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令和五年 清明

2023年4月5日 ~ 2023年4月19日

色男の詠む歌

あきつしまの花はさくら

清明—草木国土が清々しく明るい時候である。

今年の関東は、例年よりも気温が定まらず冷えた。
しかし、この〝花冷え〟のおかげで、例年よりも開花が早かった分だけ桜をより長く堪能できた。

さくら狩り

俳諧・和歌の世界では〝花〟といえば〝桜〟であり春の季語だが、花と桜は全くのイコールではないという。桜と詠えば植物の桜そのものであるが、花は心の中にある桜の心象風景であるという。実際に肉眼で観たものが〝桜〟、心眼で観た桜の姿が〝花〟とされる。

そう言われれば、たしかに西行の
「春風の 花を散らすと 見る夢は 醒めてもむねの 騒ぐなりけり」
の桜は〝花〟と詠むべきで
「さくら狩 美人の腹や 減却す/ 与謝蕪村」
「桜咲く 大日本ぞ 日本ぞ /小林一茶」
「世の中は 三日見ぬ間の 桜かな /大島蓼太」
は〝桜〟でなければならないだろう。

蕪村の句は〈花見をした美しいひとも腹が減る〉と身も蓋もないが、〝花より団子〟とふざけているところが良い。一茶の場合は〝あんた右翼か〟と言いたくなるほど何のひねりもない。大島のものは、〝物事は移ろいやすいという諺〟として使われてしまっているためか、情緒に欠けている気がするのは私だけであろうか。

私は現代の集団花見が嫌いである。嫌悪しているといっても良い。蕪村の句にある〝さくら狩〟のように、静かに桜を愛でるのなら良いが、桜の樹の下で酒盛りしながらだらしなく大騒ぎしている集団を見ると向っ腹が立つ。

我が家のすぐ横の多摩川沿いには桜並木があり、それは春になると見事な景色を描くが、その時期の週末には花見集団が大挙して集まり騒いでいる。中には満開の桜の枝のすぐ下でバーベキューをやって煙と臭いを撒き散らしている輩も多くいる。

醜悪である。

情緒を肉と野菜とソースの匂いが破壊する。だから私は過去にも、今にも、これからも、どんなに仲の良い人に誘われても集団花見には参加しない。私の花見といえば、人の少ない平日の早い時間か夜桜見物となる。夜の闇に浮かぶ桜は妖しくて誠に良い。

歳を重ねてから、ああ良いなと思った桜を詠んだものに
「さまざまの こと思ひ出す さくらかな」
という松尾芭蕉の句がある。

若い頃は「だからどうした」と思っていたが、歳とともに胸の内に思い出が重なり合って積み上げられると、季節に関係になく、この簡素な句に接するたびに、楽しかったこと、嬉しかったこと、辛かったこと、悲しかったこと、あの恋、この恋を思い出す。この句の良さは、この句に触れた人それぞれに違うものを想起させることにある。一瞬の情景を浮かび上がらせて終わりではなく。この句を入り口として、様々な想ひ出を懐かしむ時間を与えてくれる。

やはり俳句や和歌は平素なものが良い。和歌には前書きや説明書きとして詞書(ことばがき)が添えられるものが多いが、そんな詞書を必要とせず現代人の我々にもすぐにわかるものが、長い年月を経てもなお伝わる。

老若男女だれもが知っていて、わざわざ記すのも躊躇するような次のような句は、これからも長きに渡って残っていくだろう。

「古池や かわず飛び込む水の音/芭蕉」
「やせ蛙 負けるな一茶 これにあり/一茶」
「雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る/一茶」
「春の海 ひねもすのたり のたりかな/蕪村」

文章もそうだが、やはり簡潔で平易なものが良い。

心あまりて言葉足らず

やはり平素に桜を詠んだ和歌に在原業平の
「世の中に たへてさくらの なかりせば 春の心は のどけからまし」
があり、好きな歌である。
千二百年ほど前の和歌であるが、詞書も何も必要のない一直線にこちらの心に届く歌である。

