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令和五年 啓蟄

2023年3月6日 ~ 2023年3月20日

パラドックス

病気は病院で作られる

啓蟄_地中で育まれた生命力が、地上に出て蠢く時。

以前も書いたが、〝蠢(うごめ)く〟という字は、その成り立ちが「春に虫虫」とまさに〝啓蟄〟の「蟄虫戸啓/すごもりのむし と をひらく」を表すが、「蠢爾(しゅんじ)/うごめくさま・愚かしい行動」「蠢蠢(しゅんしゅん)/乱れうごめくさま」「蠢動(しゅんどう)暗に策動する」とあまり良い意味で使われない。

この季節の変わり目には、虫とともに病の気も動き出すというありがたくない面もある。痛風の持病がある私は、この季節に発作が出て足が腫れ上がることが多い。

生命力が溢れ清々しい季節に、腫れた足を抱えウーン・ウーン唸る恐れをいだくのは逆説的な違和感・パラドックスを感じる。

夕張パラドックス

前回のコラムで医師の森田洋之の著書『人は家畜になっても生き残る道を選ぶのか?』の一文を紹介したが、この森田洋之という人は、自治体として財政破綻したため医療崩壊をした後に夕張市に入った医師である。

それまで171床あった市立病院の病床数が19床にまで減ってしまった医療現場、そこで森田医師が体験したことは「市民が病院に行くことを極力控えた結果。医療崩壊後の方が死亡率が下がり、理想的な死に方である老衰の死亡率が8%アップし、かつ、健康な市民が増えた」という衝撃的な事実である。

医療が崩壊し市民が病院に行かなくなって元気になったというこの事実は「夕張パラドックス」と呼ばれ、医療の在り方の全国的モデルケースとなった。

夕張市民個々の病気になれないという気の持ちようも大きな要因であろうが、それだけではあるまい。森田医師は考えた「病院は病気を治すのではなく。病気を作っていた」のではないかと—

病床パラドックス

森田医師は著書『人は家畜になっても生き残る道を選ぶのか?』の中で次のように記す。

——考えてみれば、人間の四苦と言われる「生・老・病・死」のうち、病院や医療で解決できるのは「病」だけである。高度に発達した現代の医学をもってしても、自然現象である「老化」や「死」には抗えない。「生」についても大部分の「出産」は医療保険適応外の「自然現象」である。それなのに我々がたどってきた医療の歴史は「生・老・病・死」のすべてを医療の管理下に置き換えてきた過程のようにも思える。「高度医療」を崇拝し「病院」というブラック・ボックスにすべてをおまかせする日本独自の文化は、それまで 主流だった「在宅死」を徐々に減らし、今やもう8割が「病院死」である。一方、先進各国の「病院死」は米国で4割、オランダに至っては3割。 これらの国の国民は、「病」のみへの対処を病院に期待しているのだろう。「生・老・病・死」すべてを病院におまかせする日本の病床数が、米・英など先進各国の約5倍もあるのも納得である。

森田医師が指摘する日本人の病院崇拝、その結果として世界一の病床数を誇る日本ではあるが、今回のコロナ下ではどうだったろう、日本の誇る世界一の病床のうちコロナに対応できる病床数はその1.4%に過ぎない。それはそうであろう、本来の疫病の専門病床が少ないのは自明の理である。では非常時である今回、他の医科病床をコロナ用に転用できたかというと否である。

ドイツなどは、いち早く一般病床をコロナ病床に転用することで、コロナ患者受け入れのための病床不足という事態には陥らず、イタリアやフランスの患者までを受け入れていた。
日本よりも感染者や死亡者の数が圧倒的に多かった国の対応である。
これは、ドイツや欧米諸国の国公立病院と民間病院の割合が8:2なのに対して、日本の場合はその逆で民間が8割に上る。このために指示系統の一本化ができず流動性に欠けることが理由とされるらしい。
世界一の病床数を誇る日本でコロナ対応の病床が大幅に不足しホテルまで病床として利用されるのに対し、日本の五分の一ほどの病床数しかなく、かつ遥かに感染者の多い国で受け入れ病床の数に余裕があるという現実は、まさに〝病床パラドックス〟である。

病気は病院で作られるという事例として、血圧について著書『バカの壁』で知られる東大病院名誉教授の養老孟司は、「いわゆる高血圧や低血圧とされる数値に何ら医学的根拠はありません。これはある一定期間の日本人の血圧を調べて偏差値を設定し、全体の中で数が少なくなる高い数値と低い数値を割り出したに過ぎないんです。人にはそれぞれ、その人にあった血圧の数値がある。だから私は血圧を測らない」と発言している。

また、病院コンサルタントで実際に自身でも病院を経営している友人は「高血圧だからと云って降圧剤を処方し、これで血圧を安定させてください、と言う医者を信じてはダメです。なぜなら異常に血圧が高いというのは何かしらの疾病のサインで火災報知器のようなものです。火災報知を止めただけでは、火は燃え続けています。火元を探り消火しようとしない医者を信じてはいけません。悲しいことに実際にはこういう医者が多いのですが—」と現状を教えてくれる。

解熱剤にしても同様で、高熱が出ているというのは、体内に侵入した悪玉菌などに対し体内治癒力が働いて戦っている証拠。これを解熱剤で下げてしまうというのは、悪玉・敵に加勢しているのと変わらない、という意見も聞いた。

以前のコラムで登場した蕎麦割烹の板前兼オーナーとの四方山話の中で、彼のお母さんが脳梗塞で倒れた時のことがあった。
御歳94歳になる彼のお母さんは、昨年軽い脳梗塞で倒れた。右脳側の梗塞であったため左半身に軽い麻痺が残り、言葉も発しにくくなったので、措置後もそのまま入院となった。麻痺以外は健康だったが、入院を2ヶ月ほど過ぎたあたりからボケが始まり、彼が誰かもわからぬようになった。このままでは不味いと病院側が止めるのを振り切って自宅に戻したところ、現在は、麻痺は残るもののボケは解消して普通に生活を送っているという。自宅に戻したことで、もしかしたら死期は早まってしまったかもしれないが、息子のことも忘れた状態で長く生きることが本人のために良かったとは思わないと、彼は話す。

フレンチ・パラドックス

パラドックスは悪いことばかりではない、ありがたいパラドックスもある。なかでもフレンチ・パラドックスは、動物性脂肪を多く摂取すると心臓病による死亡率が高くなるとされるのに、フランス人は脂肪酸が豊富に含まれる食事をし喫煙率も高いのに心臓病による死亡率が低いという事実である。これはフランス人はワインを多量に消費するため、ワインに含まれるポリフェノールが効果を発揮しているというものである。

フランス人よりも平均寿命が高く心臓病の死亡率も低いイタリアの場合は、ワインに加えてリコピンを多く含むトマトとオレイン酸やリノール酸の含有量の多いオリーブオイルも多量に摂取するため、もはやパラドックスでもなんでもないとなる。

ゆえに私は和食と並びイタリア料理とイタリアワインをこよなく愛す。
それでも、春の季節の変わり目には痛風発作を起こすが、これはパラドックスでもなんでもなくて「過ぎたるは及ばざるが如し」単に飲酒量の問題である。

編緝子_秋山徹