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令和四年 立冬

2022年11月7日 ~ 2022年11月22日

ゴダール最後の作品

ゴダールと〝安楽死〟

立冬_暦が冬になり、山、紅く紅葉が彩るころである。

以前もこのコラムで記したが、春は東風(こち)、夏は薫風(くんぷう)、秋は秋風、冬は凩(木枯らし/こがらし)と季節の風が吹く。毎度、秋の風だけに別名がないのがなんとなく寂しいと感じる。

木枯らしといえば、還暦前後の我々が思わず思い浮かべるのが昔懐かしのテレビ時代劇『木枯らし紋次郎※/原作:笹川佐保/監督:市川崑/主演:中村敦夫』で紋次郎が長楊枝を咥えて鳴らす「ヒューッ」という音色である。
※映画版『木枯らし紋次郎』は監督:中島貞夫/主演:菅原文太

そしてエンディングの「木枯し紋次郎、上州新田郡(にったごおり)三日月村の貧しい農家に生まれたという。十歳の時に故郷(くに)を捨て、その後一家は離散したと伝えられ、天涯孤独な紋次郎、なぜ無宿渡世の世界に入ったかは、定かでない」という芥川隆行のナレーションが今も耳に残る——う〜ん、やはり思い浮かぶ情景は冬である。

紋次郎の決まりゼリフは「あっしにゃあ関わりのないことでござんす」であるが、前回コラムより続く〝ジャン=リュック・ゴダールの安楽死〟は、ゴダールらしく「とことん関わりなさい」と問題提起して我々を巻き込む。

自殺の幇助

2022年9月13日、スイスの自宅でジャン=リュック・ゴダールが91歳で〝安楽死〟を遂げた。

〝安楽死〟には、医師が直接患者に致死薬を投与する〝積極的安楽死〟と、患者自らが致死薬を体内に入れる〝自殺幇助〟がある。

ちなみに〝尊厳死〟は、終末期にある患者に対してターミナルケア(終末期医療)、つまり人工的な延命治療を中止することである。

ゴダールの場合は、〝自殺幇助〟であった。

現在、〝自殺幇助〟が合法である国はスイス、加えて〝積極的安楽死〟も合法であるのはオランダ、ベルギー、ルクセンブルグ、カナダのケペック州、〝積極的安楽死〟のみを認めているのはコロンビアである。

ちなみに、スイスでは〝積極的安楽死〟は違法となるが、〝自殺幇助〟を外国人が受けることが可能である。オランダ、ベルギーでは未成年でも〝積極的安楽死〟を受けることができる。

また、アメリカでも末期患者に限り〝自殺幇助〟を州法で認めているのが、オレゴン州、ワシントン州、バーモント州、モンタナ州、カルフォルニア州、コロラド州、ハワイ州と7州ある。

フランス生まれのスイス育ちで両国の重国籍者であったゴダールは、スイス人として自宅で〝自殺幇助〟を受けた。

合法だからといって、スイスで簡単に〝自殺幇助〟を受けられる訳ではない。

〝自殺幇助〟要件として
①明確な判断能力が備わった状態である。
②死を望む欲望が継続したものである。
③重病・難病に苦しんだ結果であることを証明する医師の診断書がある。
以上が厳しく審査される。

「代替治療がなく、改善の見込みのない耐え難い苦痛を伴う疾患を抱えていて、本人の意思が明確であること」を複数の医師が正式に認めることが必要となるのである。

実行される当日、「あなたの名前と生年月日は?」「点滴のストッパーを開けると何が起きるか知っていますか?」「本当にあなたは死を望みますか?」といった質問がされ、医師に見守られながら致死薬が入った点滴のストッパーを本人が自ら開く、そして20秒後ほどで逝く様子がビデオに撮影され、このビデオと書類一式が立ち会った警察官により司法当局に送られて、司法調査を受け安楽死が完結する。

なぜスイスで〝自殺幇助〟が受け入れられたのかというと、スイスはキリスト教でもプロテスタント信者が多数を占めるため「個人の責任」に重きを置く土壌があることが挙げられている。

宗教的には、イスラム教では自殺は大罪で地獄に堕ちるとされているし、キリスト教のカソリックでは、人間の寿命は神が与えしものであり、苦痛も神が与えたもうた試練であると考えられる。

カソリック総本山バチカンのフランシスコ教皇は「私たちは死とともに歩むもの。死を挑発したり、いかなる類の自殺も支持してはならない」と、〝安楽死〟を認めぬ声明を出している。

自殺幇助支援団体

スイスには〝自殺幇助〟を支援する団体がいくつかあり、ゴダールが選んだのは「エグジット」という支援団体である。

「エグジット」にはスイス国内に17万人の会員がいるがスイス在住者に限定されるので、いわゆる外国人は会員となれない(外国人でも会員になれる団体が他に複数存在する)。年会費は40スイスフラン(約6,000円)で、会員であれば自殺幇助自体には一切費用がかからない。

「エグジット」によれば、2020年には1,282名の人が支援を受けて〝安楽死〟を遂げ、その内訳は癌患者(35%)、多疾患羅患者(27%)、認知症患者(3%)であるという。また、会員であるスイス在住者は場所を自宅に選択する場合が多いという。

