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令和四年 立春

2022年2月4日

牛蒡の罪

美味いもんと臭いもん

粽司 川端道喜

立春—旧暦ではこの日が元旦・新年に当たる。
立春・元旦の前日である節分は、本来、大晦日の行事であった。

新年を寿ぐ、めでたい菓子に〈花びら餅〉がある。
この菓子は、もともと宮中の行事食「菱葩(ひしはなびら)」を原形とするもので、円くのした餅に小豆色の菱餅を重ね、蜜炊きした牛蒡(ごぼう)と味噌餡をはさんだものである。宮中の雑煮の洗練された形とも言われる。

この〈花びら餅〉を長く御所に献上していたのは、『粽司・川端道喜(かわばた どうき)』であった。

『川端道喜』は餅や粽を専ら御所に献上していたが、やがて塩餡を包んだ餅を毎朝献上するのが習わしとなり、その餅は「お朝物」と呼ばれ、後に「朝餉」の儀として形式化し、明治天皇が東京に移るまで続いたという。この名残として、京都御所には建礼門の東横に「道喜門」という名の専用門が今も残る。(「京名物 百味會」HPより)

室町時代から五百年以上続く川端道喜は現在も十六代目が京都(左京区下鴨南野々神町2-15)で商いを続けていて、昔ながらの伝統的な粽、上生菓子などと、もちろん〈花びら餅〉も作られている。

店の名物〈道喜粽〉には、吉野葛で作られた〈水仙粽〉、こし餡を練り込んだ〈羊羹粽〉の二種類があり、その上品でしっとりとした風味は最上といわれるが、残念ながら私はいまだに戴いたことがない。〈道喜粽〉は、手間ひまのかかる昔ながらの製法を守り続けているため、大量生産することができない。粽は、五本を一括りにしたものが三千九百円の値で売られている。

私はもっぱら〈花びら餅〉は『虎屋』のものを戴いているが、その蜜炊きされた甘い牛蒡を噛み締めながら、毎度、想うことがある。

俘虜虐待

牛蒡は平安時代に中国から解毒作用のある薬草として伝来した。

その後、料理の食材として使われるようになった牛蒡は、笹掻きにして〈きんぴらごぼう〉に炊いたり、〈すき焼き〉〈もつ鍋〉〈柳川鍋〉に入れて煮たり、〈かき揚げ〉に揚げたりもする。また、斜め切りや小口切りを入れる〈けんちん汁〉〈豚汁〉〈筑前煮〉などの料理は牛蒡で味が決まるといわれている。牛蒡は、日本料理の椀物・煮物・鍋物に欠かせない食材であり、近年では細切りにして湯がいてサラダにして食べられたりもしている。

私の郷里・北九州では、うどんに牛蒡の天ぷら〈ゴボ天〉がのっていることが多い。なぜ〈ゴボ天〉なのかは不明である。

栄養価も高く、食物繊維の量は野菜類でもトップクラスで、整腸作用があり、またミネラル分を豊富に含む。特に水溶性食物繊維は血糖値の上昇を抑え、コレステロールを吸収して体外に排出する作用がある。

と、まあ、ここで改めて紹介することもないほど〈牛蒡〉は我々日本人にとって馴染み深い野菜であるが、この滋味深い野菜を外国人に食べさせて重労働に課された人たちがいる。

時は、戦後、東京裁判である。
この裁判は、被告である日本人の陳述をろくに通訳もせず、裁定をする連合国側の一方的に偏った考えで執行された側面が強いと言われているが、牛蒡の罪は、「戦時中、外国人捕虜に牛蒡を与えたところ、木の根を食べさせられたと誤解され、戦後にB・C級戦犯として捕虜虐待の罪で処罰された」であるという。

事の次第は—俘虜収容所の所員が、終戦真際食糧が非常に不足している中で、できるだけいい食物を与えたいというので牛蒡を買つて来て食わした。牛蒡はなかなか手に入らなかった時期で貴重品であったが、その牛蒡を食わしたことが木の根を食わして俘虜を虐待したという廉(かど)で、五年の刑を受けた。—というのである。不幸である。文化のすれ違いで思い遣りが仇となってしまったケースである。

この「牛蒡の事案」は、連合軍が行なった戦後裁判の中に数件が記録されているという。(たまに、牛蒡の事案で死刑判決を受けたとするような記事があったりするが、これは誤りで、酷い虐待行為と併せて、たまたま牛蒡の罪も含まれていたというのが事実である)

