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令和五年 立秋

2023年8月8日 ~ 2023年8月22日

禍はリバーサイド

本末転倒す

放生会のうなぎ

立秋_残暑の中、〈秋〉という字面を見るだけでも、夜が凌ぎやすく感じる時候である。

早朝、お茶を点ててベランダで呑んでいたら、空に白く朧な月が残っていた。〝朝行く月〟と呼ぶそうだ。立秋の朝を〝今朝の秋〟と呼ぶのも最近識った。

〝今朝の秋〟に〝朝行く月〟をお抹茶をいただきながらぼんやり眺める。ああ—爺いになった。

さて、旧暦の八月十六日には各地の神社仏閣で〈放生会/ほうじょうえ〉が行なわれた。大分の八幡総本宮・宇佐神宮、博多の筥崎宮、京都の石清水八幡宮の放生会が有名であるが、新暦に改暦されてからは九月や十月に開催されるようになっている。

「放生会」は[神亀元年(724)「隼人の霊を慰めるため放生会をすべし」との託宣があり、天平16年(744)八幡神は和間(わま)の浜に行幸され、鎮圧された隼人の霊を慰めるため、蜷(にな)や貝を海に放つ「放生会」の祭典がとり行われました。これが「放生会」の始まりです。]と宇佐神宮HPにある。生け捕りにされている魚・鳥を放ち自由にして「生きとし生けるもの」の平安と幸福を願う千年以上続いている祭儀である。

これが江戸時代には、神社仏閣だけではなく庶民の間でも行われるようになり、「放し亀売り」「放し鳥売り」なる商売が生まれた。八月十五日、人々は桶に入れられた〈亀〉や籠に入った〈鳥〉を買い、川や空に放ち功徳を積んだ気になった。「放し鳥売り」の行商が売る鳥はすべて〈雀〉で、それ以外の鳥は売られなかったらしい。ようは八月十五日に合わせてそこらの雀を捕らえ、籠に入れて売り歩いたということで、これで故人の供養になるのかは甚だ怪しい。

鳥や亀と同様に橋の上で売られていたのが〈鰻〉で、この鰻は江戸で〈めそ〉と呼ばれるドジョウほどの細くて小さな鰻であった。この小さな鰻は、買った人間が橋の上から川に向けて放つと水面に打ち付けられて、そのほとんどが死んでしまったという。

先祖の霊を供養するために、捕らえられている生き物を買って自由にして生き物全般の平安と幸福を祈ったつもりが、その結果買った生き物の死を招く。儀礼が形骸化するとこういう事になり、その矛盾に人は鈍感になる。

生き物を慈しんだつもりの行為が、その生き物を殺してしまうという、本来の目的から遠く真逆の結果を生んでしまう。これを本末転倒と呼ぶ。

われわれの社会には本末転倒な事柄が結構な割合で存在し、歳を重ねるごとに厭が応にもそれを目の当たりにすることが増えてしまう。

最近、友人から聞いたそんな本末転倒な話をひとつ。

本末転倒のち因果応報

友人のそのマンションは、県境を流れる川沿いにあった。

もともと彼の両親の住まいであったが、その前年に二人が相次いで亡くなって、彼が引き継いだのだった。

約30年前のバブル期に建築されたこのマンションは、分譲時には購入希望者が殺到して抽選となり、なんとその倍率は20倍以上にもなった。

彼の父親は、このマンションメーカー関連グループの役員をしていたため、倍率に関係なく購入ができ、なおかつ分譲価格も一般の購入者よりも低いものであった。

その立地から名前に「リバーサイド」という冠をつけたマンションは五棟からなり、300世帯が暮らすが、建物の周りにはふんだんに植栽が施されてその規模が目立たないように意匠されている。また四季ごとに植栽は植え替えられ、この景観がマンションのグレードを高いものとし、地域のランドマークとして君臨していた。

バブル期に建てられたマンションらしく、緑に囲まれた余裕のあるアプローチ、大理石がふんだんに使われた広い玄関廻り、ひとつひとつが広めに取られた部屋の間取り、そしてなにより部屋のベランダから富士山が望めるのが友人のお気に入りであった。

定年退職を迎えた彼の二人の子供たちはすでにそれぞれ独立していたので、今回の両親の他界を機に、都心のマンションを引き払って、夫婦で彼の郷里に移り住むことにした。

終の住処のつもりであるので、部屋のリフォームの予算には奮発した。工事は地元で内装会社をやっている幼馴染に頼んだ。コロナで工事の受注が激減していた幼馴染は喜んで引き受けてくれた。

