1. HOME
  2. 24節気に想ふ
  3. 令和四年 夏至

令和四年 夏至

2022年6月21日

ほう ほう ほたる来い

夏の夜の愚痴

夏は短夜

夏至_年のうち最も夕方遅くまで明るく、夜が最も早く明ける。

季語にあるように、夏は〈短夜/みじかよ〉である。

夏の夜は、日中の暑さがおさまり冷んやりと涼しく、仄暗い夜空は恋人たちの逢瀬の時である。
だから夏の短夜は心待ち遠しい。

〈短夜〉を夏の季語として初めて詠んだのは与謝野蕪村とされていて、たしかに蕪村には
「みじか夜や毛むしの上に露の玉」
「みじか夜や暁しきる町はずれ」
など、〈みじか夜〉を使って詠んだ句が複数ある。
中でも
「みじか夜や枕にちかき銀屏風」
は、有名であって、この句の解釈に、夏のみじか夜に白拍子(踊り手であるが夜の伽をする遊女でもあった)と、枕をともにした夜を詠んだもので、銀屏風はその〝しどけなさ〟を象徴しているというものがある。

「短夜やいとま給る白拍子」
という句がこの説を裏付ける。

「みじか夜の夜の間に咲くぼたん哉」
もあり、なかなか意味深であるなと、邪な考えを思い巡らせるのは、ちと過ぎるか。

この短夜に怪しく舞うのが〈蛍〉である。
芒種の次候は、「腐草蛍為(ふそうほたるとなる)」であるが、むかしのひとは腐った草が蛍になると信じていた。

また、蛍は人魂、霊魂が虫に姿を変えたものと信じられていて、蛍にまつわる伝説も各地に存在する。

日本固有種の蛍がゲンジボタル(源氏蛍)と呼ばれるのも、そもそも源平合戦に敗れた源氏の霊魂に見立てたものであるというのが、日本人の蛍に対する思いを現している。

ヘイケボタル(平家蛍)も棲息するが、こちらは日本固有ではなく東南アジア全般に分布する。ゲンジボタルは清流などの清らかな水でしか生きられないが、ヘイケボタルは溜水地などの多少濁った水でも生息できる。

『蛍の光』

蛍といえば、大晦日や卒業式に歌われる『蛍の光』がある。この歌はスコットランド民謡『オールド・ラング・ザイン Auld Lang Syne』を原曲とし、日本語歌詞の作詞者は国学者で教育者の稲垣千穎(いながき ちかい/1845-1913)である。

馴染みの深い歌であるが、この歌に三番と四番があるのをご存知だろうか。

『蛍の光』

一、蛍の光 窓の雪
書(ふみ)読む月日 重ねつつ
何時(いつ)しか年も すぎの戸を
開けてぞ今朝は 別れ行く

二、止まるも行くも 限りとて
互(かたみ)に思ふ 千万(ちよろず)の
心の端(はし)を 一言に
幸(さき)くと許(ばか)り 歌ふなり

三、筑紫(つくし)の極み 陸(みち)の奥
海山遠く 隔(へだ)つとも
その真心は 隔て無く
ひとつに尽くせ 国の為

四、千島(ちしま)の奥も 沖繩も
八洲(やしま)の内の 護(まも)りなり
至らん国に 勲(いさお)しく
努めよ我が兄(せ) 恙(つつが)無く

〈歌詞の意訳〉

蛍の光や 窓から差し込む雪灯りで
書物を読む月日を重ねるうち
いつの間にか年月は過ぎ去り
今朝は杉の戸を開け 友と別れる

故郷に残る者も 去り行く者も
今日を限りと 互いに大いに想い合う
ひと言「幸あれ」と歌う

九州の果てでも 東北でも
海や山で遠く隔てられていても
真心は隔てられることはない
ひたすらに力を尽くせ 国のため

千島列島の奥も 沖縄も
日本国の護りの要(かなめ)
未だ至らぬ国にも勇ましく
努めよ我が兄弟 健やかに

この三番と四番は、軍国主義的であると、左寄りの思想の強い日教組により、戦後すぐに曲から削られて、学校で歌われることがなくなった。

生まれ育った故郷・国というものを大切に想うというのは、右も左もなく人の根源的なものであって、歌詞を見る限り、ことさら軍国主義的な思想を植え付けようとする類のものではないように思う。

本来ある曲の歌詞を、軍国主義的であると安易に決めつけて、作品から削ってしまうという独善的な行為は、文化に対する冒涜であり、暴挙であろう。ファシズムに抗う思想が、結果、それと同様の行為を行なっているという自覚の無さに呆れてしまう。

非国民は誰だ!

