令和四年 雨水
和菓子に寄せて
千年菓子
ひとり、食品売場でブツブツ
雨水_この時候は、雪が溶けて〈雪汁/ゆきじる>となり流れて山に滋養を与え、また、早春の暖かい雨が降り出してこれまた山を元気にするとある。
〈雪消(げ)の水〉という別名を持つ雪汁は、時に出水を伴う〈雪代/ゆきしろ〉となり、雪汁が流れ込んで川や海が濁るのは〈雪濁り〉と呼ばれる。
たびたび記しているように、二十四節気は、四季の分かれ目である夏至・冬至、春分・秋分、立春・立夏・立秋・立冬の『二至二分四立』の間にそれぞれ二つの時候が入って成り立っている。
雨水・啓蟄、清明・穀雨、小満・芒種、小暑・大暑、処暑・白露、寒露・霜降、小雪・大雪、小寒・大寒などである。
初春を迎えて、雪解け水は山野を潤し、やがて動植物が目覚めて、大地の清らかになったところに、恵みの雨が降り、力を得た大地からは穀物の芒(のぎ)が出て育つ、陽光が降り注ぎ季節の暑さは盛りを迎え、残暑が終わった頃に見る朝露が冷たくなって霜となり、やがて雪となって本格的な寒さの時が来る——と、それぞれの時候が春夏秋冬の大地の変化を表す。
二十四節気をさらに初候・次候・末候と三分割したものが七十二候となり、ほぼ五日に一度時候は変わる。
七十二候は農作と密接になっていて、たとえば、雨水の初候〈土脈潤起/どみゃくうるおいおこる〉では、藍染の染料〈蒅/すくも〉の素となる藍の種を撒き、寒露の初候〈鴻雁来/がんきたる〉では、蔵で発酵させている藍に筵の布団を被せるなど、農作業の終わりや始まりの目安になっている。
また、和菓子屋はこの二十四節気に合わせた上菓子を作っているところが多い。
大まかに和菓子を分類すると、〈上菓子〉は茶席やおもてなし、贈答品に使われる上等な菓子で、京都ではもともと「献上菓子」のことを指した。
〈上生菓子〉は、生菓子でも茶席でよく使われる菓子で、〝こなし、練切、求肥、きんとん〟などである。
私が愛するのは、この上生菓子で、二十四節気に合わせ(本当は毎日いただきたいが、財布が—)抹茶や吟醸酒とあわせていただくのが至福のひとときである。
〝練切〟は白餡にみじん粉・求肥などのつなぎを加えて練り上げたもので関東に多く、〝こなし〟は白餡に小麦粉や上用粉を加えて蒸したものを生地としたもので京都を中心に関西に多い。
〝求肥〟は白玉粉や餅粉から作るきめ細かな口当たりの餅状の生地で、〝きんとん〟は漉し餡や着色した白餡を篩(ふるい)にかけてそぼろ状にしたもので作る。
このほか生菓子(水分量が30%以上のもの)には〝餅菓子・饅頭・羊羹〟などがあり、半生菓子、干菓子(水分量が10%以下のもの)などもある。
和菓子の意匠は二十四節気の季節感を表すものが当然多くなり、この二月は梅と鶯、三月は桃、四月は桜と柳などに題を取ったものになる。
また、特別な日や期間のみに作られる菓子もある。
六月一日の衣替えの日の〝更衣〟、六月十六日の〝嘉祥菓子〟、六月末日夏越しの祓いの〝水無月〟などなどであるが、春の彼岸の〝牡丹餅/ぼたもち〟、秋の彼岸の〝御萩/おはぎ〟もこの類である。
ちなみに、〝牡丹餅〟も〝御萩〟も同じものという説明をしている記事が多く、百貨店などでも春の彼岸に粒あんのものを〝牡丹餅〟と表記して売っていたりする。
以前も記したが、本来この二つには明確な違いがあり、秋の彼岸に収穫したばかりのみずみずしい小豆をそのまま粒の餡にして秋の花の萩に見立てたのが〝御萩〟で、春の彼岸に年を越して古くなった小豆を挽いて作った漉し餡で春の花の牡丹に見立てたものが〝牡丹餅〟である。
現在では小豆の保存技術が発展したため、春も秋も漉し餡も粒餡も一緒くたになってしまったが、最低でも粒餡は〝御萩〟、漉し餡は〝牡丹餅〟とするのが正しい—と、偏屈親爺の私は食品売り場で、ひとりブツブツ、ブツブツ。
我が『麻布御簞笥町倶樂部』HPの更新も、二十四節気に合わせてリリースをしている。
動(やや)もすると、日々の生活を怠惰に流されてしまいがちな意志薄弱な私は、この二十四節気の日くらいには、と、花と生菓子を飾るようにしている。
