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令和四年 大寒

2022年1月20日

貴様考

違和感

読後感想

大寒—二十四節気では、本来、一年の最後の節気である。
ここから「三寒四温」、わずかな歩幅で一歩一歩春に近づいてゆく。
東向きの我が部屋も、晴れた日の午前中は暖かい。

樹木の枝の小さな蕾が新たな息吹を内に抱えている。

『昭和歌謡』を寄稿いただいている作家・勝沼紳一さんの未発表の小説に『半分』という作品がある。
小説の舞台は東京の下町・蒲田、登場人物は父と息子。
勝沼紳一という作家の本質を形成する大きな二つの要素である〝父親〟と〝蒲田〟がベースとなり、これに野球が絡んだ物語である。
登場する父親が、まさに〝火宅の人〟なのであるが、物語の内容は発表まで待たれたい。

この小説の編集を担当している方が、複数の知人・友人にこの小説の原稿を送り、その読後の感想を募った。
感想の中で最も多かったというのが、父親が息子に対して放つ「きさま(貴様)—〇〇」という台詞に違和感があったというものであった。
比較的年嵩の浅い人にこの感想が多かったらしく、親が「きさま(貴様)」というような乱暴な言葉・暴言を息子に吐くのは余りに酷いと感じたという。
私は、この台詞に関して特段しっくりこないという感じは受けなかった。
先日、作者の勝沼氏と編集の人と呑んだ時に、この話となった。
三人とも「きさま(貴様)」に違和感があるということに、かえって違和感を覚えると同意見であった。

そこで、少し〈貴様〉について調べてみた。

貴・様

漢字としての〈貴〉と〈様〉の成り立ちは、

貴——臼(きょく)+貝。貝を両手で捧げる形。貴重なものとして扱う意を示す。「物賤(やす)からざるなり」という。のちに物のみでなく、人の身分や性行などにも用いる。
①とうとい、たかい、貴重。 ②身分が高い、爵位が高く禄秩(ろくちつ)が多い。 ③性情がたかくすぐれる。

様——旧字は樣に作り。字はまた橡(とち、くぬぎ、つるばみ)に作る。「栩(くぬぎ)の實(み)なり」という。また〈*像〉にも通用するので、模様・様式の意に用いる。「さま」は国語の用法で、経過を含めた状態の意。また敬称に用いる。

以上、白川静『字通/平凡社』
〈様〉の「さま」は国語の用法であるので、当然ながら〈貴様〉という漢字の単語はなく掲載がない。

ちなみに〈*像〉という字は、人が動物のゾウの姿を思うことから成り立っているそうだ。古代中国の黄河中流域には実際に野生のゾウが生息していたようで、〈象〉という字の成り立ちが、そもそもゾウをかたどった象形文字である。その後、地域の環境の変化で時間とともにゾウの姿は中国から消えた。やがて、(象形)文字や地中から出てくるゾウの骨を見て、人がその姿に想いを馳せたのが〈像〉という字になったという。さらに、実際には見ることのできないものを頭に巡らせることを「人が象を想う」=〈想像〉と表現したという話が『韓非子』に載っていると阿辻哲次の『部首のはなし/中公新書』にある。

また、「さま」というのは姿のことであるが、これが様子を変え「との=殿」(高い床に座る者)の姿となり、さらに「どの」に変化、そしてこれが「どん」となまったものが〝庄屋どん〟〝お花どん〟などであるというのが面白い。ちなみに、「さん」も「さま」がなまったものであるという。以上、樋口清之『日本風俗の起源』からであるが、この本には、「おれ」というのは一人称代名詞の「あれ」が変音したもので、もともとは女言葉であり、西鶴の文学に出てくる女性はすべて自分のことを「おれ」と言っていて、これがのちに男性言葉に変わり、しかも卑語化したとある。現在も東北地方の一部の女性が「おれ」という言葉を使うのがこの名残であるらしい。

夫婦や男女間でよく使われる「おまえ」「あなた」も、「御前様(おまえさま)」が変化して「おまえ」、名前を呼ばず、その人の居る方向を呼んだ「此方(こなた)」「彼方(かなた・あなた)」で「あなた」が使われたそうで、語源からというとどちらかというと「あなた」よりも「おまえ」の方がより敬語に近いことが判る。

