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令和四年 霜降

2022年10月23日 ~ 2022年11月6日

新しい波

ジャン=リュック・ゴダール

色鳥

霜降_稲刈りも終わりの季節。用無しになった案山子に霜が降りる。

晩秋は渡り鳥の季節でもある。

秋に渡ってくる体や羽の美しい小鳥を〝色鳥〟と呼び、季語となっている。

濃い橙の胸に褐色に黒と白が入った羽を持つ〝花鶏(あとり)〟頭が銀白色、顔は黒色、腹は赤茶色で、黒い羽に白斑があり紋付袴姿のような〝尉鶲(じょうびたき)〟黄色い体に黒い中に黄色の帯が二本入った羽の〝真鶸(まひわ)〟などがその代表である。

鳥の鳴き声には、通常のコミュニケーションの「地鳴き」と、求愛と縄張りを守るときのオスの「さえずり」の二種類があり、「さえずり」はオスだけの鳴き声であると、これまた最近初めて知った。

そのむかし日本では、野鳥は暦であり時計であった。

しかし、現在の我々のほとんどは、カラスや雀、鳩、燕くらいしか意識にない。どの鳥が、どの季節にいて、どのような鳴き声をしているかを知らない。

ネットで調べれば、その姿を見、鳴き声を聴くことはできはするが、これではどんどん人としての五感が鈍っていくというものだろう。

〝ハロウィン〟のお祭り騒ぎばかりでは「花鳥風月」という言葉さえ虚しい。

しかし、私は信じたい。デジタル化が進むほど、振り子の針の振り戻しのように、アナログの体験というものを人々は渇望するようになり、五感を少なからず取り戻そうとすることを。

訃報における愉しみ

先月の九月十三日、スイスの自宅でジャン=リュック・ゴダールが91歳の生涯を終えたという訃報が流れた。

ゴダールは、フランソワ・トリュフォー、クロード・シャブロルなどと共にフランス映画の〝ヌーヴェル・ヴァーグ(新しい波)の旗手〟と呼ばれた映画監督である。

代表作に『勝手にしやがれ/1959』『気狂いピエロ/1965』などがあるが、多作の監督で100本近い作品を遺した。

一時代を築いた人物、特に映画監督や俳優、ミュージシャン、作家といった人々の訃報は、それはそれで悲しいものであるが、その人物が関わった作品、映画や楽曲や小説というものを改めて観たり・聴いたり・読んだりするという、ある種の愉しみを我々に与えてくれる。

初めてそれらの作品に触れた時と、時を経て再たび接したときに作品から受ける印象の違いがおもしろい。その作家が活動した期間が長ければ長いほど、自分自身の印象が大きく違ってくる。作品が変化することはないが、触れる側が経験を重ねて思考が変わったり、環境の変化などで嗜好が変化しているからである。

ゴダールの訃報に接して、早速『勝手にしやがれ』と『気狂いピエロ』を観なおした。

勝手にしやがれ

『勝手にしやがれ À bout de souffle/1959年公開』

1959年に公開されたこの映画は、原案がトリフォーで、脚本・監督ゴダール、そして監修をシャブロルが務めるという、まさに〝ヌーヴェル・ヴァーグの旗手〟と言われた三人の手によるもので、この映画から〈新しい波〉が起こったマイルストーンと表現される作品である。

公開当時、1930年生まれのゴダールとシャブロルが29歳、1932年生まれのトリフォー27歳、主演のジャン=ポール・ベルモンドが1933年生まれで26歳と、若星たちの集まりであった。

原題の「À bout de souffle = 息せき切って」が表すように、ジャン=ポール・ベルモンド演じる若者は、ジーン・セバーグのアメリカ人彼女と、死に急ぐように無軌道に生きる。

人生の先の見えぬ焦燥感から逃れるため、目の前の快楽を刹那的に求めるという若者特有の性(さが)をベルモンドは一身に背負って、破綻へと突き進むのである。

この若いベルモンドは、鋭利な刃物を思わせる研ぎ澄まされた肉体を持っているが、我が肉体をも疎ましく汚すように、映画中のべつ幕無しに煙草を吸い続ける。一本吸い終われば、新しい一本を吸い終えたばかりの煙草で火をつけるといった具合に、まさにチェーンスモークする。最後の場面で刑事に撃たれた際も、くわえ煙草のまま、よろよろと車道を逃げ、そして果てる。

自制心のない己の、しかし若く強靭な肉体を、煙草という極めて不健康なものを体に入れることで、痛めつけているかのような演出だった。

相手役のジーン・セバーグは公開当時21歳で、前年公開の『悲しみよこんにちは/1958』で主役セシルを好演して評価を得た。そのときのショートカットのヘアスタイルが〈セシルカット〉として流行。『勝手にしやがれ』でも同様のショートカットでコケティッシュな魅力を振りまいている。

彼女の演じたジャーナリスト志望のアメリカ人彼女は、ベルモンドほど無軌道で刹那的ではないが、常に若さゆえの不安定さを漂わせ、愛するベルモンドのことを刑事に密告したりする。

