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令和四年 処暑

2022年8月23日

悪魔の言語

一番遠くにある言語

熟す前の青い大豆

処暑_あいも変わらず、暑さが床几に凭(もた)れて〝処・横たわっている〟。

この時候の旬の物に〝枝豆〟がある。
二十代前半の頃、枝豆は「熟す前の青い大豆」なので豆腐や納豆と同じだという友人と、名前が違うのだから同じではないだろうという私で賭けをして、大いに負けたことが忘れられない。

ではなぜ〝枝豆〟というのかというと、熟す前の青い大豆を枝ごと引き抜いて、枝付きのまま茹でるので、その調理法から〝枝豆〟という名前がついたという。茹で方から名前が付いたとは思わなんだ。

今ではスーパーではバラバラにされて売られているが、そういえば、むかし、八百屋によっては枝付きのまま売られていたのを思い出す。

枝豆は、中秋の名月の際のお供え物とされることも多いので〝月見豆〟とも呼ばれる。月を眺めながら、塩茹でした枝豆をアテにビールや冷酒を呑むひと時に、あのとき枝豆で賭けをした友は、いまどこで何をしているのかと思いを至らせる。

前回の立秋では、極々私的な英語に関するコラムを書いたが、今回はある程度オフィシャルな資料から英語・英会話について考えてみたい。

まず、日本語から英語、英語から日本語を見たときの、お互いの位置についてである。

一番遠いところにある言語

「アメリカ国務省 (U.S DEPARTMENT of STATE)」の公式HP・外国語研修に関するページに、アメリカ人が外国語を習得する際の難易度が四つのカテゴリーで区分されている。

まず、カテゴリー Iには「英語に似た言語」で、習得期間に 24から30週間、600-750時間の授業時間を必要とする言語として、デンマーク語 /オランダ語/フランス語 /イタリア語/ノルウェー語 /ポルトガル語/ルーマニア語 /スペイン語/スウェーデン語の九カ国の言語があげられている。

続いてカテゴリー IIに「Iに準ずる英語に似た言語」として、習得期間 約36週間、授業900時間を必要とする言語として、ドイツ語/ハイチのクレオール語/インドネシア語/マレー語/スワヒリ語の五ヶ国語。

カテゴリー IIIが「ハード言語—英語と言語的または文化的に大きな違いがある言語」で、習得期間約44週間、授業1100時間を必要とする言語が、ビルマ語/ギリシャ語/ロシア語/タガログ語/タイ語/ウクライナ語/ベトナム語などの47カ国語が挙げられ、この他にも多くの言語がこのカテゴリーに区分されるらしい。

そして最難関のカテゴリー IVが「超ハード言語—英語を母国語とする人にとって非常に難しい言語」である。習得期間 88週間、授業時間2200が必要とされる言語。それがアラビア語/中国語(広東語)/中国語(北京語)/韓国語に日本語を加えた五ヶ国語である。

これを見るとカテゴリー Iと IIがほとんどラテン語を源とする言語であるが、ドイツ語以外は文化的に大きな違いのあるはずのスワヒリ語など四つが IIのカテゴリーに入っているのが意外である。ラテン語と言語の構造が似ているということか。

カテゴリー IIIは、ロシアや北欧の国々に加えて、距離的に英語圏から遠いアジアの国々の言語が多い。

カテゴリー IVの言語は、いわば予想通りのアラビアと中国(北京・広東)、韓国と日本である。

この区分で、とりあえず一安心するのが「英語から日本語を学ぶのはとてもとても難しいんですよ」とアメリカ政府・国務省が公式に認めているということである。逆もまた真なり「日本語から英語を学ぶのはとてもとても難しいのだ」ということである。

私もしくは貴方が劣っているわけではない。「英語は日本語から一番遠い場所に位置する言語」であるということだ。

これで、英語と日本語の位置関係がわかった。
次は、語彙=ボキャブラリー(vocabulary)の問題である。

必要な単語はいくつ?

