令和三年 立夏
裏勝り
お上の申すこと
後遺症?
立夏_ようよう暖かくなりける。
今年は〝寒春〟と呼びたくなるほど、なかなか気温が上がらなかった。
そして〝春惜しむ〟間も無く本日は立夏である。
気候まで感染症に罹ったごとく狂ってしまったか。
暦は夏となったが、前立腺に不安を持つ親爺としては油断禁物である。
五月始めのこの時期ふと急に冷え込むことを〝八十八夜の忘れ霜〟と呼ぶそうである。
雅な名称であるが、冷えは農作物と同じく下が気になる身には、ちと恐ろしい。
二月の初旬にコロナ陽性となったことを、このコラムでお伝えしたが、味覚障害は改善され喉の違和感も消え失せた。
しかし、味覚障害が無くなり食事を美味しく感じられるようになったことが嬉しくて、以前にも増してバクバク食べていたら体重が68キロから76キロと八キロも増えてしまった。
これは立派なコロナの後遺症に違いない—多分、いや、きっとそうだ。
私が後遺症に苦しんで(?)いる間に、三たびの「緊急事態宣言」が発令された。
宣言では娯楽施設に無観客での営業協力が寄せられたが、無観客とは休業せよということである。
これに、渋谷のミニシアター系『ユーロスペース 』と『シアター・イメージフォーラム』の二軒の映画館が営業の継続を発表した。
『ユーロスペース 』の支配人の言葉がふるっている。
「判断するにも、協力というあいまいな形のしんどさがある。なおかつ協力金として1日2万円。香典のつもりか」
洒脱な台詞だと拍手を送りたくなるが〝香典〟という言葉が洒落にさえならないご時世である。
さらに寄席も営業を続けるという次のような報道があった。
「継続」を決断したのは、都内の四つの寄席だ。25日以降も客数の定員を半数以下に減らして通常通り興行をする。昨年6月以降に定席を再開後、場内の換気をするため、休憩を増やすなどの対策をとってきた。
興行を続ける理由について、浅草演芸ホールは、都からの無観客開催の要請文に「社会生活の維持に必要なものを除く」との記載があると指摘。「(落語や漫才などの)大衆娯楽である寄席は『必要なもの』に該当すると判断した」と説明する。浪曲定席の浅草・木馬亭も、昨年延期した50周年記念公演を5月1日から実施する予定という(朝日新聞)
「よっ!待ったてました。仰る通り」と喝采しかけたところ、28日に一転五月一日からは休業するという発表があった—あらら。
政府および東京都から直接協力の要請があったようである。
お上の申すこと
江戸の時代から、いやそれ以前からも大衆芸能はお上に楯突く気概と諷刺の心意気が込められているからこそ大衆の支持を得て喝采を浴びてきた。またそれが生命線であるはずだ。
辞書にも「大衆芸能は庶民の健全なモラルからタブー視されている悪徳,功利,破壊などを表現してみせるところにその本質がある。(ブルタニカ百科事典)」とあるではないか。
とすれば、お上が発した「緊急事態宣言」に対し小気味好く楯突く方法が大衆芸能にはあるはずだ。
だから寄席の席亭の「(落語や漫才などの)大衆娯楽である寄席は生活に『必要なもの』に該当すると判断した」は、落語は生命の維持には必要不可欠なものではないが、生活の維持には必要な大衆文化であるので営業を続けるという、その気概良しやと思ったのだが、結局のところ挫けてお上に従ってしまった。
本来、落語や講談、浪曲同様に大衆芸能のひとつであり、歌舞いている輩の集まりであるはずの歌舞伎もその出自に反して大人しい。
もともと「梨園」とは特別な世界とは言っても、一般社会よりも一段低いと云う意味の特別なのである。
河原者、河原乞食の世界であった歌舞伎は、私たちの幼い頃に祖父母両親が叱る際の言葉「サーカスに売っちまうぞ」と同義の世界であった。
武家・大名の嗜みであった能に比べ、庶民の娯楽であった歌舞伎が上等であろうはずもない。
よく歌舞伎の上演中に、絶妙のタイミングで「〇〇屋!」という合いの手が入り芝居を盛り上げるのを誰しも知っている。
