令和四年 大雪
お山にひとり棄てられる
ギタリストの処女作
大雪_この時期、降雪地方では雪から木を守る〝雪吊り〟の作業が行なわれる。木に沿って立てられた支柱から円錐の形で木を囲むように放射線状に張られた縄が、夜空にライトアップされる金沢兼六園のものは特に美しい。
雪降らぬ地方でも、冷え込む夜に〝ふろふき大根〟などを肴に熱燗をいただくというのが大変よろしい。少し手間をかけて、〝鯛の煮凝り〟などもなかなか乙なものである。
冬ごもりの暖かい部屋で、雪降る地の光景を思い浮かべながら熱燗を呑り、今ある温みのありがたさを楽しむというのは親爺の至福のひとときである。
しかし、ふた昔前ほどの江戸の世の頃までは、厳寒の雪山にたったひとり置き去りにされる老人たちがいた。年老い古くから守られてきた掟に抗うこともできず〝棄てられる〟者たちであった。
口を減らす
今回は「安楽死」とそう縁遠くはない、日本の貧しく食料の乏しい寒村の〝口減らし〟の「溟い歴史のはなし」となる。
そのむかし日本の〝口減らし〟には、大まかに、長男以降の男の子・新生児を〝間引く〟、女の子を人買いに〝売る〟、老人を山中に放置する〝棄老(きろう)・姥捨(うばすて)〟などがあった。
男の子は、家継ぎの長男は大切にされるが、貧しい山間の地方によっては、次男以降は一生所帯を持つことのない下男として扱われるか、運良く江戸や大阪など大きな街が比較的近くにあれば大店に丁稚奉公に出された。それらが叶わぬところでは新生児のうちに口減らしのため間引かれることがあった。
女の子の場合は、こういった貧しい村々を廻って人買いを生業とする「女衒(ぜげん)」などに幼いうちに売ることになる。女の子たちは最終的には吉原や島原などを代表とする遊郭で働かせられることが多かったようだ。
いまだに東南アジアやアフリカなどにおける児童の人身売買は無くならず国際問題となっているが、問題の根本はもちろん貧困である。
〝棄老〟〝姥捨〟に関しては、日本以外にもその風習があったらしく、イヌイットは高齢者を氷の上に放置し、インド南部、サルデーニャ島、ローマ、ギリシャ、スカンジナビア地方、セルビア、朝鮮などにも同様のものがあったと伝わる。
前々回の立冬のコラムで、昔懐かしのテレビ時代劇として『木枯らし紋次郎/原作:笹川佐保/監督:市川崑/主演:中村敦夫』を挙げたが、主人公・紋次郎は生まれたばかりの弟が蒟蒻芋を使って間引かれるのを見て、それ以来コンニャクが喰えない。それが元で紋次郎を狙う一家と立ち回りが起こるという場面が劇中にある。また、流浪の紋次郎であるが、幽かな目的として幼い頃に女衒に売られてしまった優しい姉を探し当てるという、望みの薄い希望を胸に秘めていた。
弟が間引かれ、姉が売られて、その後離散したほどの貧しい家であるから、紋次郎は当然〝棄老〟も目にしたことだろう。原作の笹川左保はこの隠喩でニヒリスト紋次郎を醸し出し「あっしにゃあ関わりのないことでござんす」というセリフを吐かせる。
日本の〝棄老・姥捨〟を主題として有名な文学作品に、深沢七郎の『楢山節考/ならやまぶしこう』がある。
ギタリストの処女作
『楢山節考』の著者・深沢七郎(1914年〜1987年)は、もともとスペイン民謡をベースとするプロのギタリストで「桃原青二」の芸名で1954年には日劇ミュージックホールにも出演していたが、1956年42歳の時に、棄老・姨捨をテーマにした『楢山節考』を中央公論新人賞に応募し受賞。作品はベストセラーとなった。深沢は受賞の言葉に「ギター弾く合間に趣味で書いていたのに、この二、三年は弾くことより書くことの方が好きになったのは良いことだが、妾の方が好きになったみたいで変なものです」と述べている。
新人作家・深沢の書いた『楢山節考』は、賞の選考員であった三島由紀夫、武田泰淳、伊藤整という名だたる作家に衝撃を与え、三者は選後評で次のように述べている。(『深沢七郎初期短編集/中公文庫』より)
三島由紀夫:こわさの性質は父祖伝来貧しい日本人の持っている非常に暗い、いやな記憶ですね。妙な現世にいたたまれないくらい動物的な生存関係——略——だからこの小説の恐怖の質というものはあまり高いものではない。しかし高いものでないからこそ、こんなに深く、妙に心にねばりついて入ってくるのだ。