在原業平(825〜880)は平安前期の貴族で、彼の詠んだ歌は『古今和歌集』に三十首が収められており、歌人として「六歌仙・三十六歌仙」のひとりと謳われる。しかし、人々に彼を有名としているのは、その美貌と名だたる色事師であったということだろう。

彼を主人公としたとされる『伊勢物語』(作者不詳/一説には業平とも言われる)は、和歌が散りばめられた恋多き貴族の一代記で、のちの紫式部の『源氏物語』にも影響を与えたとされる。

『伊勢物語』で現在の我々にも馴染みのあるのが、向島の〝言問団子〟である。この団子は「東下りの段」で京都から関東に下った主人公が、隅田川で詠んだ歌にちなみ言問橋で江戸時代末期から作られた。
「名にし負はば 言問わむ 都鳥 わが思う人は ありやなしや」
〈都鳥という名なら尋ねる 都に残してきた愛しき人はどうしているのか〉
上生菓子のように上品な味がする茶(小豆餡)、黄(味噌餡)、白(白餡)の三色の小ぶりの団子は、一年のうち何度か無性に食べたくなり、食べながら傷心の〝業平〟を思うのである。

とまれ、業平の歌には
「からころも きつつなれにし つましあれば はるばる来ぬる たびをしぞ思う」
〈着慣れた唐衣のように慣れ親しんだ妻もあるというのに 遠く旅する我が身の辛さよ〉
「ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」
〈神代の時代にも聞いたことがない 竜田川が真っ赤に括り染めになるとは——これは、竜田川を紅葉が真っ赤に染めている風景が描かれた屏風を見て、 昔の恋を思い起こして、という詞書を読む必要がある〉
などの有名な歌が『古今和歌集』に収められているが、色恋がらみのものが多いのが業平の面目躍如である。しかし、両歌とも高校の古文などで習ったのだが、同じ歌でも勉強で習うと無味乾燥としていたものが、歳と恋愛を重ねると情感に触れてくる。年月とはこうも印象を違えさせるものなのか、それとも教師の力(恋愛)不足か。

業平の名誉のために記すると、業平の歌は、その他の百人一首などの歌に見る〈別れ〉とか〈涙〉とか〈嘆き〉とかいったありふれた言葉を一切使わずに、独白だけで心の機微を表現するという業平独自の世界を持っている点が評価されている。

この業平の歌を「心余りて言葉たらず」と批評した者がいる。それは紀貫之である。

紀貫之は『古今和歌集』の六歌仙を評した仮名序(序文)で「在原業平は、その心あまりて言葉たらず。しぼめる花の、色なくてにほひ残れるがごとし」〈歌に込めた情熱が多すぎて、言葉が足りていなくて表現が不十分であり、しぼんだ花がすでに色褪せているのに香りが残っているようなもの〉と散々な酷評ぶりである。

もっとも『古今和歌集』の序文は、柿本人麿と山部赤人を歌聖とし、二人以外の歌人達はたいしたものではなく、名を挙げるとすれば「六歌仙/僧正遍昭、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大友黒主」くらいのものだというスタンスであるため、六歌仙の評もそれぞれ辛辣で、在原業平の酷評も褒められている範囲にあるようだ。

しかし、業平の歌は「心情が先立って迸(ほとばし)っていて言葉が追い付いておらず、省略と飛躍が多い」のだろうか、業平贔屓の私としては大いに異論がある。もし、業平の歌が言葉足らずであるならば、千二百年の間も皆が知る歌として伝わるであろうか。

先に取り上げた西行や芭蕉・一茶・蕪村と同様に言葉簡素にして、読むものに想像する力を与える歌であろう。色々と策を弄した歌よりも、言葉をそぎ落とし、しかし、ありきたりの言葉を使わず仕上げた歌の方が、人の胸には残る。

では、業平を酷評した紀貫之の歌と彼の遺した『土佐日記』はどうなのか——以下次号

 

編緝子_秋山徹