令和五年 霜降
どんぐりころころ
ドジョウと共にあらん
十三夜お月様
霜降_これから冬にかけて早朝に地上に降る白い結晶体が霜である。露は葉先などに「落ちる」「結ぶ」ものであるが、霜は木々の根元などに固く「置く」「降る」ものだ。子供の頃は、踏むとザクッザクッとなる音が楽しくて霜が降りると嬉しかったものだが、今では霜の降るような寒い朝、年寄りには布団から出るのさえ辛い。
今年の霜降の二日後の10月26日は「十三夜」である。名月を眺める仲秋の名月「十五夜」は旧暦の八月十五日、「十三夜」は旧暦の九月十三日となる。
満月・望月を眺める十五夜と異なり、満月の二日前の満丸に少し足りぬ月を愛でるのが十三夜である。旧暦十月十日の「十日夜(とうかんや)」というものもあるが、こちらは「十五夜」「十三夜」とは違って、月を愛でるのではなく収穫を祝うものである。
日本の暦は、旧暦の明治五(1872)年十二月三日に、この日を明治六年一月一日とすることで太陽暦へと変更された。
月の満ち欠けに従う旧暦の太陰暦は、新月から満月を経て再び新月に至る29日から30日をひと月、その十二ヶ月を一年とした。従って太陽暦よりも一年が十日ほど短いため、三年に一度同じ月を二度くりかえすという閏月を設けた。
街灯のないむかしに、月明かりは唯一の照明であった。
提灯では心許無い闇夜に、人は外出せず家に篭った。月の無い夜、表は魑魅魍魎たちの世界だった。
歌舞伎や舞台、映画、テレビの『忠臣蔵』討入りの場面では結構な雪が降っているが、これは討ち入りの情景を盛り上げるための舞台演出であって、元禄十五(1702)年十二月十四日は満月の前夜で晴れており、煌々と月明かりが吉良邸を照らしていたというのが史実であるという。こんこんと雪の降る闇夜に討ち入りを決行するのは不可能だったのである。
旧暦の太陰暦は月の満ち欠けと月日が一致するのでわかりやすい。新月から三日で出る「三日月」より二日を遡れば月の一日となって一日の別名が「朔日(ついたち)」である。特に八月一日は「八朔(はっさく)」と呼ばれ、日頃お世話になっている人に贈答する習慣があり、現在でも京都祇園の舞妓は、この日に盛装をして稽古事のお師匠さん宅を巡り日頃のお礼をして廻る。
まんまるお月様に明るい十五夜は、冬でも夏でも人々にとって待ち遠しいものだったろう。なかでも八月十五日の望月を「仲秋の名月」と特別に愛でるようになったのは、やはり中国の習慣だったようで、唐代の詩人白楽天の詩に
三五夜中新月色
二千里外故人心
〈三五は十五で、十五夜に出た月色(月光)に遠き(二千里)友人の心を思う〉がある。
日本では、平安時代にはすでに「仲秋の名月」という習慣があって『源氏物語』にその記述があるようだ。
人は、太陽に動物や人が棲む姿を想像することはないが、月には容易に想像してしまう。様々な形をとる雲同様、月の斑ら模様は人に色々と想いを巡らせる。日本人は月の模様がウサギが杵で餅をついているように見た。これが日本だけかと思ったら、この模様を月兎と見る現象は中国、モンゴルやインド、果ては中米地域にもあるという。
平安時代にはかぐや姫の『竹取物語』が作られているように、月に棲まう人と場所を想像した。太陽をぼんやり眺めることはできないが、人は月を眺め想いを巡らすのである。その月に到達して、ボコボコのクレーターだらけの姿を晒したアメリカ・アポロ計画の罪は重かろう。
必要ですか〝幻の三番〟
