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令和四年 春分

2022年3月21日

猫の恋

青山路地裏奇譚

啼き声

春分_お日様が真東から上がり、真西に落ちる。

この季節になると、種々の動物が発情期・繁殖期を迎える。
発情して〝盛り〟がついた猫が、あの独特な啼き声を撒き散らすのが春である。
この場合の猫の声は、鳥のさえずりの〈鳴く〉よりも、鳥獣のさけびである〈啼く〉の字面が相応しかろう。

この盛りのついた猫の様を〈猫の恋〉としたのが、春の季語にある。
盛りのついた猫が、狂おしく身悶えるがごとく啼きまくる様を、〝猫の恋〟というどちらかというと粋な言葉であらわすのには若干の違和感を覚えるが、盛りを歌にするには品を良くするしかあるまい。

この春の季語〈猫の恋〉を使った永井荷風の句に
「色街が 昼間ひそかに 猫の恋」
がある。

夜の喧騒とは打って変わって、静まり返った向島玉の井あたりの色街の昼さがり、猫の盛りの啼き声が響く。
長閑(のど)な中にも艶っぽさが漂い『濹東綺譚』の世界を想い描かせる荷風らしい句である。
まことに色街あたりは、昼も艶かしい。

いや、むしろ、色恋と慇懃が主人(あるじ)とされる夜よりも、めぐり逢いが主役の昼間の舞台の方が印象に強いものが多いかもしれない。

路地裏の邂逅

二十数年前、表参道に事務所兼住まいがあった。

青山通りから善光寺の境内を通って脇の路地をゆくと、やはり路地のような小径に出る。
この小径は、青山通りからの奥行きの狭い北青山と広い神宮前の端っことの境界線上にある。
表参道を背にして右が北青山の港区、左が神宮前の渋谷区である。
わが事務所兼住まいはどん突きの角、青山スタジオの裏手あたりにあった。

この小径のやや表参道寄りに、粋な黒塀に囲まれた風情のある仕舞屋風の家屋があった。
この家の主人は〈町春草〉。
1922(大正11))年生まれの町春草は、それまで厳つい男ばかりの印象だった書家の世界に颯爽と登場した女流書家で、日本ばかりでなく欧州でも彼女の流麗な書には賛辞が寄せられた。

だが、町春草という女流書家の名前を知らずとも、誰もが一度はこの作家の文字を見ているはずだ。
それは「銘菓ひよ子」のロゴの文字を書いた人がこの町春草であるからである。

誰もが見たことがあり、あっ、あれだとわかる文字を書くというのは難しい。
可愛らしいあの〝銘菓ひよ子〟の姿とロゴ文字を、誰しも一緒に想い浮かべるだろう。

実際、まだひよこが東京に進出する前の博多時代のロゴの文字は古典的なヒゲ文字であったというが、覚えている人はおるまい。

〝ひよ子〟のメーカーである吉野堂が、東京進出を機に町春草の文字にロゴを変え、大々的にキャンペーンを打ったところ飛躍的に売れて博多銘菓は東京銘菓となり全国に持ち帰られる土産となったのである。
(参照:ひよ子本舗吉野堂HP

とまれ、黒塀である。

その家が、青山生まれの町春草の生家であるのか、後に手に入れた家なのかはわからないが、主人の書く文字同様にしなやかな顔を持つ家だった。

正面の門には、あのひよ子と同じ柔らかい草書体で〈町春草〉と書かれた表札があり、小径に沿ってあった通用口にも同様の書体の〈勝手口〉という札があった。
平成の表参道で、この家屋の一角だけが、全く違った空気を持っていた。
それは、一過性の流行(はやり)ものではない、伝統という長い時間に裏打ちされた本物のお洒落というものを若者に知らしめているかのようだった。

町春草の家の前を通る時には自然と歩調がゆったりとなり、この家屋を味わうように歩くのが常であった。

暑かったある夏の日の夕間暮れ、打ち合わせを終えて事務所に戻る私はいつものように小径を歩いていた。

今日もあの家の前を通るのが楽しみである。

と、黒塀の角から妙齢の女性がふっとあらわれた。

長い黒髪を棒かんざしで無造作に後ろに束ね、ごく薄い茶の亀甲柄の生成りの麻上布に、飴色の芭蕉布のような粗めに織った帯を矢の字に締めて、足元は素足に焦げ茶の鼻緒の下駄をつっかけていた。

そのさっぱりとしたきもの姿は、ほんの薄化粧でありながら整った顔をもつ彼女の女っぷりをさらにあげていた。

あらっ、という表情で私の顔に一瞥をくれた彼女は、ほんの一瞬たち止まったように見えたが、その瞳に微笑みを浮かべながら軽く会釈をして私をやり過ごし、善光寺の方に去っていってしまった。

一瞬の出来事に、不意をつかれて立ち尽くしていた私は、すぐさま振り向いて彼女を目で追ったが、その姿は綺麗さっぱり消えていた。

ある日突然、素敵な家の門から不意に素敵な女性が現れた。

その日以来、私は彼女を再び見るため用も無いのに、その小径を行ったり来たりしたが、ついぞ再び出会うことはなかった。

それから、三ヶ月ほど経った1995(平成7)年11月13日町早春の訃報が流れた。

主人亡き後のあの家は、心なしか生気を失ったかのようだった。
それから二年ほどは、無事にその家は存在していたが、残念なことに、とうとう取り壊されてしまった。

あの日私が邂逅した女性は何だったのだろうか。

多分、わくらば出会っただけの女(ひと)であるのだろうが、二十数年が経った今なお鮮明に顔と姿形が思い浮かび忘られぬ、あの日と同じ愛しさが続いている。

そんな馬鹿なことがあるかと言われるに決まっているが、あの女(ひと)は、町春草その人でなかったかと思うことがある。

もちろん、あの時すでに七十三歳であった町春草が妙齢の女性の姿であるはずはないのだが、恋多き人生を送ったと言われる女流書家の魂が、その終焉の時の近いのを感じ取って、最後に娘の姿に身を変えて表参道を浮遊したのではないか、そして、たまたま私が門のところで出喰わしてしまったのではないかと度々妄想するのである。

あの日、ほんの一瞬出会った着物姿の様子の良い女は、二十数年ずっと、わくらば邂逅の女性のままである。

そして、これは私の人生の最後まで続くだろう。
長く一緒にいたことのある女性のことは、ほとんど忘れているのに、不思議なことである。

編緝子_秋山徹