英語全体に語彙がどのくらいあるかというと、20巻からなる英単語の集大成『オックスフォード英語辞典』で60万語。最近ハーバード大学が発表した研究結果では104万2千語に上るというが、専門的で普段は使われない単語がほとんどで、最近使われた例があるものは17万語であるという。
英語のネイティブスピーカーが使う語彙数としては20,000から30,000、日常英会話で3,000から4,000、ビジネス英語はさらに少なく1,500語で会話・理解することは可能らしい。

「モスクワ言語学研究所」が行なった調査に『日本語教育のための基本語彙調査』がある。これは「基本語の語彙調査に基づいて、上位何番目までの語彙で一般的なコミュニケーションで使われる語の何%までカバーできるか」という主旨の調査である。

英語は基本の1000語を知っていると一般的なコミュニケーションで使われる語の80.5%がカバーでき、5000語で93.5%という。5000語を知っていれば普通の本を読むのにそう困ったことは起らないことになる。

日本語の場合は、1000語だとカバー率はわずか60.5%、5000語覚えても81.7%であるという。日本語の学習では英語よりも、より多くの単語を覚えねばならない。

「国立国語研究所」の『日本語教育のための基本語彙調査(国立国語研究所報告78)』(1984(昭和59)年刊行)には、「留学生等外国人の日本語学習者が,専門領域の研究または職業訓練に入る基礎としてはじめに学習すべき日本語の一般的・基本的な語彙/日本語教育語彙」として6800語が五十音順の表にされているが、その単語を〝あ・い〟の項目で見てみると
—あい(愛)・あいかわらず(相変)・あいさつ(挨拶)・あいじょう(愛情)・あいず(合図)・アイスクリーム・あいする(愛)・あいそう(愛想)・あいだ(間)・あいて(相手)・アイデア・あいにく(生憎)・あいま(合間)・あいまい(曖昧)・アイロン—
と、日本人としては本当に平易な単語ばかりで、表にある6800語をざっと見て、これを知っておかないと日本語の本を読むのは難しいと思われる。

さらに、日本語の場合、その数が英語では遥かに少ない〝同音異義語〟、漢字の音読みと訓読みなどから生じる〝同形異音語〟、英語訳が難しい〝オノマトペ〟が多いという難易点がある。

〝同音異義語〟は、発音が同じで意味の違う言葉である。
例えば—こうしょう〈交渉、高尚、公証、考証、口承、鉱床、厚相、哄笑、工廠、興商、工商、公傷、公称、校章、工匠、好尚、高唱、公娼、高唱、高承、交鈔、康正、行賞、口証、孝昭、高翔、甲生、興正、交唱、口誦、咬傷、香粧、高商〉

〝同形異音語〟は、同じ字で発音の違う言葉。
例えば—空 〈 そら(空耳)・から(空梅雨)・あき(空き巣)・くう(空虚)〉
後 〈あと(後釜)・のち(後添え)・うしろ(後向き)・ご(雨後)〉

オノマトペ(Onomatopeia)は、 擬声語・擬態語・擬音語と呼ばれるもので、動物の鳴き声(犬のワンワン、羊のメーメーなど)などは英語や他の言語にもあるが、物事の状態や人の感情などを表す擬態語が日本語には多いが、英語にはほとんど見当たらないため、日本語を英訳するのが困難なものが多い。
例えば—〈とぼとぼ、よろよろ、よちよち、ふらふら、ゆらゆら、はらはら〉などである。

この〝同音異義語〟〝同形異音語〟〝オノマトペ〟は、日本人にとっても難しいもので、特に、文章を書く職業の人間にとっては悩ましい作業で、生涯の課題でもある。

これに助詞の〝てにをは〟が加われば、まさに七変化、異文化の欧米人にとって〝悪魔の言語〟と言いたくなるだろう。(実際、日本語を勉強する欧米人にはそう呼ばれているらしい)

悪魔の言語

さて、ここで英単語であるが、日常英会話で必要とされる語彙の数は3000から4000語とされていて、よく「日常英会話は中学までの英文法と語彙の数で十分」と言われるが、中学までに学習する語彙の数を学習指導要領から調べてみた。