また、「中沢啓治」の原爆と被爆者の悲惨さを扱った漫画 『はだしのゲン』に「捕虜にヤマゴボウを食べさせて25年の重労働を課された」という場面があり、映画『私は貝になりたい』では「ゴボウを食べさせて5年の懲役を受けた」という逸話の場面となった。

この不幸が出来したのは、日本人自身が「牛蒡を食べるのは日本人だけ」ということを知らなかった上に、外国人俘虜が「牛蒡という、この木の根のようなものは、れっきとした日本料理の食材」であることを知らなかったことにある。

文化と文化の擦れ違いである。
〈牛蒡〉を食わした日本人に悪意がないどころか善意であるということが—誠に、悲しい。

と、私は〈花びら餅〉の蜜炊きの甘い〈牛蒡〉を齧るたびに、苦い話を思い出すのである。

靴下キノコ

〈牛蒡〉以外に、日本人しか日常的な食材としないものに〈松茸〉〈こんにゃく〉〈わらび〉〈みょうが〉〈あさつき〉があるという。

この中で〈こんにゃく〉〈わらび〉〈みょうが〉〈あさつき〉は、なんとなく分かる気がする。例えば〈こんにゃく〉は、よその国の料理には全く必要のないものであろうし、〈わらび〉〈みょうが〉〈あさつき〉は、同じようなもので代用となるものがありそうだ。

しかし、日本人が「きのこの王様」と愛して止まない芳香豊かな〈松茸〉が日本以外では食べられないというのが意外であった。

日本人が〈松茸〉を古より好んでいたというのは、
「高松の この峰も狭に 笠立てて
満ち盛りたる 秋の香のよさ」
(〝笠立てて〟は、成熟した松茸が笠を大きく広げた様子であり、〝秋の香〟は松茸自体を意味する。)
という歌が『万葉集』にあることでも分かる。

そして、昭和のはじめ頃まで〈松茸〉は、今のような高級食材でなかったらしい。

それは、「取り敢えず 松茸飯を 焚くとせん」という高浜虚子の句で知ることができる。特に裕福ではなかった高浜虚子(一般家庭)が、とりあえず松茸ご飯でも炊くか、と詠うほど〈松茸〉は庶民の食べ物であった。

それが、現在のように高級食材となったのには、赤松の激減にある。〈松茸〉は、赤松の根元に生え、赤松が光合成をして生成した栄養分を吸収して成長する。枯れた木さえあれば人工栽培できる他のキノコとは違い、生きている木(赤松)の元でしか〈松茸〉は育たない。

さらにマツタケ菌は、非常に繊細で弱いため、ライバルとなるほかの菌がいない土地を好む。松林の中でも、常に地表の落葉が取り除かれて貧栄養状態にならないと、生育できない。

皮肉なことに森が豊かになって赤松が減ったことで、〈松茸〉が育つに良い環境が減ってしまい、希少なものとして高級食材となってしまった。

〈松茸〉の生態は未だ詳しく解明されておらず、人工栽培が不可能で自然に生えたものしか採ることができないのも、高級食材としている大きな理由である。

香りの強いフランスの黒トリュフ、イタリアの白トリュフも同様の生態の食材であろう。

しかし、〈松茸〉がフランスやイタリアのトリュフのように世界的に好まれていないのには、人種による香りの嗜好といったものが関わっているらしい。

とにかく、〈松茸〉の匂いは欧州、特に北欧では不人気のようで、その香りはなんと〝靴下の臭い〟〝シャワーを浴びていない臭い〟と表されるそうで、北欧の〈松茸〉の分類学上の名前は「靴下キノコ」であるそうだ。

確かに、匂いというものは、臭いと感じてしまえば、限りなく不快なものだ。一度、生理的な嫌悪感を覚えてしまうと、それを消すには結構な時間が必要となる。

日本人も最初からトリュフの香りが好きだったわけでもなく、それこそ、ブルーチーズを筆頭とするあのチーズ臭を美味いとまで感じるようになったように、これらの臭いは生活様式・食生活の変化から徐々に受け入れられてきたものだ。

日本料理が広く世界に浸透し好まれるようになった現在、〈松茸〉の香りを芳しいと思う海外の人間も増えてくるかもしれない。

が、只でさえ希少な〈松茸〉である。
世界中に愛好者が増えてしまえば、さらに高級食材化し、私のような貧乏人には手の届かないものとなってしまう。

やはり、ここは当分、海外の方には〝靴下の臭い〟の〈松茸〉であって欲しいと願う。

編緝子_秋山徹