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令和五年 大雪

2023年12月7日 ~ 2023年12月21日

不死鳥よ永遠なれ

草葉の陰

ちちよ、ちちよ

大雪_北風の強さが増し、降雪地方ではそろそろ〝雪吊り〟が行なわれる頃である。

霜月には季節外れの夏日に意気揚々と紋白蝶と歩いていた遊歩道を、凩に縮こまりながら歩いて冬枯れの木の枝を眺めていたら、そういえば最近〝蓑虫/ミノムシ〟を見ていないなと思った。

わずかな葉を残した木の小枝に、蓑を被ってぶら下がる蓑虫。子供の頃に、こりゃなんだと手にとり、蓑をむしって中から出てきた幼虫にうひゃーと投げ捨てた。今思えば蓑虫には気の毒なことをしたと思う。時として子供の好奇心は残酷である。

そもそも蓑虫(ミノムシ)は、ミノガ科に属する蛾の幼虫の総称で、日本で約40種類ほどが知られているらしく、我々がよく見かけたのが「オオミノガ」「チャミノガ」の2種であるという。

ミノガの幼虫は孵化した後、6月から10月にかけて脱皮を繰り返し、秋に小枝などに蓑を結わえつけて越冬するとされている。幼虫は粘着質の糸を吐いてそれに葉や小枝を絡めて木の枝などにぶら下がり蓑虫となる。

ぶら下がるのにも吐いた糸と木の枝とを接着させるのであるが、近年の研究では、蓑虫がぶら下がっているこの糸が自然繊維最高の強度であると考えられていた蜘蛛の糸の1.8倍であることがわかったという。どうりで寒風吹きすさぶ中でも平気な顔で揺られているはずである。

この強力な糸を紡いで織物としたものを防弾服の素材にしようという開発が進んでいるという。蓑を纏った虫の姿と、防弾服のイメージの重なりは、いとをかしである。

蓑虫の音を聞きに来よ草の庵—芭蕉

芭蕉は、侘しい里の庵に集い蓑虫の鳴き声を聞きながら句でも詠もうと誘う。

蓑虫の鳴き声については、清少納言が『枕草子』の「三十九段 虫は」に「ちちよ、ちちよ」と鳴くと書いている。

『蓑虫、いとあわれなり。鬼の生みたりければ、親に似て、これも恐ろしき心あらむとて、親のあやしき衣引き着せて、「今秋風吹かむ折にぞ、来むずる。待てよ」と言いおきて、逃げていにけるも知らず、風の音を聞き知りて、八月ばかりになりぬれば、「ちちよ、ちちよ」とはかなげに鳴く、いみじうあはれなり』

『蓑虫は本当に哀れである。鬼が生んだため、これも親に似て恐ろしい心があろうと思い。親が粗末な衣を着せて「秋風が吹く頃になったら戻ってくるから、それまで待っていなさい」と言って置いて逃げて行ってしまったのも知らず。秋風が吹き出した八月頃になると「ちち(父)よ、ちち(父)よ」と心細そうに鳴いているのが、たいそう哀れである。』

「ちちよ、ちちよ」と子は慕う、「ははよ、ははよ」と慕わぬのは、ミノガの雌は一生を蓑の中で過ごし、成虫として蛾の姿になるのは雄のみであるからだ。また、成虫となっても蚕と一緒で口が退化してしまっているため栄養を摂ることができず、交尾後には死んでしまう。いくら蓑虫が父を慕って鳴いても、父蛾は死に絶え戻ってこれないのである。やはり冬の心悲しさを蓑虫には感じてしまう。

しかし、さすが鬼の子だけあって、吐いた糸が弾をも防ぐのが強かである。

鎧球

私の大学の母校は、今大騒ぎの日本大学、学部は文理学部哲学科である。日本大学は在校生が約7.5万人を数え、卒業生に至っては百二十万人以上にのぼる上、学部ごとに所在地が遠く離れていたりするので、同じ学部でないとなかなか同じ大学の卒業生というという意識を持ちづらい。なにせ工学部なぞは福島の郡山だし、国際人間学部は静岡の三島にあったりする。

私が日本大学を卒業したのは四十年以上前の話であるが、奇跡的に留年せずに四年間で卒業できた。どれだけ奇跡的かというと、卒業式の日、卒業証書をもらいに哲学科の教室に行った私に同級生が、何しに来たのと真顔で訊いてきた。卒業証書をもらいに来たに決まっているだろというと、えーっ卒業できるのと叫んだ。この叫び声が呼び水となって皆が集まり、うそだーっ、うそやろと大騒ぎになった。日大の七不思議だという失礼な奴もいた。皆が驚くほど、私は呆れるくらい授業への出席が少なかった、が、要領と運の良さでどうにか無事卒業できたのである。

いくら要領よくやっても、出席日数が足りなければどうしても取れない単位がある。それが体育である。大学生にもなって体育の時間でもあるまいという想いと、学業よりもせっせと夜のアルバイトに精を出し、ほぼ毎日二日酔いの状態であった私にとって、体育の時間は拷問に等しく、当然欠席の連続で四年生になるまで単位を落とし続けていた。