2021年4月に改訂された『学習指導要領』によれば、小学校で習得が必須とされている英単語というものが追加されていて、その数627語。中学で学ぶ単語数も大幅に増え、中学校が約1200語から「1600~1800語程度」となっていので、小学校から中学校までに学ぶ単語が約2427語。たしかに日常英会話に必要な語彙数にほぼ達している。
さらに高校では「1800~2500語程度」となっているので、小・中・高で4000から5000語を学ぶことになるので、英語の本を理解できる数に達することになる—あくまでも理論上は。

試しにと、『学習指導要領』改訂前に中学校で教えられていた英単語一覧で、英会話が苦手な私がどの程度単語を認識しているか調べてみた。結果は、中学一年生で学ぶ424語中324語、中学二年生735中673語、中学三年生848語中725語—計2007語中1812語であった。(スペルが正確に書けるというのではない。口頭で言えるかという数である)
こんな私でさえ約90%の正解率であった。

アメリカ人が日本語の習得に要する期間・時間を、88週間・2200時間としたアメリカ国務省の設定からすると、小学・中学・高校の十二年間に、必須教科として英語を習う私たち日本人は、理論上では英語の読み書きをほぼ習得しているはずである。

しかし、英語圏の人間にとって〝一番遠い言語〟〝悪魔の言葉〟である日本語は、その反対側にいる日本人にとっての英語を学ぶのも同様となる。

一般に、英語が世界の共通語とされるのは、比較的学びやすい〝平易な言語〟とされているからである。複雑怪奇な〝悪魔の言語〟日本語を操る日本人が、世界の共通語である〝平易な英語〟を何故苦手とするのか。それは、複雑な日本語を平易な英語に変換するという作業が、複雑な言葉を操っているが故に、頭の中で混乱し固まってしまうからではなかろうか。

前回のコラムで、複数の言語を操るいわゆる〝マルチリンガル〟の友人に「話し言葉と書き言葉を全くの別物と切り離すことが外国語会話を習得するコツ」と言われたと書いた。
彼女いわく、極端に言えば日常会話だけなら文法など全く知らなくとも、その言語の会話のポイントとパターンがわかれば、あとは実際の発音を聞き取り真似る〝耳〟と〝口〟の性能を磨くことが最も重要で、「時に、文法は会話習得の妨げになる」ということだった。

人と人が会話する時に、相手の言ったこと、これから自分の話すことを文法的に構築していると時間がかかりすぎて、会話自体が弾まなくなる。出会ったその場でお互いを知るための会話という「道具としての利便性」が損なわれている、というのである。

英会話だけでなく外国語会話を身につけるには、考えてはダメなのである。キャッチボールは数をこなしてこそ上達する。理論は後からで良いのである。ところが私たちは、中・高で英語を学問、受験・試験科目として六年間学んでしまった。考えてはダメなものを、まず考え・思考し完璧なものとして口にするように教え込まれてしまったのである。私のように出来の悪い学生は学問が嫌いで、拒否反応を示してしまう。
さて英会話を学ぼうという時には、この六年間の英語という学問を一旦忘れることが必要となるが、これがなかなかに難しい。故に英会話は、遠い遠いものとなってしまった。

吾輩は猫である

小説『吾輩は猫である』は、言わずと知れた夏目漱石の名作である。この作品の冒頭部分の日本語文とその英訳を最後に掲載しようと思う。

吾輩は猫である。名前はまだ無い。
どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間の中で一番獰悪な種族であったそうだ。

I am a cat. As yet I have no name.
Where was I born ? I have no idea. I only remember crying in a dark, wet place. That was where I first laid eyes on a human being. It was the most dangerous type of human, too, as I later learned: a college student.

猫は当然〝cat〟でよかろうが、我輩が〝I〟、ミャーミャー泣いていたが、ただの〝crying〟では、身も蓋も情緒もなかろう。つくづく日本人で良かった。

編緝子_秋山徹