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令和四年 小雪

2022年11月22日 ~ 2022年12月6日

終末への想い

安楽死で死なせてください

霜の花

小雪_紅葉の〝山粧う〟から草木枯れ山閑散とする〝山眠る〟に移ろう時である。

霜は、満天の星が見渡せるような晴れた夜に、放射冷却によって冷気が漂い、大気中の水蒸気が細かな結晶となることで降りる。逆に、雲に覆われた夜空は大気は暖かく地上の熱が下がらないので霜は降りにくくなる。

澄み渡った夜が明け、小春日和となりそうな朝に霜を見ることが多くなる。

木々の葉や草花を白く化粧した霜は、日が昇るにつれて溶けてなくなる。儚く消え去る移ろいは、日本人が愛でるところである。

人の一生の移ろいも歳を重ねれば儚くも感じる。

さて、今回は日本の「安楽死」「尊厳死」についてである。

尊厳死法案

昨2021年4月に95歳で亡くなった脚本家の橋田壽賀子は、2017年発表の著書『安楽死で死なせてください/文春新書』で「スイスに行って安楽死したい」と記している。

立冬のコラムで紹介した〝自殺幇助〟で安楽死した人の言葉「自らの死を考えることは、どう生きるかを考えるのと同じくらい大切なこと」つまりは「死生観」について物書き橋田壽賀子として考えた結果の「スイスに行って安楽死したい」であったろう。

橋田の著書は発表当時かなりの話題となった。終末医療に対する認識も議論もおぼつかない日本では、安楽死は尊厳死から数段かけ離れたものであるからである。

橋田の著書から遡ること5年の2012年に、超党派による「尊厳死法制化を考える議員連盟」が「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案(仮称)」を公表したが、反対意見が多く、国会提出には至らなかった。

この法案の概要は、「終末期に延命措置を希望しないことを書面で表示し、2人以上の医師により終末期と判定された15歳以上の患者について、延命措置を差し控える、または中止した場合、医師は民事・刑事・行政上の責任を問われない」というものである。

この法案に対し同年の4月に、「日本弁護士連合会(日弁連)」が会長名で次の声明を出した。(一部抜粋)

「疾患によって様々な状態である終末期においては、自ら意思決定できる患者も少なくないが、終末期も含めあらゆる医療の場面で、疾病などによって患者が自ら意思決定できないときにも、その自己決定権は、最大限保障されなければならない。しかるに、我が国には、この権利を定める法律がなく、現在もなお、十分に保障されてはいない」

「患者が、経済的負担や家族の介護の負担に配慮するためではなく、自己の人生観などに従って真に自由意思に基づいて決定できるためには、終末期における医療・介護・福祉体制が十分に整備されていることが必須であり、かつ、このような患者の意思決定をサポートする体制が不可欠である。しかしながら、現在もなお、いずれの体制も、極めて不十分である。」

また、2014年11月には「日本臨床倫理学会」が次の声明を出した。

『終末期についてだけ法律を作ることでは不十分である。本法律案が想定する〝高齢者の終末期〟だけが、患者意思が尊重されるべき問題であるわけではなく、難病においても、また、小児においても、さらには、終末期に関わらない、通常の治療の選択等においても、患者の意思は尊重されるべきであり、本法律案の以前に、患者の意思決定権法等の基本法が先行すべきである」

日本弁護士連合会も日本臨床倫理学会も、いかなる年齢であろうとも終末期や治療の選択における患者自身の自己決定権がとても重要であることは認めているが、日本にはこれに関する法律がないことと、日本の医療・介護・福祉の体制の状況を鑑みるに、法制化は時期尚早だとしている。

法律下による制度化も必要であろうが、私は医療・介護・福祉関連の従事者個々が〝死生観〟を持つことが第一義であろうと思う。私は、死生観を持たぬ者に終末期を委ねる勇気はない。

医療従事者だけではなく日本人全体の中に「死ぬ権利」というものを考えるという共通認識のないことが、問題の根本にある。

我々は超長寿社会で長く生きることは決して幸せなことではなく、寿ぐことでないことは分かってきたが、日本人にとっての医療とは、「患者の状態や苦痛とは関係なく、少しでも長く生きさせるものである」という考えはまだまだ変わりそうにない。

リビング・ウィルふたたび

日本における安楽死の定義は次の三つになるそうである。

①積極的安楽死—苦痛から免れさせるため意図的かつ積極的に死を招く措置をとる場合。

②間接的安楽死—苦痛の除去・緩和するための措置をとるが、同時に死期を早める可能性が存在する場合。※終末期鎮静(ターミナル・セゼーション)ともよばれる。

③消極的安楽死—患者の苦痛をながびかせないという目的のため、行われていた延命治療を中止して死期を早める場合。※尊厳死ともよばれる。

終末期医療で心肺蘇生法の差し控えを「自然死」として捉えられるように、兎にも角にも、早急に③の尊厳死が法制化されることを私は望んでいるが、道のりは長そうに見えるのが、高齢者となった我が身には誠に恐ろしい。

現在日本で、苦しみながらベッドに繋がれ生かされる医療から逃れるのに僅かながら望みのある唯一の手段は、呆ける前にリビング・ウィル※を作成し親族などの然るべき人に渡しておくことである。
※リビング・ウィル(終末期医療における事前指示書)とは、意思の疎通ができなくなるような人生の終末期に備えて、「医療方針への自分の意向」を記しておく文書。

2021年3月、尊厳死の法整備を推進する「終末期における本人意思尊重を考える議員連盟」が再始動し議論を開始したそうだが、あまり期待はしないに越したことはなかろう。

最後に、以前同様私のリビング・ウィルを掲載する。これをご覧になった方が、もし、意識なく病院に繋がれている私を見かけた時は、ぜひ担当医に伝えて欲しくて—お願い!

医療に関する事前指示書

 私、秋山徹は「医療死」は好まず、「自然死」を望むため、意識不明や正常な判断力が失われた場合、次を希望します。
一、できる限り救急車は呼ばないこと。
一、脳の実質に損傷ありと予想される場合は、開頭手術は辞退すること。
一、原因のいかんを問わず一度心臓が停止すれば蘇生術は施さないこと。
一、人工透析はしないこと。
一、経口摂取が不能になれば寿命が尽きたと考え、経管栄養、中心静脈栄養、末梢静脈栄養輸液は行なわないこと。
一、人工呼吸器を装着しないこと。何らかの理由で不幸にも人工呼吸器が装着された場合、改善の見込みがなければその時点で速やかに取り外すこと。
以上、この希望を知りながら、意図的にこれを無視した人がいた場合は化けて出ます。

2022年冬 秋山徹

 

編緝子_秋山徹