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令和五年 立春

2023年2月4日 ~ 2023年2月18日

着物で旅する

それは ないだろ!

古都再び

立春_春待つ頃ではあるが、暦だけは春となる。二十四節気は少しずつ季節を先取りする。

冬の中に梅の花を探しに行くことを「探梅(たんばい)」と呼ぶ。雪を被った梅を見つけられれば、清々しい香とともに、冬の装いと小さな春が紅白の景色を色成しているさまを堪能できる。

一月下旬列島を寒波が襲った。今回は西日本それも九州の北部から雪害が報じられた。この寒波が襲う直前の二日間に、中旬の帰郷に引き続いて京都へ行ってきた。実に五年ぶりの古都であるが、冷えた。

京都行きの目的は、コロナ禍で出来なかった前の仕事の後片付けと、この期間会えなかった友人との五年ぶりの呑みであったが、今回はショッキングなことがあった。

まず友人と祇園の小料理屋で待ち合わせて、スッポンをいただいてから(友人の奢りである)、クラブへと繰り出すこととなった。(踊るクラブではなく、綺麗なお姉さんのいるクラブである—念の為。そしてまた当然のごとく友人の奢りなのであった)

友人行きつけの老舗クラブが満席であったので、同系列が最近祇園に新しくオープンさせたクラブに行った。友人も今回初めて行くとのことだった。

クラブに着いて中に入ろうとした時、入り口の外に立っていた黒服が着物姿の私を見て言い放った。
「あのぉ、お客様、着物はちょっと—、スーツで来られているお客様の手前—」
「はあ—!」私は一瞬訳が分からず、戸惑いながらかなり大きな声を出した。
祇園のクラブで着物姿を断られるなどという全く理解不能なことが起こったことに気が動転してしまった。
すごく興奮してしまうと涙が出る癖のある私の目は、もう薄っらと滲んでさえいる。
怒りのままに〈ふざけるなっ〉の「ふっ」と言った時

隣の友人が
「ふざけんじゃない!おまえ京都のモンやないやろ。いつから京都で着物がスーツの下(しも)に立つようになったんや、ええ—、こらぁ—」
と爆発した。
黒服は縮こまっている。中から友人を知る支配人が駆け出してきた。
「あっ〇〇さま、大変失礼しました。彼はオープンのヘルプに〇〇から来ている者でして、粗相いたしました」
「ヘルプもクソもあるかぁ—」収まらぬ友人を丁重に宥めながら、これも駆けつけてきたママが腕をとってソファーへと案内した。

おのれの怒りを代わりに友人に爆発てされ気を抜かれてしまい、うっすら目を赤くして立ち尽くす私の元には支配人がきて「大変ご気分を害してしまいまして申し訳ございませんでした」と頭を下げる。「まさか祇園で着物を着てて追い返されそうになるとは夢にも思わなかった」と皮肉を一言。友人が爆発してしまった分、仕方なく私の方はこれで収めることにした。

ソファーに腰を沈め、まだブツブツいっている友人の手をママがそっと握ってなだめている。
ん-、なんだか面白くないぞ_ラフロイグのロックを仰いだところに「〇〇さんです」と支配人が女の娘を私の隣に——あっ、可愛い!
「〇〇です。よろしくお願いします。何かあったんですか?」
「ううん、なあーんにもないよ〜」——馬鹿である。

この度の「京都祇園倶楽部着物姿入店拒否未遂事件」は、場所が京都であったことがまず第一の衝撃である。このクラブはオープンとしてまだ間もないとはいえ、私以前に着物姿の客が入店しなかったことで、私にこの災難(?)が降りかかった。着物ビジネスの中心地・京都、その一番華やかな夜の街祇園でさえ、それだけ着物姿の男が少ないということだ。

