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令和四年 啓蟄

2022年3月5日

男重宝記

元禄若衆〝虎の巻〟

蠢(うごめ)く

啓蟄—草木山川国土の動植物が蠢(うごめ)き出す候。

春に虫二つで成り立つ〝蠢〟という文字は、春の訪れとともに地中から這い出してきた虫が活動を始めるという、まさにこの啓蟄の時候そのものを表すものではあるまいか。

動植物の息吹溢れるこの時候に意識させられることは、〝草木山川国土悉皆成仏〟である。
森羅万象全てに魂は宿る。
この思想が日本人の精神の根本であろう。

何となれば、人もまた〝草木山川国土〟の一部であるのだから、我々は自然と対峙しているのではなく内包され存在し生かされている。

時に自然は災害を起こし大きな悲しみをもたらすが、我々日本人は、それも大地の大きなうねりのひとつとして捉えてきた。

いま、政府はコロナウィルスを撲滅すると宣うが、それは大きな心得違いであろう。
ウィルスも対峙し打ち勝つものではなく、長く日本人が蓄えてきた智慧からすれば、上手く共存するべきものだろうと想う。
風邪やインフルエンザなどの他のウィルス同様、人間の力でこの世から完全に抹殺できるものではなかろう。

人間にとって不都合なもの、小さきものにも神(魂)は宿るのである。

男重宝記/なんちょうほうき

前回「雨水」のコラムで和菓子に触れたが、和菓子の文化というものは、女性寄りのものであるのか、男性寄りのものであるのかに迷う。

男女に関係ないものであろうと言ってしまえばそれまでなのだが、今日、〝茶の湯〟を習い嗜むのが圧倒的に女性であること、和菓子を買い求めるのも女性が多いことなどから、どうしても女性寄りの文化であるとの印象が強い。

ではこれが、薩摩藩の黒砂糖、讃岐の和三盆が広く流通するようになって製菓技術が発達し、和菓子の楽しみが一般に伝わった江戸中期以降はどうだったのかというと、まず武家社会の中で祝儀や宴席といった社交の場に和菓子はあった。

当時の幕臣は役付が決まる(昇進する)と、同僚を招いて宴席を設けるのが習慣があったが、この時に羊羹を出すのが決まり事であったという。
また、六月十六日は餅や菓子を食べて厄を払う「嘉祥(嘉定)/かしょう」の日とされ、江戸城の大広間では将軍が大名・旗本らに対して和菓子「嘉祥菓子」を下賜したが、その数二万個にも上ったという。

一方、一般庶民にはどうであったかというと、元禄六(1693)年に刷られた『男重宝記/なんちょうほうき』という本から知ることができる。

—元禄若者心得集—と副題がつけられた『男重宝記』は、現代訳本(教養文庫/長友千代治・校註)の解説に「元禄の時代の日常生活に必要な諸知識を種類・項目別に集めて、百科事典式に解説した一種の生活便利辞典である。文字通りの、便利な読みやすいマニュアルで、江戸時代を通して種々刊行され、流行の書となった」とある。

作者は苗村丈伯という元彦根藩の侍医であった人で、本の構成は、序と五つの巻・25項目からなり、序には「版元から昨年・元禄五年に出版した『女重宝記』が好評であるので、男版も執筆してほしいという依頼があり作成した。あくまで若者用であり大人用ではない」とある。

それぞれの巻の内容は次である。

・巻之一—男子一代の総論、士農工商、天子と宮中、将軍と大名・武家、各々の官位や言葉遣いなどの解説。
・巻之二—諸芸の解説その一—手習いの仕様から〈詩・歌道(和歌)・連歌・俳諧・謡〉など。
・巻之三—諸芸の解説その二—〈茶湯・立花・盤上(碁・将棋・双六)〉など。
・巻之四—儀礼・行事の際の事。〈弔状・祝言状の法式、書状筆立(書道)、献立書様、菓子の類〉など。
・巻之五—唐人と物語の仕様、日本諸国の人の詞(ことば)づかひ、片言直し(幼児言葉や訛り・俗語などの直し)、礼儀作法。

長くなったが、和菓子については巻之四に記載があり、『和菓子帖』のような図解入りの24種と併せ菓子銘とその成分と形が二百五十種類記載されている。

例を挙げれば、
くじら餅〈上羊羹、下こね物〉—図解あり
椿餅〈上外郎餅に餡入り、椿の葉にのせ〉—図解あり
春霞〈上下ながし物、中小豆うき物、角〉
藤袴〈上赤しめし物、白ながし物、角〉
葡萄餅〈白ながし物、黒豆入って〉
秋の空〈下山形なり、羊羹にて、上しめし物、小豆入り〉
などなどである。(こね物・ながし物・うき物・しめし物などとは何かの解説はない)