セバーグがセシルを演じた『悲しみよこんにちは』は、フランソワーズ・サガンの有名な小説の映画化であるが、この小説もカミュの『異邦人』やJ.Dサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』と同列とされる作品で、若者特有の不安や焦燥感とそれによって引き起こされる青春の悲劇を描いた物語として世界的に有名である。
これらの作品は、ある種『勝手にしやがれ』と根底に流れるものは同じで、セバーグが起用されたのも、このあたりの理由かもしれない。

セバーグもヌーヴェル・ヴァーグの寵児ともてはやされるが、『勝手にしやがれ』以降は作品に恵まれず、40歳で早すぎる死を迎えている。

気狂いピエロ 

『気狂いピエロ Pierrot Le Fou/1965年公開』

この映画も脚本と監督がゴダール、主演はベルモンドとゴダールの前妻アンナ・カリーナが務めている。

ゴダール35歳、ベルモンド32歳、カリーナ25歳の時の作品である。
『勝手にしやがれ』の若者の刹那的なものが、今度は中年の入り口に差し掛かり、ある程度人生が見えてきたような気になる時期の倦怠感や虚無感のようなものが画面から強く感じられる。

ベルモンド演じる主人公は、金持ちの女と結婚し子供がいて、何不自由のない生活を送りながら、なんとなく平々凡々とした人生の先が見えてきてアンニュイな気分に侵され、日々に欲求不満と退屈を感じている。そんな彼が、若く無軌道で刹那的に生きるカリーナ演じるヤクザな女性に振り回されるという役割である。

振り回された挙句、裏切られて彼女を撃ち殺した後、海に面した岸壁で、青いペンキを塗りたくった顔にダイナマイトをぐるぐるに巻いて爆死する。途中、慌ててダイナマイトの導火線を消そうとするが間に合わずに爆発してしまうラストシーンは、強烈な印象を観客に与える。これを観た観客は、映画のストーリー自体は忘れてしまっても、このラストシーンだけはいつまでも覚えているのではあるまいか。

ちなみに爆死した後のエンドロール前の海の場面は、溝口健二監督のヴェネツィア映画祭・銀獅子賞受賞作品『山椒大夫/1954年公開』へのオマージュとして有名である。

ゴダールは、このウェットなものになりそうなストーリーを、ドライにただ淡々と描いてみせるが、定まった脚本もない即興的な演出では、時に場面はミュージカルのようになったりする。

ベルモンドは、この即興的演出方法に嫌気をさして、この映画以降ゴダールの作品には出ていない(もともとゴダール作品には『勝手にしやがれ』『気狂いピエロ』にしか出演していない)が、トリフォー監督の作品『暗くなるまでこの恋を La Sirène du Mississipi/1969年公開』にはカトリーヌ・ドヌーブと出演している。

やがてゴダールが「商業主義の映画からの決別」を宣言したのとは別に、ベルモンドはヌーヴェル・ヴァーグの路線ではないアクションやコメディなどのゴダールの言う「商業主義の映画」に主に出演し、1970年には当時人気を二分していたアラン・ドロンと共演した『ボルサリーノ Borsalino 』が大ヒットして、その人気を不動のものとした。

『勝手にしやがれ』『気狂いピエロ』ともに、公開時の私の年齢は2歳と7歳であるので、オンタイムで観たものでは当然ない。

まず最初に観たのが小学校の高学年、日曜日の午後テレビでよくやっていた名作映画劇場で親父と一緒に観た記憶がある。感想は「なんのこっちゃ」である。まあ、小学校の高学年では致し方あるまい。親父の感想は『イージー・ライダー』を観た時と同じ「よう分からん」であった。
その後、テレビの深夜放送で観たような気がする。

次は、二十代の後半に二作品ともレーザーディスクを購入して観た。その頃、代表的な映画を出来るだけ手元に置きたいと頑張ってレーザーディスクを蒐集していた中での二本である。この年代の頃が一番感銘を受けた。

この時は、主人公たちと年齢が近いこともあって、過去2回とは違い、鮮烈に共感を覚えた。その後何度か観直した記憶がある。

しかし、正直に言うと二作品ともに映画史に残る作品であることは認めるが、特に『気狂いピエロ』は個人的に好みの作風ではない。頭の出来がシンプルにできている私には『ボルサリーノ』の方がはるかに好きな作品である。

ゴダールの訃報に接して二作品を久しぶりに見直したが、やはり印象は変わらず。刹那的で無軌道な若者たちの即興的演出の物語は年老いた親爺には、精神的にも体力的にも辛い。

作品によるとはいえ、映画を観て体力的に辛いと感じるようでは、人生のFinのエンドマークが出る日も近かろう。

ゴダールの問いかけ

今回ゴダールの訃報で世界的な話題となったのが、その死因〈安楽死〉である。

近年のゴダールは「様々な病気のためにもはや、普通に生きることができなかった」状態で、スイスの団体の支援によって、〈自殺幇助による安楽死〉を遂げたということである。この「自殺幇助」とは、医師から処方された致死薬を患者本人が体内に取り込んで死亡することで、これはスイスでは合法であるという。

ゴダールのこの安楽死が報じられると、フランスでは大きな議論が巻き起こっているらしい。

次回のコラムでは、ゴダール最後の問いかけ〈安楽死・尊厳死・自殺幇助〉について考えてみたい。

 

編緝子_秋山徹