確かに昼間街を歩いてみても以前に比べて男女ともに着物姿をあまり見かけなかった。見かけるのはアジアからきた観光客のカラフルな化繊の着物風姿である。まさか件の黒服には私の着物姿がこの化繊の着物と同じに見えていたとは思わぬが—。もしそう見えていたのなら、私に非があるのだろうが、決してそうでない着こなしをしていた自負がある。なにを隠そう今夜は祇園で呑むので、いつもより上等な羽織姿である。

となると、問題は私を止めようとした黒服の着物に対する認識である。三十代半ばと覚わしき彼は系列の大阪の歓楽街の店から手伝いに来ていた。大阪にも着物姿で来る客はいるだろうに、これまで彼は着物姿の客に接したことがないのだろうか。この系列は高級クラブの部類に入る店である。着物姿で遊ぶ男はここまで減ってしまったのか、と軽い絶望感に襲われた。

私は着物のサンドイッチマンを自負しているので、東京の銀座・赤坂・六本木、名古屋の錦三、大阪の北新地・ミナミ、広島の流川、博多の中州、札幌のススキノなどの歓楽街の料理屋・レストラン・居酒屋・クラブ等々、高級やそうでないを問わず着物で訪ねてきたが、今回この時まで着物姿が理由で断れそうになったことは一度もなかった。むしろ歓迎されることの方が多かったのである。

今回の黒服のような意識の人間が増えてしまうと、我々着物愛好家としては生き辛く世知辛い世の中となってしまいそうである。

我が『麻布御簞笥町倶樂部』のモットー「きものは親爺の武器である」が通用しない時代が来そうで怖くなったので、隣に座る〇〇ちゃんに訊いてみた。
「最近は着物で来るお客さんは少ないの」
「あっ、そういえば、このお店ではお客さまが初めてかもしれません」
「やっぱりそうなんだ。どうですか親爺の着物姿は」
「私好きですよ、お・き・も・の・姿。素敵♡」
と、私の膝にそっと手を置く〇〇ちゃん。
「あっ、そーお。アッハッハ、それでさー ———」
—以下略—

友人もママの丁寧な接待で機嫌が直ったらしい。私に代わり激怒したこのスーツ姿の友人に感謝したいところだが——彼の職業を紹介すれば、京都でも中堅どころの呉服屋の三代目社長である。そう、彼こそは着物のステータスが下がってしまうと一番困ってしまう人間なのである。趣味でヘラヘラと着物を着ている私とは違い。代々着物でおマンマを喰っているプロなのである。着物姿を拒否されようとした瞬間、自らの存在意義に関わる事態に声を荒げるは、私よりずっとずっと彼にその理由があった。

どこの国の公共放送

次の日、雪の影響で遅延した東京行の新幹線の中で、似た話を思い出した。10年ほど前にニューヨーク出身の日本文学研究者で着物愛好家でもある東大大学院教授のロバート ・キャンベル / Robert Campbellさんにインタビューした際である。
「先日NHKで国際政治問題の討論会に呼ばれた際、事前に番組スタッフから当日の服装を訊かれましたので、着物で出演しますと答えました。すると、番組スタッフから〝着物姿はやめてください。この番組は真面目な番組なんです〟と言われたんです。私が、どうして真面目な番組に日本の伝統文化である着物姿がダメなんですか、と尋ねましたら。彼は、とにかくNHKの規定なんです、と言うんです。これで良いのですかね、日本は」
日本の公共放送を標榜する放送局NHKの規定がこれである。呆れ果ててキャンベルさんに返す言葉がなかった。なんら明確な理由も示せず規定だからと恥ずかし気もなく言い切る多分有名国立大出の盆暗である。

祇園の黒服よりももっとタチの悪いこいつらが、公共放送の中枢に居て番組を制作し垂れ流していると思うと背筋の凍る思いがする。

道理でNHKが大好きな田舎の母親が「着物なんか着て帰ってきて、恥ずかしい」と曰うはずである。

 

編緝子_秋山徹