特筆すべきは、和菓子が生活における男子の一般常識として、社交・行事の項に取り上げられている事である。

江戸時代中期以降、和菓子は社交上の重要な要素のひとつであった事が知られ、それは現在も冠婚葬祭や季節の挨拶で進物・贈り物として使われていて、男性が和菓子を買い求める機会が多いのもそういった場面である。

しかし、元禄時代のように若者の常識として、和菓子の素養を求められなくなっているのが、ちと寂しい。

この『男重宝記』は、作者苗村丈伯の思考の癖が色濃い、たとえば巻の一に「それ人は、男女ともに万物の霊なり、中に就いて、男は女にすぐれて霊の霊なるものなり——中略——されば、禽(とり)獣草木魚虫に至るまで、雌雄のわかち有て、男は剛直にして、霊なるにとれり」と記されていて、時代とはいえ男尊女卑の極みである。

ベストセラーにこの記述は、今の世ならば大事になりそうである。
女について』を書いて顰蹙を買い続けているショウペンハウェルの二の舞である。

また、苗村は先の文に続けて「つらつら思ふに、読書学問にまさりたる芸なし、此の他の諸芸、老後に益なし——中略——諸芸は若きとき、わが芸の美を人にほこるのみにて、己が身のためにならず。ただ物よみ、学文ばかりは、老後蟄居(ちっきょ)の伽ともなり、徒にこの世を盗む老耄(ろうもう/おいぼれ)という謗(そし)りをもまぬかるべければ——」と記す。

〈学問のすすめ〉は理解できるが、自らが解説する巻之二・巻之三の〈諸芸〉を完全否定しており、これでは読む若者にとっては身も蓋もないなと、徒にこの世を盗む老耄は想うのである。

とはいえ『男重宝記』という当時の男子の〝あんちょこ〟〝虎の巻〟からは、元禄の市井の人々の流行や暮らしぶりを垣間見ることができて興味深い。

あんちょこと虎の巻

蛇足ながら、前々から気になっていた言葉〝あんちょこ〟と〝虎の巻〟について調べてみた。

〝あんちょこ〟は、「安直/あんちょく」の音が変化したもので、大した意味のないことが、あっけなく判明した。
ネットで〝あんちょこ〟と変換すると〝教科書ガイド〟と同義で、安易に回答が得られる参考書と出る。
しかし、その後に、かなり昔の昭和時代から使われていたが、現在は死語に近く若い人には通じないことが多い、という補足説明がある——うーん、ネット上では昭和生まれは過去の人ということか。

〝虎の巻〟は、中国の古書が由来であった—こうなると調べ甲斐がある。
中国の兵法書『武経七書』のひとつで、紀元前11世紀頃に書かれた『六韜(りくとう)』に由来するもので、「韜」とは弓や剣を入れておく袋(弓袋・太刀袋)の意味で、この場合、入れられているのは兵法の秘策となる。
「文韜」「武韜」「龍韜」「虎韜」「豹韜」「犬韜」の六巻から成り、中国の周の文王、武王と両王に仕えた軍師・太公望(たいこうぼう)の問答形式による兵法の書である。

そして、この六巻の中でも「虎韜」が戦の基本的戦場である平野での戦術や指揮系統、部隊の陣形、兵士の武器について述べているため、最も実用的であるとされる。
このため役に立つ実用書のことを〝「虎韜」の巻〟つまり〝虎の巻〟と呼ぶようになったとある。

「虎韜」には
「勇闘則生、不勇則死(勇闘すれば則ち生き、勇ならざれば則ち死せん)」
中国の兵法は、戦いのはじめから兵士の勇猛果敢さに期待する戦術には否定的だが、「死に物狂いで、力の限り戦わなくては生き残れない」場面もあると説く。
また、
「三軍戒以為固、怠以為敗(三軍は戒むるを以って固しと為し、怠るを以って敗ると為す)」
(大)軍は警戒厳しくすることで備えをを固めることができ、これを怠ると敗れてしまう。警戒を怠るのは勝ち戦の後に生じやすく、これを戒めたもの。

さらに「武韜」には、「進美女淫声、以惑之(美女淫声を進めて、以ってこれを惑わす)」と——美女を贈り淫らな音楽をすすめて敵の大将を骨抜きにする戦術が有効である、と記載されている。

古来より、中国でよく使われた謀略であるが、見目麗しい女性や遊女を傾城(けいせい)・傾国と呼ぶように、中国に限らず全世界、また、いかなる時代においても、男子最大で永遠の弱点である。

ちなみに、〝あんちょこ〟も〝虎の巻〟も『男重宝記』には説明の記述はない。

編緝子_秋山徹