1. HOME
  2. 24節気に想ふ
  3. 令和三年 立春

令和三年 立春

2021年2月3日

人としての質

男の力量

立春

立春—本日から立夏(五月五日頃)の前日まで暦の上では春である。
春はもちろん季節の春という意味も含むが、新しい年を迎えたという意味でもある。
「春夏秋冬」という季節の中で冬が明けて春を迎えた時である。
旧暦では立春が正月に当たり、春の訪れとともに年は明けた。
中国、韓国、ベトナムといったアジアの国々の中には、太陽暦を取り入れてはいるが、この旧正月を春節と呼んで盛大に祝うところがある。

小林一茶の句に
「春立つや 愚の上に又 愚にかえる」がある。

年が明けて春となっても、私は相も変わらず去年と同じく愚であるという意になるが、もちろんこの場合の愚は全くの愚者というのではなく〝まだまだ悟りには遠く及ばぬ我であることよ〟という巧みな禅問答のようなものであろう。

また、修行で小賢しくなるより愚のままであると自覚し修行に励むという前向きの決意の様なものとも取れる。

しかし、現世では洒落にならぬほど〝愚かなる者〟が多いのには呆れる。

特に、選ばれたすぐれた人物として〝選良〟と呼ばれるらしい国会議員が醜態を晒す。
選良とはフランス語の〝エリートElite〟となるそうだ。
最近の政治家にエリートという表現が似合うスマートな者のいかに少ないことか。

私見であるが、税金で禄を喰む者は公務員であろうが、都道府県の首長、都道府県及び市町村議会議員であろうが、国会議員であろうが、公僕だと思っている。
公僕は英語では〝パブリックサーヴァント public servant〟国民・市民の召し使い、使用人、従僕、もっと酷い言葉で言えば〝奴隷〟となる。
この気概を持てない者が、公務員や地方議員、ましてや国会議員になっていただきたくない。

どうも選挙の時にだけ口が上手く、当選さえしてしまえば〝選良〟と呼ばれる〝エリート〟になったと勘違いしている御仁が多すぎるのではないか。

政治家は言葉が全てというが、発信能力の稚拙な議員が多すぎる。

昨年からの非常事態宣言にまつわる情報発信の不味さはどうだ。

霞が関の官僚たちのセンスのなさににも呆れる。
各給付金や助成金申請の分かり難さ煩雑さはどうだ。
国民に丁寧・簡単・わかりやすく伝えるという意識が欠如しているとしか考えられない。

大手広告代理店に丸投げして、その結果莫大な費用・税金を浪費し、使いにくいシステムを構築している。

各種申請用のシステムは大手広告代理店を元請けとせず、中抜きの企業を排除すればおそらく10分の1程度のコストで分かり易く、使い勝手の良いものができるだろう。

政府の失政にも酷いものがある。

少し感染者が落ち着いたと見るや国が費用の一部を負担して安くしてやるから旅行や外食にGOTO(行け!)と言い。
当初から増加することが予想されていた冬に感染者が増えればあわててSTAY(待て!)、家で大人しくしていろHOUSE(ハウス!)とのたまう。
GOTO(行け)! STAY(止まれ)! HOUSE(ハウス)!

国民は犬か?

彼らには〝てめえらは、夜遅くまでイタ飯喰って銀座のクラブでフラフラ遊んでいやがって、こちとら使用人に調教されるほど大人しくねえんだ。ふざけるな〟と国民が言っているのが聞こえないらしい。

こういう輩に限って、殺しても死なぬような厚顔無恥が多い。
(流石に公明党の議員は、学会婦人部の猛烈な突き上げを喰らい議員辞職した。)

今宵も地下のスコッチバンクで

残念な人について書いていたら、逆に人間の質の素晴らしかった人のことを思い出す。

年末のコラムで二回ほど、私が二十代の頃勤めていた銀座コリドー街にあったVAN社員の憩いの場「スコッチバンク」について書いた。

ジャズを中心とした生演奏が売り物だったスコッチバンクに出演していたミュージシャンの中に「鈴木博さん」がいる。

鈴木さんは、私が勤めていた銀座店には毎週日曜日に出演していた。

ギターの弾き語りでバリトンの甘い声で歌う鈴木さんのジャズナンバーが大好きだった。
往年のジャズファンの中には、今でも鈴木さんを男性ジャズシンガーのナンバーワンだという人もいる。
鈴木さんはかつてロカベリーグループのメンバーとしてデビューするも、一時期は音楽業界から離れ肉体労働者となり、のちにギターの弾き語りでジャズを歌うミュージシャンとしてカムバックしたという経歴の人だった。
そんな鈴木さんの歌をじっくり聴ける日曜日を毎週楽しみにしていた。
そのために、みんなが嫌がる日曜日の出勤シフトに進んで入っていた。
よく「リクエスト・カード」にビリー・ジョエルの『Just the way you are』『Honesty』を書いて出した。
「あっ、またお前だな」と笑って演奏してくれた。
ジャズナンバーではないが、鈴木さんのその2曲は秀逸だった。