秋が深まると、樹木の枝の下に「どんぐり」が落ちる頃となる。細長く先がトンがっているものや丸いものを拾って集めるのが子供の頃の楽しみだった。どんぐりの実の一部を削り穴を開けて、中身をくりぬいて出した殻に口を当てて笛のように吹いたりした。私は、なかなか上手に作ることができなかったが、やたらにこの笛を作るのがうまい友達がいて、よく作ってもらったのを、この時期になると思い出す。
日本で幼少期を過ごしたならば童謡・唱歌の「どんぐりころころ/作詞 青木存義:作曲 梁田貞」を唄わなかった人は恐らくいないだろう。
どんぐりころころ ドンブリコ
お池にはまって さあ大変
どじょうが出て来て こんにちは
坊ちゃん一緒に 遊びましょう
どんぐりころころ よろこんで
しばらく一緒に 遊んだが
やっぱりお山が 恋しいと
泣いてはどじょうを 困らせた
我々が知る「どんぐりころころ」の歌詞はここまでであるが、〝幻の三番〟というのがあって
どんぐりころころ 泣いてたら
仲良しこりすが とんできて
落ち葉にくるんで おんぶして
急いでお山に 連れてった
というものらしい。これは青木存義の作詞ではなくて、岩河三郎という作曲家が1986(昭和61)年に付け加えたものだという。歌がさみしいまま終わるのではどんぐりが可哀想だというので、優しいハッピーエンドにしたということだ。
しかし、小リスがおんぶして山に戻したという付け足しの三番が、本当にどんぐりに対して優しいものだろうか。どんぐりを子供と擬人化したものならば、「池」はやがてその子供が通い一員となる〝保育園や幼稚園、小学校、中学校、高校、大学〟などの学校、のち〝勤め先〟などの〝社会〟ということになろう。その「池」から出して〝落ち葉に包んでおんぶして山に帰す〟のはいかがなものだろう。ドジョウというせっかくの友人から引き離しては、社会性を身につけて成長するという過程を奪いはしないだろうか。
家庭の中にいた全くの「個」から、保育園なり幼稚園の「社会=池」に加わる時、最初の数日間は子供にとって辛い期間となる。初めて両親から離されて、一人で見知らぬ世界に放り込まれる。心細く、寂しくて怖さもある、早くお家に帰りたい。どんぐりが泣いてドジョウを困らせる場面である。ところが通常の場合、数日で子供は馴れ、保育園に行くことをあれだけ嫌がっていた子供が、園に着くなりこちらを振り返ることもなく友達のもとに駆け寄っていく。こちらが拍子抜けするくらいあっという間に馴染んでしまうのである。
親にとっては、微笑ましくも、我が子に逞しさが備わったことに安堵し、その成長に嬉しさが湧いてくる瞬間ではないだろうか。
この過程を奪い〝落ち葉に包んでおんぶして山に帰す〟のは決して優しさではなかろう。似非な思いやりで思慮不足であるといえる。大人が子供に対する真っ当な態度とは言えまい。元の二番までを作詞した青木存義も、どんぐり=子供のために敢えて泣いたままで終わらせたのではなかろうか。私には付け足された三番は、全くの蛇足に思えてならない。
たかが童謡に大げさなと言うなかれ。三番が受け足された時期が平成直前の、子供の能力差を顧みず皆全て平等にみたいな教育。運動会の駆けっこでゴールした全員を並べて「はい!全員一番」とした馬鹿な時代の気持ち悪さを、この三番に感じてしまうのである。
私は、政府・お上、文部省、教育委員会、日教組を全く信じぬ。昨今、小学校で英語の授業が行なわれているし、これからも英語授業のコマ数が増える傾向にあるという。
前に記した、二十四節気の霜降、お月様、どんぐりころころは国語が元である。日本文化を正しく教わり伝えるには、国語力は必要不可欠である。
異文化とのコミュニケーション・ツールとしての英会話の需要が増えることは結構なことであろうが。
よもや国語の時間を削るのではなかろうな。
編緝子_秋山徹