令和五年 秋分
老舗二題
あのー、注文は?
郷里の老舗
秋分_うかうかとしている間に、また季節の変わり目となった。「後(のち)の彼岸」の中日(ちゅうにち)でもある。
我が家代々の墓は遠く九州の田舎にあるのを言い訳に、墓参りをサボるという長年の不徳を延長するしかない。昨日、近所の植え込みに真紅の彼岸花が咲いていた。当たり前といえば当たり前であるが、毎年この彼岸の日の前後に彼岸花は必ず咲く。不実な人間とは違い、自然は嘘をつかない。
昼まだ中途半端な蒸し暑さが残り、夜には凌ぎやすくなるという日が続いた。夏の盛りにどっと出た疲れを癒すのに鰻を戴くのも良いが、ジワリと疲れるこういう時期にも鰻で精をつけたいと思うのが、食いしん坊の性である。
先日、近くのスパーに行くと、「夏の土用」の時にも増して食いしん坊に合わせるように「九月もウナギ」というセールを大々的にやっていた。中国の日本産食品輸入制限の影響かしらと思ったが、むしろ鰻は日本が中国から輸入しているので、すぐにそれはないなと思った。
天然うなぎの脂がのるのが初秋から初冬なので、〝旬のはしり〟かとも思うが、どう見ても天然物にしては安すぎる。どこかの商社の輸入担当が注文単位を間違えて大量放出されたのかな、など下衆なことをぼんやり考えいたら、一月に帰郷した際に立ち寄った鰻屋のことを思い出した。
私の郷里で旨い鰻屋といえば二軒の老舗の名が挙がる。一軒は商店街のビルの二階に、もう一軒は歓楽街に一軒屋を構えていた。昔から父親に連れていかれたのが一軒屋の方であったので、郷里に戻った際は必ず立ち寄っていた。
混み合う昼時を避けて、ひと段落した頃合いの二時過ぎくらいに店を訪ねるのが常である。あえて空腹に耐えて旨いものを掻き込むという、自虐的な楽しみを胸に暖簾をくぐった。
注文は決めている。鰻が焼けるまでの間に戴く熱燗と香の物、もしくは季節の小鉢があればそれも良い。鰻は焼けるまでの時間もまたたっとい。周りの席に運ばれてくる鰻の香を嗅ぎながら、確かあの人が私の前に注文したはずだから、いよいよ次は自分の鰻だなとワクワクしながら熱燗を傾ける時間の楽しさよ。
係は私を席に案内し品書きとお茶を置いて「お決まりになった頃に参ります」と告げて行った。すでに注文は決めているがパラパラと品書きをめくってみる私。店内は八割がた埋まっているが、バタバタと忙しいという雰囲気ではなかった。
ある程度時間が経ったので、先ほどの係に目配せでもしようと探すが姿が見当たらない。他の店員がこちらを気にするそぶりもない。後から来た他の客の注文はどんどん取られている。そんな中、テーブルの上の品書きとお茶を前に、ぽつねんとお預けを食った状態の私は10分以上を耐えた。しかし誰一人として注文を取りに来ようとしない。
そうか、私に喰わす鰻はないということか。
私は、席を立ち出口に向かった。途中レジの前に責任者らしき女性がいたので「お茶ご馳走様」と言った。
「はいっ⁈」
「10分待ったけど、誰も注文取りに来てくれないのでお茶だけ飲んで帰るね」
「大変申し訳ございません!」彼女は顔色を変えて謝った。と、次に彼女がどんな行動をとるかと観ている私の前で、その時暖簾をくぐった常連らしい客に「あっ〇〇様、お待ちしておりました」と、こちらには目もくれずに接客を始めた。私は呆れながら店を出た。
馴染み深いあの鰻を食べられなくなるのは大変惜しいが、もう二度とあの鰻屋に行くことはないだろう。
彼らは二つのミスを重ねたと私は思う。ひとつは注文を取り忘れたということ。まあこれは起こりうるミスで私の運が悪かっただけかもしれない。しかし、そのミスを知った責任者が一言謝っただけで何の対処もしなかったことの方が、ミスの度合いとしては大きいと思う。