幼馴染とあれこれリフォームのデティールを決めるのは楽しい作業だった。キッチンと浴室は夫人の要望を大いに取り入れて、値は張ったが最新の設備のものにした。

2か月弱の工事期間を終え、無事入居も済ませて落ち着きかけた頃、幼馴染が青い顔をして駆け込んできた。何事かと聞くと、浴室が使えなくなるかもしれないと言う。何事かと問うと、浴室の最新機能にジェットバスが付いているが、ジェットバスはこのマンションでは禁止されている設備であるというのである。では、どうすれば良いのだと聞くと、ジェットバスがついていない浴室に作り直せということらしい。

なぜ、こんな事態になったのか—

そういえば、幼馴染がここは他のマンションに比べてリフォームに関して非常に厳しいというか、細かいことにも煩くて工事がやりにくいと愚痴をこぼしていた。通常1か月ちょっとで終わる工事が2か月弱に伸びたのも。建材や機材の搬入搬出などに作業できる時間帯や養生などに細かい制限があるためだった。

このマンションのリフォーム工事は、まず居住者で組織された管理組合に細かい内容を記した申請書と図面を提出し、マンションの管理を請け負っている会社が内容を専門的にチェックして問題がなければ管理組合の理事会で了承され許可がおりて着工するというプロセスが必要であった。

友人のリフォーム工事もこのプロセスを経て行われたのであるが、夫人の意向を反映した高額なジェットバスを備えた最新設備の浴室の最終的な仕様が決まったのは、資材発注の期限のデッドラインぎりぎりであった。

ここで幼馴染が致命的なミスを犯してしまった。この最初の工事内容からの大幅な仕様変更は、再度申請し許可を得る必要があったのだが、発注を急いでいた幼馴染は、ついこれを怠ってしまった。再度申請をしていれば管理会社のチェックにより、ジェットバスは取り付けられない設備であるという指示があるはずで、今回の事態は出来しなかった。

起こってしまった幼馴染のミスはどうしようもないが、奮発して最新式のものにした浴室を壊すのは偲びないし納得もいかない友人は、マンションの管理会社の責任者にジェットバスが不可である理由を尋ねた。責任者によると、近隣、特に階下の部屋への騒音を防ぐためだという。

今回のジェットバスを不可としているマンションの『改修工事規約』を確認してみると20年前に制定されたものとわかった。そこで友人は浴室のメーカーに連絡して、現在の設備が出す音・振動の数値と20年前のそれの提出を求めたところ、メーカーが騒音振動専門の研究所に依頼して出た数値を送ってきた。

その数値によると、現在の設備が出す音と振動は20年前のものと比べると1/2以下になっており、騒音レベルとしては「深夜の住宅街で気にならないレベル」になっていることがわかった。

友人は、このメーカーからの数値的事実を管理組合に報告書として提出したところ、後日、理事会へ出席して説明をする機会を得ることができた。

規約が作られた20年前の設備であれば、たしかに階下に迷惑となる騒音を出す可能性が大きいが、メーカーの20年の間の技術革新で大幅に騒音問題は改良されており、一般生活において問題となるレベルではない。また、マンションのグレード維持の観点からも、20年前の規約に縛られているがために、最新設備が導入できないというのは、逆にマンションのグレードを毀損しており、これこそ本末転倒ではないかと友人は理事会で力説した。

しかし、理事会からの説明は、20年前と現在のものの性能の違いは理解できるが、現行の規約にジェットバスは不可と明記されている以上、そのカテゴリーに属するものに許可を出すことはできない。これを変更するには、年一回開催される管理組合の総会での了承が必要である。ぜひ、来年の総会前に問題提起されたい。規約が変更できない現状では、浴室の変更工事をやってもらう外ない。これはマンションの諸問題を委託している弁護士にも確認済みである、というものだった。

それでも納得のいかぬ友人が、次はどういう方向性で攻めようかと思案していると—理事会が終わった後に、分譲時から理事を務め数年前からは理事長を歴任しているという、頑固を絵に描いたような老人が近づいてきて、友人にこう言った。

「やあ、〇〇さんの息子さんですか。お父さんには大変お世話になりました。長く管理組合の理事長を務めていただいて、管理組合の運営については私もお父さんから薫陶を受けました。マンションのグレード維持には大変にご尽力されて、特に、リフォームについては厳格で、規則を遵守するよう内装業者に厳しく指導されていましたなあ。」

 

現在、友人の家の浴室にジェットバス機能は無い。
幼馴染の内装会社はこのマンションを出入り禁止となった。浴室の再工事の費用は幼馴染の会社の負担というのもあり踏んだり蹴ったりであった。再工事費用の半分は、こちらが持つよと申し出たが、いや、プロとしてのこちらのミスだからと受け取らなかった。

現在友人は、概ね快適なマンション生活を送っているが、夫人の愚痴は最期の時まで続きそうだ。

親の因果が子に報い、べベンベンベンッ。

編緝子_秋山徹