1. HOME
  2. 24節気に想ふ
  3. 令和五年 小暑

令和五年 小暑

2023年7月7日 ~ 2023年7月22日

澤瀉屋ッ!

澤瀉屋ッ!

遊女もねたり

小暑_梅雨がひと段落して、農作業に区切りがつく頃。白南風が夏を運んでくる。

六月晦日の〈夏越の大祓〉、七月二日〈半夏生〉、七日〈小暑/七夕〉、十日〈四万六千日/ほおずき市〉と半年の区切りには行事が続く。

七夕には〈天の川〉であるが、新暦の七月には完全に梅雨が明け切らず、空が曇って天の川が見えぬことが多い。人生のうち天の川をはっきりと観たのは、子供の頃だけではなかったろうか。大人になると夜空の曇りだけでなく、天の川を愛でようという余裕すらなくなり、心が曇っていたようだ。とはいえ、七夕に天の川を期待する今の私の心が晴れているわけでもあるまいが。

天の川を詠った句に芭蕉の
—荒海や 佐渡によこたう 天の川
がある。
これは『奥の細道』の新潟県出雲崎町あたりで詠まれたとされる句であるが、夜空にたおやかに横たわり光輝く天の川と荒々しく猛る佐渡の海のコントラストが、雄大な日本海の風景を想起させる。

この次の宿・市振宿(現在の新潟県糸魚川市)で詠んだものが
—一家(ひとつや)に 遊女もねたり 萩と月
すわ睦ごとかと期待したら、単に旅の遊女達と同宿であったということらしいが、折しも庭の萩には月光が差している。と結ぶあたりは、芭蕉も胸のあたりが、わさわさとしたということか。

先日、十数年ぶりに歌舞伎座で歌舞伎を観た。
2013年に歌舞伎座が新しくなってから初めての観劇である。
そもそも我が人生で歌舞伎を観たのは、今回で六回目であるので、人には「観たことがある」と言える程度である。
また、六回のうち半分の三回は、仕事関係で来日したイタリア人を「一幕見席」に連れて行った時であるので、これは観た回数に数えるのも憚れるものだ。

歌舞伎〝ちょい噛み〟

一幕見席」は文字通り一幕のみ観ることのできる席で、歌舞伎座の四階にある。「一幕見席」を観るには一階左端の専用窓口でチケットを購入して直接四階に上がるのである。当然、一般席のある一階から三階には入場できない。
「一幕見席」の代金は、この六月から販売されるようになった指定席で800円から高くて1900円と安価である。
値段の違いは、演目の各幕の時間による。〈令和五年「七月歌舞伎」の例
席は狭くて少し観辛いが、一時間弱、本物の歌舞伎を体験できるのだから仕事で来日している外国の人間には好評であった。
ご存知のように、歌舞伎の「昼の部」「夜の部」をちゃんと観ようとすれば、30分の休憩を含めて各々約四時間半ほどかかり、ほぼ半日が潰れる。ましてや高価なチケットを取るのも大変である。
仕事で来日している者にはハードルが高いし、彼らにとってもよく内容のわからない歌舞伎に半日を費やすのも苦痛であろうと思われた。

四階の売店には英語のパンフレットが販売されているので(残念ながら英語のイヤホンガイドはない)、これを買って渡しておけば、こちらも詳しくもない歌舞伎の所作や演目を説明しなくとも良いので楽チンであった。
故に、アポイントとアポイントの間の時間が妙に開いてしまった場合などに利用させてもらったものである。

しかし、この時観た演目はとんと覚えていない。当たり前といえば当たり前かもしれないが、やはり一幕だけでは歌舞伎は頭に残らぬらしい。

老役者の憂鬱

さて、今回の舞台は七月大歌舞伎「昼の部」鶴屋南北が『菊宴月白波』の初日公演である。
題名の〝菊宴月〟は、この芝居が重陽の節句に初演されたため、重陽に愛でる〝菊〟と〝月〟が入り、物語の主役が泥棒であるため〝白波〟となった。(——と、イヤホンガイドで聴いた)
この演目を聞いて、ピンときた人がいるかもしれない。そうこれは、いま大騒動を引き起こしている四代目市川猿之助が演出・主役の〈斧定九郎〉を務めるはずだった舞台の初日である。
休演した猿之助の代役は従兄弟の市川中車(香川照之)が務めた。
猿之助の騒動については何も述べぬ。ただ、これが母親の介護が主たる原因とすれば、まことに悲しい出来事である。

で、舞台の感想であるが。香川は大いに頑張っていた。しかし、〝大いなる頑張り〟以上のものではなかったと歌舞伎に明かるくない素人の目にも見えた。

もともと香川は、助演の仏権兵衛(実は垣坂三平)という役だったものが、猿之助の事件が出来し急遽代役を務めることになって、稽古の時間もごくごく限られたものだったろう。だが、代役を務めると決めた時点で観客にとっては関係のないことだ。

歌舞伎の主役を張るこのクラスの役者は、何年も脇を務めて歌舞伎の舞台の匂いが体に染み込んでいる。俳優から歌舞伎役者の道に入ってまだ十年という短い経験しかない香川に大演目の主役を張らせるのは無理がある。

一方、五歳で初お目見得、八歳で二代目亀治郎を襲名して初舞台を踏んでいる猿之助の四十年以上のキャリアとは比べようもない。いかに俳優として一流であろうが、歌舞伎役者としては、猿之助と香川では格が違いすぎる。

それは香川自身が一番承知していることであろう。

舞台では、どうしようもないキャリアの浅さが露呈してしまっていたが(それが証拠に大向こうから「澤瀉屋(おもだかや)ッ!」の掛け声が一度もかからなかった)、それは致し方のないことで、香川に十年以上のものを望むのは酷というものであろうし、気の毒にも思える。

しかし、元々が河原者(非人)とされていた役者が演じる大衆芸能〈歌舞伎〉であれば、世を騒がせている大名跡と、その代役を務める経験浅き縁戚者の演技を面白がって観に行くというのも、ある種正しい楽しみ方かもしれない。

この点において、テレビの製作者は呆れるほど〝下世話な面白がり〟の姿勢に従順である。舞台を終えた歌舞伎座の前には、各局のテレビカメラ5台ほどが待ち構え、観終えたばかりの観客にインタビューを行なっていて、さっそく夕方のニュース番組で流されていた。

今回私が観た席は、二階中央寄りの最前列というまことに良い席で、普段なら予約するのに大変苦労するであろう場所であった。そのチケットが知人のそのまた知人に招待券として渡り、廻り廻って私の元に来た。かなり集客に苦労しているのだろうと思われた。

この舞台でおひとり気になった歌舞伎役者さんがいた。「市川寿猿」さんである。寿猿さん、御歳九十三歳とある。〈世話人寿作〉という役柄であったが、舞台上の所作はどう見ても六十歳代くらいにしか見えぬ。私などよりもしっかりと歩を進め、小屋中に響き渡る声で台詞を発する。その矍鑠とした演技にはまことに恐れ入った。

この寿猿さんが、猿之助の件で取材に押しかけた報道陣に「猿之助若旦那の気持ちはご本人しかわかりません。取材に来られてもお応えできません。そっとしておいてください」と沈痛な面持ちで応えたという。

猿之助よ年寄りを悲しませるな。
マスコミよ、年寄りに追い打ちをかけるな。

編緝子_秋山徹