室礼と呼べるようなものではなく、花を適当な花器に放り込み、その前に生菓子を置くくらいのことではあるが、半月に一度HP更新の日に二十四節気を私なりに飾るのは愉しい。
まあ、この時の生菓子は、堪え性のない私によってすぐに食されて、節気飾りはあっという間に間の抜けたものになるのだが——
八声の鳥とキャンティ
さて、私が本日〝雨水〟の節気に『虎屋』で買い求めてきたのが〈椿餅〉〈鶯餅〉〈八声饅〉の三種である。
〈椿餅〉の歴史は古く、紫式部の『源氏物語/若菜上の巻』に、平安貴族が蹴鞠(けまり)で遊んだ後の食事の場面に登場する。
その名は、『源氏物語』前の平安中期に記された日本最古の長編小説と言われる『宇津保物語』にも記載されているらしい。
〈椿餅〉は、まさしく〝千年の歴史を持つ菓子〟である。
虎屋の〈椿餅〉は、「煎った道明寺粉と肉桂を混ぜて蒸した生地で御膳餡を包み、椿の葉で挟んでおり、独特の香ばしさが特徴——虎屋HPより」とある。
虎屋が〈椿餅〉を初めて作った初出年代が370年前の慶安4年(1651)、480年の歴史を持つ老舗も〈椿餅〉の歴史には遠く及ばない。
また、『源氏物語』には、旧暦十月(亥の月)亥の日・亥の刻(午後十時)に食べる〈亥の子餅〉も登場する。
〈亥の子餅〉は亥の姿を象った餅菓子で、栄華を極めた〝楊貴妃〟が亥年生まれであったこと、また、多産である〝亥/いのしし〟にあやかり子孫繁栄を願った菓子とされ、中国渡来と伝えられる—諸説あり。
〈鶯餅〉は、文字通り鶯を象った餅菓子で、〝鶯/うぐいす〟のホーホケキョという鳴き声が「法華経」と聞こえるため、有難い鳥とされているのが、意匠によく使われる一因ともなっている。
虎屋の〈鶯餅〉は、「御膳餡を包んだ求肥の両端をつまみ、青きな粉をまぶして鶯の姿や羽色を表わす。——虎屋HPより」、二月を彩る春ならではの趣ある名物菓子である。
三種目の〈八声饅〉は、鶏の別名〝八声の鳥(やごえのとり)〟から銘が取られていて「鶏は明け方にしばしば鳴き、〝八度(たび)鳴く〟といわれることから、〝八声の鳥〟とも呼ばれています。『八声饅』は、卵の黄身を使用し風味豊かに——虎屋HPより」という説明がある。
尾崎紅葉の『金色夜叉』の一節に「四辺も震ふばかりに八声の鶏は高く唱(ウタ)へり」と出てくる。
古来、鶏は闇の終わりと太陽の到来を招く鳥として神聖視されてきたらしい。
大寒の末候に〝鶏始乳/にわとりはじめてにゅうす〟とあり、かつて鶏の産卵期は春から夏にかけてであったことから、この季節の菓子の銘として登場する。
この〝鶏=八声の鳥〟から、私が連想するのは、日本より遠く中央イタリアはトスカーナのキャンティワインである。
かつて中世のトスカーナでは、フィレンツェとシエナの両都市国家がそれぞれ覇権を争っていた。
その争いのひとつにワインの産地キャンティの領有を巡るものがあった。
幾度目かの戦いの後、両都市は、キャンティ領有権に関する和平策として、期日と決めた日の朝、最初の雄鶏が鳴くのを互いにスタートの合図として、決めたコースを同時に馬を走らせて、出会った場所までを互いの領地とする事とした。
当日の朝、シエナは普通の雄鶏を用意し、フィレンツェは黒い雄鶏を用意した。
フィレンツェの黒い雄鶏は、シエナの普通の雄鶏よりもはるかに早く八声を上げたため、いち早く馬をスタートさせたフィレンツェの領地はシエナのそれを大きく上回ることとなった。
以降、キャンティワインのロゴマークは〝黒い雄鶏/ガッロネーロ〟となり、現在もキャンティワインの証紙ラベルに印刷されている。
シエナの歯嚙みが聞こえてきそうである。
かつて、雑誌の取材などの仕事絡み、休暇で何度もトスカーナを訪れ、キャンティやモンタルチーノ、モンテプルチャーノのワイナリーを覗いた。
くたばる前にもう一度なんとか再訪したいと願っているが、体ではなく財布がコロナに罹ったままである。
すべての原因が此処にあるのが悲しい。