江戸時代、いくら人気があり金を稼いでいても河原者・非人扱いであった歌舞伎役者は、お上の決まりでは表通りに家を構えることはできずにいた。
ところが江戸の中期頃に、実家が商売をやっている歌舞伎役者が暖簾分けをしてもらった江戸のお店(たな)として実家の屋号を掲げて商家を装い、表通りに家を構えた。
これを真似て、右に倣えで他の歌舞伎役者が次々に屋号を掲げて表通りに家を構えたことの名残りなのである。
歌舞伎役者が下層民の扱いを受けていたことを、この屋号が示している。
芝居中に虐げられた象徴の屋号を観客に掛けさせるというのは、歌舞伎役者による一種のアンチテーゼであるだろう。
また屋号を掛ける大衆もまた、ある種禁忌な言葉を放つことで
歌舞伎役者を応援し、間接的にお上に楯突いているのである。
庶民の心意気、裏勝り
江戸幕府はたびたび「奢侈禁止令」を発して、庶民の贅沢を禁じた。
華美な色合いの着物を禁じ、素材も木綿や麻、絹は屑繭を使った紬しか許さなかった。
従って町人・庶民の男着物は、お上から許された染め色の藍・鼠・茶の色合いの着物となった。
しかし、染め屋はこれを逆手にとって、微妙な色合いで幾種類もの藍色や茶色、鼠色の染め色を作り「四十八茶、百鼠、藍四十八色」と呼ばれるこの三色の多種多様の豊富なバリエーションを生み出した。
日本で藍(青)や茶、鼠の渋めの色目のバリエーションが増えたのは、江戸幕府がたびたび発令し、庶民の贅沢を抑制した「奢侈禁止令」にある。
お上に対する反骨心から、色に対する感性や染色の技術が鍛錬されたとも捉えることができる。
お上の制限や縛りが多くなれば、そこに職人の創意工夫が生まれ技が成熟をさせる、庶民の心意気である。
また、表が渋色なればと着物の裏地である胴裏や、羽織の裏地の額裏(羽裏)、下着の長襦袢など、いわゆる着物の〝裏〟を友禅などで派手に作る「裏勝り」が流行った。
これもお上に対する職人・庶民の抵抗である。
これらをいち早く取り入れたのが、最先端を行くファッションリーダーたる歌舞伎役者という異端児たちであった。
これを庶民が真似て裏勝りの文化ができた。
それが今はどうだ、お上に楯突かずに何の歌舞伎か、と言いたい。
松竹という巨大組織の一部に組み込まれ大衆芸能が伝統芸能と呼ばれて毒を抜かれてしまった姿をさらす歌舞伎の将来は昏い。
今、歌舞伎が歌舞いているのは色事の奔放さのみである。
私が心配をしているのは、これらの心意気が、いま大衆芸能の中に窺い知れないことである。
疫病ペストが中世の欧州を襲った際にはボッカチオの『デカメロン』などの文芸作品が生まれ、ペスト以後にはルネッサンスが興り文化の昇華があった。
このままでは、コロナ後は常に全員がマスクをするという異常な文化のみが残る世の中となる。
先日、静岡のカレー専門店が始めた試みがテレビニュースで報じられていた。
来店客が1,100円のカレーのチケットを700円で買い、メッセージを添えて専用ボードに貼っておくと、十代の子供が来店したらそのチケットを利用して無料でカレーが食べられるというものである。
二十代後半から三十代前半と思しき若い女性店主は「コロナ禍の中、子供を明るくするのは大人の役目」とこのサービスを始めたという。
店は売上に繋がり、子供は無料でカレーが食べられて笑顔になる、客はささやかに誰かの役に立てる、と、八方皆が嬉しくなる賢い試みである。
このニュースを聞いて思い出したのは、イタリアの古き良き慣習〝天使の一杯〟である。
これは、バールでカフェを呑み終えた客が、チップとは別に天を指さして小銭を渡すと、バリスタはその小銭を貯めておく、そしてホームレスや貧しい人がバールを覗いて天を指し、カフェ一杯分の小銭が貯まっていれば、バリスタは手招きして無償で彼らにカフェを提供するというものである。
これが庶民の智慧、心意気である。
早く「コロナ去ぬる」となるが良い。