鈴木さんは、歌だけでなく人柄も魅力的で、ハンサムだが少し強面な容貌でありながら、とても気さくで演奏の合間に趣味の海釣りのことなど色々とお話をさせてもらった。
海釣りにはバイクのハーレーダビッドソンを駆って行くのだった。
奥さんの洋子さんは有名なモデルさんで、鈴木さんと結婚されてからもミセスモデルとして活躍されていたが、お嬢さんが生まれてから少しの間お休みされていた。

ギター一本で素敵なジャズナンバーを歌い、美人の奥さんがいてハーレーで海釣りに行くのが趣味、なんて格好良い大人なんだろうと思った。

鈴木博さんには、演奏以外で今も忘れ得ぬ思い出がある。

それは、鈴木さんが82年に何枚目かのアルバムを録音する少し前のことだった。
ある日曜日「おい、このギター良いだろ」と新しく購入したギターを演奏前に見せてくれた。
アルバム録音用に購入したそうで、ギターの良し悪しなどわからぬ私にも、そのギターは美しかった。
「綺麗なギターですね」というと、鈴木さんは嬉しそうに笑った。
鈴木さんは、はっきり言わなかったがそのギターは数百万円単位の名器らしかった。

いつものようにファースト・ステージが終わり、鈴木さんがギターをスタンドに置いて、私がBGMをかけようとステージ奥のミキサーを操作しようとした瞬間、「ガッシャン」という不吉な音がした。

真新しいギターが店の内装のレンガにぶつかって倒れていた。
私の足元にギターのコードが絡まっている。
私の顔から血の気が引いた。
そばにいた鈴木さんが「あっ!お前!」と言いながらギターに駆け寄った。
ギターのネックの一部分が無残にも欠けている。
「すみません!申し訳ありません!」なんども謝る私に、鈴木さんは「いいから、欠けた部分を探せ」と言った。

上司も飛んできて、出勤しているスタッフ全員で探したが、なかなか見つからない。
どこかにあるはずの欠片がなかなか見つからなかった。
皆が諦めそうになった時、ようやく半泣きの私が見つけたその欠片は、どうしてそんな所にあるのかと思うようなレンガとレンガの目地のわずかな隙間にあった。

おのれの不注意で傷つけてしまったギターの欠片を自分で見つけられたことだけが何よりもの救いだった。

音には問題なかったので、鈴木さんはその後のステージをネックの欠けてしまった購入したばかりのギターで終えた。

最終ステージが終わったところで何度目かのお詫びに行った。
鈴木さんは「いいよ。わざとやったわけじゃないのは判っているから気にするな」と言ってくださった。

その夜、私は仲間の呑みの誘いも断って本当に落ち込んでトボトボ帰った。

それから、二ヶ月ほど経った日曜日。
鈴木さんが「おい、秋山」と私を呼んだ。
手にはあのギターがあった。
「これ見てみろ、すごいだろ全然わからないもんな」
とネックの部分を指した。
そこには魔法じゃないかというほど綺麗に修復されたネックがあった。
新しく買い直したんじゃないかというほど完璧な修復だった。
「あー、全然わかりませんね。新品同様ですね」
「そーだろ」
この時は本当に助かったと心から思った。
その場に修復士の人がいたら私は多分抱きついたのではなかろうか。

嬉しそうに笑う鈴木さんにずっと思っていたことを恐る恐る「あのー、修理代いかほどでしょうか、僕—」
と言いかけたところで
「バカヤロー!お前から修理代なんてもらおうなんて、はなから思ってない!」
とわざと怒ったような口調で言った後で鈴木さんは、再度
「気にするな」
と言ってくれた。

あーこんな男になりたいと本気で思った。

わざとでないにしろ、購入したばかりの高価で大切なものを傷つけられて叱責することなく。
修復されてきたものを傷つけた張本人と喜んでみせる。
こう書くと簡単なようだが、これができる男があなたの周りにいるか見回して欲しい。
私は、あの人ならと思う人間が同じような場面で実際には全く違った貌を露呈させるのを何度も見てきた。
声高に〝男〟を売り物にしている輩ほど、女々しく細かいことにいちいち五月蝿いものだ。

この時、鈴木さんが示してくれた姿は、その後の私の生き方の指針として大きな影響を与えてくれた。

人としてこうありたいと、書物でも映画でもなく実際の生身の人間として存在することを示してくれた。

ミュージシャンとして優れていること、美人の奥さんがいること、趣味が格好良いことも、この人間性の上に成り立っているのだと知った。

この二年後の84年8月18日営業準備中に、本部から連絡があった。
その電話をたまたま取ったのは私だった。
「鈴木さんが、伊豆で海釣りの最中高波にさらわれて崖から落ちて亡くなった」
「えっ!」
と言ったきり声が出なかった。

葬儀で出棺の際には、あの年に録音されたアルバムの曲が流された。
没年四十三歳だった。
奥さんとお嬢さんの姿が痛々しかった。

歳を重ねるに連れ確実に思うことがある。
死んでほしくない人ほど早く亡くなる。
何故なんだろう。
素晴らしい人間でいるには他の人間よりもエネルギーを使い、その分早く死ぬというのでもあろうか。

逆の人間は実に多いのに。

歌は人なり

82年のアルバム『Now in the night』

▼クリックすると曲をお聴きいただけます。
New York State of Mind
MONA RISA
When I Fall In Love
Misty

編緝子_秋山徹