武田泰淳:この老婆が早く死にたがっている、早く楢山に登りたがっているという考え方、それがこの小説を美しくしているのであって、もしあれが泣き叫ぶような側に立っていたら、この小説は全然成立できなかった。
伊藤整:つまり近代文学の中での、人間の考え方ばかりが、必ずしも本当の人間の考え方とは限らないということです。僕ら日本人が何千年もの間続けてきた生き方がこの中にはある。僕らの血がこれを読んだときに騒ぐのは当然だという感じがしますね。
三者ともに『楢山節考』は、われわれ日本人に父祖伝来の根源的な何かを呼び覚まさせる作品であると評す。
また、当時辛口の批評家として有名だった正宗白鳥に「人生永遠の書のひとつとして心読したつもりである」と言わしめ、その後、白鳥と深沢は交流を深め白鳥が亡くなった時、深沢は『白鳥の死』という短編を記した。
『楢山節考』物語は、民間伝承の棄老伝説を素としており、信州の山合いの貧しい寒村が舞台である。
この村を見下ろす楢山は、村の守り神の御神体のようなもので、悪事を働いた村民に対して「楢山さんに謝る」という罰が下されれば、それは最も重い制裁で〝死〟を意味する。作中にも他家の食料を盗んでいた一家に「楢山さんに謝る」が行なわれ家族全員が殺されてしまう。
年老いて楢山に棄てられることは、楢山(御神体)と一体となる〝おまいり〟とされる。
主人公の〝おりん〟は姥捨の楢山行きを間近に控えた69歳の老婆である。そして、楢山に送り出すおりんの息子の〝辰平〟、この二人の楢山行きへの胸中、心の葛藤が物語では描かれる。
貧しさゆえの口減らし〝姥捨〟は子供の〝間引き〟と同列で行なわれる究極の因習であるが、深沢七郎が描く姥捨される側の〝おりん〟には悲壮感を感じるどころか、彼女にとって姥捨は今を生きる糧となっている。
どこか、スイスで〝安楽死〟を受けた日本人男性の精神状態と似ている。安楽死という近い将来の出口があることで、今を生きることができるという心境である。
おりんは常々考える。
「楢山まいりに行くときは、辰平の背中にしょう背板に乗って、歯も抜けたきれいな年寄りになって行きたかった」
「これで何もかも片付いてしまったと踊り上がらんばかりであった——おりんには楢山まいりに行くという目標があったのである。その日のことばかりを思い画いていた」
おりんは、自分の歯が丈夫で老人らしくないと恥じている。それを孫のけさ吉に揶揄されたこともあって、自ら火打石で歯を傷つける。歯抜けになって、これで自分も楢山まいりの「きれいな年寄り」となったと思うのである。
「楢山まいり」の当日には、白萩様(白米)、岩魚、椎茸などのご馳走が振舞われるが、当のおりんは明け方の早いうちに辰平の背におぶわれて家を出た後である。
やがて楢山に入り、山頂近くにおりんを置いて山を降りかけたところで雪が舞い始める。辰平はおりんの元に戻り「おっ母は運がいいな、楢山まいりで雪が降り始めた」と告げると転げるように山を降りて行く。
寒風吹きすさぶ中よりも、雪に埋もれたほうが暖かい。そして、やがて眠くなりそのまま逝けるのである。
深沢七郎は、溟く壮絶な話をヒューマニスティックに煽り立てることなく淡々と描いてみせる。しかもそこには背徳の匂いは感じられない。おりんや貧しい村人への深沢の愛を感じることができる。それは母親に対する愛でもある。おりんの家族への大きな慈愛。優しい息子の辰平や、小憎らしい孫のけさ吉にも等しく注がれる愛。
愛といっても相手に寄り添うという類ではなく、ある一定の等間隔をもってじっと見つめる愛である。全ての登場人物に等間隔である愛情。一定の人物に近づき過ぎない間隔をもって須らく俯瞰する。
これを文芸評論家・日沼倫太郎は『楢山節考』の解説で、「あらゆる素材が物として処理されているからである。あるいは物としてとらえる存在把握、ないしは存在透視力、ないしはメタフィジックにもとづいているからである」と述べている。
〝物〟に対するというよりは、ギタリストが五線譜の音符に向き合う感覚、全ての音符に等間隔で向き合う。しかし、音符はそれぞれに違う性質の音色を表現している。音符のとおりギターの弦を爪弾いていけば、音符の調べは一つの物語を紡ぐ。私には、そんな風に深沢七郎は感じていたのではないかと思われる。
ここで私が千の言葉を費やすよりも、一読すればこの作品の際立った素晴らしさを確認できる。ぜひ、お読みあれ。
2022年冬 秋山徹