卒業するには、なんとかこの体育の単位を克服しなければならない。とはいえ二日酔いで一年間出席するのは不可能に思えた私に、一筋の光が見えた。それは、夏休みに行なわれる二週間の短期集中の授業があるのを発見したのである。——四年生になるまで知らなかったというのも、どうにかしているのだが。

実施される選択科目をみると、空手・剣道・柔道と武道が多いなかで鎧球(がいきゅう)があった。鎧(よろい)のような防具をつけて競技する球技、つまりアメリカンフットボールのことである。

当時、日本大学といえばアメリカンフットボール、アメリカンフットボールといえば日大フェニックスという時代であった。日大フェニックスは、関東リーグ75年の歴史の中で35回の優勝、学生日本一決定戦の甲子園ボウル21回優勝を誇る名門中の名門である。また、授業の担当教授には篠竹幹夫総監督(1959年—2003年在任)の名前があった。篠竹監督は、その頃すでにアメリカンフットボールの世界では伝説的な存在の人だった。

こりゃいいなと思い、この授業を申し込んだ。後にも先にも実際にアメリカンフットボールという競技に触れることができるのは、この機会を逃したら二度とないだろうという想いと、カリスマ的存在篠竹幹夫の姿を身近に見てみたいという、怖いもの見たさもあった。

結果として授業は面白かった。

授業の一環として、駒沢第二球場で行われた青山学院大学とのプレシーズンマッチの試合観戦(当然、日大の圧勝)があり、実際にアメリカンフットボールの試合を観ることができた。

実技では、ボウルを真っ直ぐに投げることの難しさを知った。まず投げ方を教わった後、8人ほどのグループに分かれ輪になり対角にいる人間と互いに順に投げ合うのだが、輪には必ず手伝いのアメフト部員が一人入る。この部員の投げるボウルは綺麗に横回転しながら真っ直ぐ飛んでくる、しかし、我々のボウルはフニャフニャとみっともなく揺らぎながら、飛ぶというよりは浮遊する。一緒に参加した元高校球児の友人は、授業が終わる二週間後には正しく回転させながら真っ直ぐ投げることができたが、私は終ぞフニャフニャボウルから卒業できなかった。

授業で防具を着けることはなかったが、簡単なフォーメーションプレイは体験できた。当時日大フェニックスのお家芸ともいえるフォーメーションは〈ショットガン・フォーメーション〉で、通常はオフェンスラインのセンターの真後ろでQB(クォーターバック)が股越しにボウルを受けるのだが、日大はQBがワイドレシーバーと同じくらいの位置まで下がってセンターが投げたボウルを受けるというものであった。

当時口髭を生やしていた私の風貌を見て、おう、見た目はQBだなと篠竹監督に言われてポジションに入ったが、第1投目のフニャフニャボウルを見られて、悲しいかな、すぐさまワイドレシーバーのポジションに交代となった。

授業の最終日に行なわれた実技試験は、ワイドレシーバーとなり直線に走り合図があったら振り向きざまボウルをキャッチするのと、同様に合図があったら弧を描いて走りながらボウルを捕るというもので、この時にフェニックスのレギュラーQBがパスを投げてくれたのが嬉しかった。

篠竹監督は、常に鬼のような表情をしている人かなと思ったが、一般学生の授業ということもあり、終始穏やかな表情で時折見せる笑顔が素敵で魅力的だった。ああ普段は鬼でもこの笑顔があれば部員は慕うなと感じた。

篠竹監督の逸話で我々の中で有名であったのは、新入部員は一人ずつ(あるいは全員並んでだったか)篠竹監督の部屋に呼ばれ正座をさせられる。その首筋には日本刀の背が当てられ、篠竹監督がぐっと刀を押し付けながら「これから四年間、お前の命は俺が預かる」と告げられるというものであった。

今なら多分時代錯誤と笑われるだろう。しかし、なんと言われようが、こんな儀式を真剣に新入部員全員にできる監督・大人に私は敬意を払う。やる方もやられる方も生半な覚悟ではできまい。すげえな、おっかねえなと言いながら私たちは、こんなに真剣に自分に向き合ってくれる大人が身近にいる部員を内心羨ましく思っていた。

その日本大学アメリカンフットボール部フェニックスが廃部になるという。数人の部員の大麻使用と逮捕が原因であるというが、どうみても大人の不手際のツケを部員が払わされたかたちだ。成年男子である部員が、おのれの不始末で除籍・退学・逮捕となるのは当然であり、大学はそれを徹底すればよろしい。今後逮捕者が増えようと粛々と処分すれば良いだけの話である。一部の部員の不始末でアメリカンフットボール部自体を廃部とする経緯が全く理解できない。教育の場とは、何か問題が起これば部ごと切り捨てれば良いというものではないだろう。これが一般の学生の中にも大量の逮捕者が広がった場合には、日本大学自体を廃校にでもするというのか。

日本大学がやっていることは、問題を起こした学生およびその周りの学生に向き合わうこともせず切り捨て、おのれの保身のため逃げを打つのみで、本来なら一番必要とされている場面での教育というものを放棄するという態度は自己否定に等しい。
日大フェニックスが、その名の通り不死鳥となって蘇ることを祈っている。

部員と真摯に向き合っていた篠竹幹夫が草場の陰で泣いている。

編緝子_秋山徹