夏至から二日後の6月23日は「沖縄慰霊の日」である。太平洋戦争末期、米軍は日本本土攻撃の拠点を硫黄島と沖縄と定め、大規模な空襲と地上戦を行なった。
その結果、沖縄では一般市民を巻き込む戦闘となり、その死者は兵士を含め20数万人に上り、沖縄の市民の四人に一人が亡くなったとされる。
昭和20年6月23日未明、沖縄方面軍司令官と参謀長が自決するに至り、米国は沖縄戦の終結を宣言したため、この日を記念して「沖縄慰霊の日」と定められ、現在沖縄県のみの祝日となっている。『内閣府HP・沖縄戦の概要

この時の米軍の侵攻を食い止めるべく編成されたのが〈神風特攻隊〉である。鹿児島は知覧の飛行場から飛び立った十代後半から二十代の多くの若者が、沖縄の海の藻屑と消えた。

知覧を飛び立った特攻機は、給油のため奄美諸島の喜界島で最後の片道分の燃料補給をして再び飛び立っていった。滑走路脇で見送る人々に彼らは知覧を飛び立つ際に渡された花束を投げてこれに応えた。今でも毎年六月になると、喜界島の滑走路脇一面に真っ赤な特攻花が咲き乱れる。

特攻前の若い兵から慕われ、戦後「特攻の母」と呼ばれた富屋食堂の「鳥濱トメ」は、初夏に飛び交う蛍を見て、特攻で散った若者が約束した通り魂が蛍となって戻ってきたのだと感じた。『ホタル帰る

日教組が行なった『蛍の光』同様の仕業で、どうしても許せないことがある。それは、あろうことか特攻兵を〝非国民〟扱いし、「戦争の美化につながる」として特攻兵やその家族の手記をタブー視して教育の場で教えないよう指導したことである。

馬鹿を言ってもらっては困る。この若者たちとその家族の手記こそが平和教育にとって一番の財産ではないか。世の中には自分と意見の違う人間がいて、それを尊重することも大切であることは承知しているが、これだけは許せない。

特攻で散った若者を辱めるてめえらこそ非国民だ。

世界の軍事力について調査している雑誌『グローバルファイヤーパワーGlobalFirepower(GFP)』によれば、核兵器を除いた場合の日本の総合的軍事力は、世界142カ国中の5位であるという。
[主要項目:現役軍人(自衛隊)24万人(19位)/航空戦力1449(6位)/戦闘機297(8位)/戦車1004(22位)/主要艦艇155(19位)/軍事予算474.8億ドル(7位)]

この日本の軍事力が、専守防衛として相応しく安心できるものなのか、それとも大きすぎるのかの判断は難しい。

丸腰で、私は戦いませんと言って許してくれるほど世界は甘くあるまい—特に隣の独裁国家は—ある程度の備えは必要であるが、その〝ある程度〝の〝程度〟の加減が難しく基準があるようでない。

若くして逝った特攻兵に報いるためにも、二度と戦争は起こしてはならぬだろうが、戦争を起こさぬようにするために強大な軍事力が必要であるというパラドックス(矛盾)に我々は陥っている。

六本木と新宿に、「特攻の母・鳥濱トメ」のお孫さんが始められた「薩摩おごじょ」という居酒屋がある。

今は代替わりした六本木の「薩摩おごじょ」の片隅で、『ほたる』という名の知覧で作られた芋焼酎をお湯割で啜りながら、つらつらと足りない頭で考えてみよう。

 


編緝子_秋山徹