構わない。
これが私の覚悟であるから。
コロナ感染で味覚を失ったとき、この覚悟は一層強固なものとなった。
全てはその人個人の死生観の問題である。
私は痛い思いや苦痛に耐え忍ぶ精神的な強さも根性もないため、好きなことをしながら楽に早く逝く方を選びたい。
しかし、痛みにのたうちまわりながらも、1分でも1秒でも可能な限り生きたいと思う人を否定はしない。
それはその人の生き方と逝き方の考え方の違いであるから。
しかし、この生き方と逝き方の決定権を家族といえども他人に委ねたくはない。
「末の六十日」という言葉がある。
人に重篤な症状が出だしてから死に至るまでの期間は大体が六十日である、というものである。
この「末の六十日」が医療技術の進歩という名の下に変わってしまった。
今や医者は患者の希望通りには死なせてくれない。
医者は患者が口で物が食べられなくなったり、口から水分や薬が補給できなくなったりすると、点滴注射や経鼻経管栄養や胃瘻を施そうとする。
患者がボケている場合、家族にその判断が委ねられるが、家族は少しでも長生きさせるのが正しいと医者の提案に乗ることがほとんどである。
経鼻経管栄養はいわゆる鼻チューブであるが、四六時中チューブが入っている不快感のため、患者は無意識にも抜こうとする。
チューブを抜かれては困るので病院側は手を拘束する。
栄養を摂取するために手をベットに縛り付けられて鼻からチューブを無理やり入れられて、ただただ生かされるのである。
患者はこれまでの人生で悪行の限りを尽くしてきたのか—そこには人間の尊厳も何もない、ただの拷問である。
大学病院から総合病院を経て特別養護老人ホームの常勤医となり、がん患者を含む多くの老人の最期を看取った中村仁一医師は述べる「医者のできるだけの手を尽くすは、できる限り苦しめる」と、また次のように著書に記す。
「他の生命体の犠牲によって生かしてもらっている以上、人間も〝自然界の掟〟には、従わなくてはいけません。したがって、自力で息ができない、あるいは、自力で飲み食い不能の状況は、寿命の尽きている証拠と考えていいでしょう。それゆえ、点滴注射や経鼻経管栄養や胃瘻からの栄養が一時的なものならともかく、半永久的となれば、掟違反と考えています」
「死ぬのを防ぐことは不可能なのに、〈死は医療の敗北〉と考え、治すための治療を徹底するほど、死から穏やかさを奪い、無用な苦痛を与え、悲惨な結果を招来することになります。」
「医療の関与により、人はより幸せに死ねるようになったのでしょうか。濃厚介入により、より悲惨、より不幸になったような気がしてなりません。」
「どうも、自然な、穏やかな死を希望するなら、死を医療者の手から奪還しなくてはならなくなっているようです。そのためには、医療の実態や医療そのものの理解を深め、死についてはより具体的に考え、医療を受けるにあたっても、充分に自己決定権を発揮することが望まれます」
【以上抜粋:『大往生したけりゃ医療とかかわるな 「自然死」のすすめ/幻冬舎』『医者に命を預けるな/PHP文庫』】
また同じく松田道雄医師は記す。
「医者でいて病院でなく、あえて自宅で亡くなった方が身近に何人かある。どの方も病院にながくつとめた熟達の医師である。(中略)医者が病院を敬遠するのはそれほど奇矯なことではない。いや、良識からいって当然なことだという考えが、こちらが死に近くなるほど強くなってきた」『安楽に死にたい/岩波書店』
もちろん両医師に反対する意見もあるだろう。
しかし私は両医師の著書を参考にし、私自身の終末医療もしくはそれ以前の段階においての治療を断固たる意志でこれを拒否するつもりである。
死に至る病となったら、昔ながらの「末の六十日」を迎えたいと考える。
〈次回に続く〉