外国人も受け入れる別団体では、この3年で3名の日本人が支援されて〝自殺幇助〟で逝ったという。

ここ最近の傾向として、前述した〝自殺幇助〟の要件の解釈が変わりつつあるという。

ゴダールと同じく「エグジット」の支援で2018年に104歳で自殺幇助を受けたオーストラリア人の環境・植物学者〈ディビット・クドール〉の場合は、老衰によるQOL(クォリティ・オブ・ライフ/生活の質)低下が理由であった。スイスに移住して支援を受けるにあたり氏は、「私ほどの年齢の人やそれよりも若い人も、正しい時に死を選ぶ自由を求めている」と述べている。

クドール氏の104歳という年齢を考えれば、重篤な疾患を抱えていなくとも〝自殺幇助〟の要件にかなうのではないかと思うが、安楽死法制化から20年を経過したオランダやベルギーでは、法の拡大解釈化が進み、夫婦の一方が余命いくばくもない末期癌で、もう一方が健康であっても一緒に死を遂げる「夫婦同時安楽死」というケースが増えているという。

死が差し迫っていない高齢者の自殺幇助の数が、本来の安楽死を上回る、そんな時代への岐路にさしかかっている。

その岐路で有名人ゴダールの〝自殺幇助による安楽死〟である。

『安楽死』という作品

ゴダールの安楽死は、直接命に関わる重篤な疾患ではなく「長年の多疾患による疲労困憊」と報じられた。また近しい人間の「監督は病気ではなかったが疲れきって人生に終止符を打つ決心をしました。重要なのは、彼が自分で死を決意したことで、それが報道されることです」という発言も後に報道され、それでは「自殺幇助の要件」を満たしていないのではないかという議論がフランスで起こった。

フランスでは、2016年Claeys-Leonetti法が施行されて、耐えがたい苦痛を抱える病状であると医師が診断を下した患者のみ、薬によって鎮静状態にして、栄養補給と水分供給の点滴を外して死に導く尊厳死は認められている。

スイスで実行された自殺幇助ではあるが、ゴダールの映画のフィールドであるフランスで〝安楽死〟についての議論の機運に火がついた格好である。

フランスでは、これまでも35年以上希少疾患により寝たきりの患者が「これ以上苦しまない権利」を主張して、マクロン大統領に「尊厳死を認めないのは、政府に政治的勇気が欠如しているからだ」と批判する公開書簡を遺したことが話題となったことがある。

この辺りの世論を考慮してマクロン大統領は、先の10月から「終末医療に関する国民対話集会」を実施。来2023年の法制化を目指す準備に入ったといわれている。

『勝手にしやがれ』で映画監督デビューを飾ってヌーベルバーグの旗手と謳われ、その作品でセンセーションを巻き起こしてきたゴダールは、自らの死をも最後の作品『安楽死』として遺し、センセーショナルに逝った。

死の自決権

自決とは、己のことを他人の関与なく自分自身で決めることであり、また、主義主張を貫き通すため自ら命を絶つことである。「死の自決権」を行使することは尊厳ある死の姿であろうと考えられる。

支援団体「エグジット」で逝った人の言葉で「自らの死を考えることは、どう生きるかを考えるのと同じくらい大切なこと」というものがあった。まさに「死生観」を持つことが肝要であると教えてくれる。

自殺幇助と積極的安楽死が死を望む人だけのものかというと、そうではないらしい。

リオデジャネイロ・パラリンピック車椅子女子400m走で銀メダル(ロンドン大会では100mで金、200mで銀)を獲得したベルギーの〈マリーケ・フェルフールト選手〉は2019年10月に安楽死したが、生前の彼女は進行性の脊髄の疾患が、持続的な痛みと足の麻痺の発作を引き起こし、わずかにしか眠れぬ中で激しい練習を重ねメダルを獲得したというスーパーウーマンである。
その彼女は生前「安楽死の可能性が、ここまでトレーニングを続ける勇気を与えてくれた」「安楽死を殺人を考えるべきではない。人々に休息の感覚を与えてくれ、もう充分と思った時には(安楽死手続き用)書類があると思うことができる」と述べている。

彼女が選択した安楽死を誰が責めることができようか。安楽死という選択肢があるということで、安心して現在を全力で生きることができる人がいることを、我々は識っておかなければならない。

「人生の出口を見つけることで、生きる力を取り戻せる」とマリーケと同様の言葉を発したのは、昨2021年夏にスイスで自殺幇助を受けた40代前半の日本人男性である。

この男性の症状は、神経難病を患い、睡眠薬で眠っても痛み止めが切れる頃には激痛で目が覚め、3時間続けて寝られれば良い方という状態であったという。

彼は自殺幇助を受ける直前まで取材を受けていて、その彼の遺した言葉は、リビング・ウィル(終末期医療における事前指示書)に対する私の考えに勇気を与えてくれるものである。

「人間の尊厳を持って死にたい。自力で呼吸する、食べる、排せつする、話す、というのは生きる根幹。それが出来なくなりつつある今、人間として適切な選択を率先してやっているだけ」

「人工呼吸器をつけて延命する人を否定するつもりはない。でも自分は人間の尊厳を失ってまで生きたくない」

「安楽死で寿命を明け渡すことにより、自身に投じられる莫大な医療費を社会に譲ることを意味する。それはひっ迫する医療財政にプラスとなり、他の患者を救うことができる。極めて倫理的な行為となる」

「家族はどんな形でもいいから生きてほしいと願う。だが、それは患者の苦痛と尊厳を無視した考え方だ」

「患者からすれば、自分が苦しみの渦の中に居続けることを良しとするような残酷な家族であってほしくない、というのが本音」

彼の言葉に微塵も異論がない。

次回は日本における〝尊厳死〟と〝棄老・姥捨〟についてつらつらと考えたい。

編緝子_秋山徹