「さま」「きさま」「との」「どの」「どん」「さん」「おれ」「おまえ」「あなた」、これらの一人称・二人称は、日常的に頻繁に使われる言葉であるからこそ、長い歳月の中で意味や使い方が変わり続けたものであるのだろう。

とまれ、貴様である。

国語の貴様

国語としての【貴様】は、小学館の国語辞典『大辞林』に次のようにある。
[きさま【貴様】]二人称。① 男性がきわめて親しい同輩か目下の者に対して用いる語。また,相手をののしっていう時にも用いる。おまえ。「―とおれとの仲ではないか」「―それでも人間か」
② 目上の者に対して,尊敬の意を含めて用いる。〔中世末から近世初期へかけて,武家の書簡などで二人称の代名詞として用いられた。その後,一般語として男女ともに用いるようになったが,近世後期には待遇価値が下落し,その用法も現代とほぼ同じようになった〕

とあるように、近世までは完全に、目上の人に対する尊敬語であったのが、やがて変化して親しい者に対する言葉となっている。先に述べたように長い歳月の中で頻繁に使われる中で変化をし、そしてこの変化が、他の一人称・二人称と同じように高い(尊敬)文語から低い(通常)口語へと流れている。

私の〈貴様〉に対する感覚は、軍歌『同期の桜』の歌詞にある〈貴様〉が最も近い。

—貴様とおれとは同期の桜
同じ航空隊の庭に咲く
咲いた花なら散るのは覚悟
みごと散ります国のため

同じ釜の飯を喰い、近い将来、ともに命を落としていくことを覚悟し合っている仲間、特別な同輩。
互いに認め合い、愛する者のために命を賭すと誓い合った朋輩、それゆえに、ぶつかる時にはとことんぶつかり合うことができる存在。
これが『同期の桜』の〈貴様〉であろうと感じる。

したがって、勝沼氏の小説『半分』の中で、父親が息子に対して「貴様」と投げかけるのは、息子という特別に大切な存在、肉親でありながらも男同士というある意味ではライバルである存在に対し、尊重の念と緊張感を併せ持って放っている言葉であると私には感じられ、違和感よりも好意的な想いの方がはるかに強い。

しかし、若い世代が違和感を感じるというのは、この〈きさま=貴様〉という言葉の意味合いと使われ方が、これまでも長い歳月の中で変化してきたように、今まさに、変わらんとするその境界線上にあるのかもしれない。

博多もんの、きさん

方言の中で「きさま/貴様」がなまったものに、主に福岡・博多弁で使われる「きさん」がある。
「きさん、なん(ば)しよっと」というように使う。
〈この場合(ば)は使われないことが多い〉
標準語や東京・山の手言葉の「君、何をしているんだい」「お前、何してんの」と言った意味で、別に「何をやってんだ!」と非難したり、喧嘩を売っているのではなくて、街で偶然親しい友人に会った時などに使う軽い挨拶である。
あくまでも「きさん=貴様」は、知己のごく親しい友人・知人に使うのであるが、では、全く喧嘩の場合に使わないかというと、これが、使う。
喧嘩の口上で使うときの〈きさん〉は〈てめえ〉の意味になる。
〈きさん=貴様〉は〈君=きみ〉にも〈てめえ〉にもなるのである。
江戸っ子もそうかもしれないが、博多や北九州の男同士の会話は、喧嘩になりそうなギリギリの危なっかしい物言いをぶつけ合う。親しさゆえに、そのすれすれ感を楽しんでいるのだが、これが時に、男同士の微妙な距離感、親しみの中にある緊張感のボーダーラインを一気に崩す瞬間があり、この時〈きさん〉は〈てめえ〉となるのである。

同じ福岡で私の郷里である小倉のある狭い地域の方言には、〈うな〉というのがある。これは〈きさま〉〈きさん〉と同じく〈きみ〉〈てめえ〉という意味であるが、〈うぬ=汝〉が訛り変化したものと考えられる。
「うな、なんしようそか」などと使う。
よく「方言には味があって良い」と言われるが、私の郷里の方言は身も蓋も味もなく、ただただ汚いだけなのが、悲しい。

編緝子_秋山徹