老舗であれば、馴染み客を一旦待たせても、私に帰ることを翻意するよう丁寧に促すこともできたはずである。老舗の看板を背負った客席責任者としてはお粗末であろうと思った。老舗とは、扱う商品の品質、この店の場合は鰻の旨さであるが、それだけではなく、そこで働く者の気配りをも客に厳しく観られているものであろう。期待しすぎと言われる方もいるかもしれないが、概ね老舗と呼ばれる店の商品は他よりも高い。高い分、繰り返すが客は商品の品質と並んで従業員の所作にも厳しくなるというものである。
現在は九月下旬、八ヶ月前に鰻を喰い損なった話をここに記すは、げに「食べ物の恨みは恐ろしい」ということである。
東京の老舗
これは東京の老舗「虎屋」の話である。
以前住まいが六本木にあったことと、着物で入っても違和感がないということから、外での打ち合わせの際は、東京ミッドタウンの地下にある『虎屋カフェ』を良く使った。
その日は打ち合わせではなく、買い物のついでにふらりと立ち寄った。平日の早い午後だったが混み合っていて、店の外の椅子で少し待たされた。
席に案内されて、お茶を飲みながら品書きを見ると、期間限定で「冷酒と生菓子のセット」というのがあった。
不埒な親爺は昼間からこれを頼むことにした。店は相変わらず混んでいる。
本を読みながら注文したものを待っていたが、少し時間がかかっているなと思った。思ったと同時に責任者らしき女性が現われて「お出しするのが大変遅れて申し訳ございません。ただいますぐにお持ちします」と言うや、ほぼ同時に冷酒と生菓子が運ばれてきた。運んできた係の女性も「申し訳ありませんでした」と謝る。どうも係りの人がオーダーを通すのが通常よりも遅れたらしい。
冷酒と生菓子をいただいて、締めにお抹茶を戴こうと注文した。お抹茶は責任者の女性が運んできて「ご注文が遅れてしまいご迷惑をおかけいたしました。こちらはどうぞお召し上がりください」と言う。お抹茶をいただいて会計をした。抹茶の代金は当然のように付いていなかった。
またある日、いつものように『虎屋カフェ』で打ち合わせをして、住まいに戻ったら部屋の鍵がない。『虎屋カフェ』に電話すると「お預かりしております」と言う返答。どうも打ち合わせ中に万年筆を合切袋から出した際に鍵がこぼれ落ちたようである。
『虎屋カフェ』に戻り鍵を受け取ったが案の定椅子の上に落ちていたらしい。鍵を持ってきた責任者は、私の不注意であったのにも関わらず「鍵を落とされていることをお帰りの前に気がつかず、申し訳ございませんでした」と謝った後、「よろしければお使いください」と虎屋マークの袋を差し出した。中には虎屋オリジナルの小さなメモ帳が入っていた。こちらが恐縮して店を出た。
二十四節気に飾る花は、銀座松屋裏の『野の花 司』で買い求めるため、一緒にしつらう生菓子は帝国ホテル地下の『虎屋』で買う。この時楽しみにしているのは、店先に置いてある銀座百店会が発行している小冊子『銀座百点』をいただくことである。
ご存知の方も多いと思うが、月刊である『銀座百点』は令和五年九月現在で発行826号を数える老舗のような雑誌である。内容は濃く、小野寺文宣の連載小説や、壇ふみのワインについてのエッセイがあり、八月号には横尾忠則と嵐山光三郎の対談が掲載されており盛り沢山である。
銀座百店会に加盟している店舗の店先やレジの前には概ねこの『銀座百点』が置かれ自由にいただくことができる。
しかし今年の六月と七月はタイミングが悪かったのか、店頭にあるはずの『銀座百点』がなく。尋ねると在庫もなくなったとのことであった。
翌八月八日の「立秋」の日、いつものように生菓子を求めに行った。その際も『銀座百点』は店先に無かった。今月もかとがっかりする私に、予約した生菓子が入った箱と一緒に虎屋マークの紙袋が差し出された。中には『銀座百点』の六月・七月・八月号の三冊が入っていた。「取り置きしておきました」と店員さん。諦めていた未読の六月・七月号も手に入り、お礼の言葉とともに足取り軽く『虎屋』を後にする私の背には「わーい」という文字が見えていたであろう。
多くは言うまい。
『虎屋』万歳!
編緝子_秋山徹