1. HOME
  2. 24節気に想ふ
  3. 令和六年 小寒

令和六年 小寒

2024年1月6日 ~ 2024年1月19日

大気冴ゆ、が

災三が日

三枝の礼

小寒_寒の入りである。

元旦の朝、冷んやりとして空気が澄んでいた。こんな「大気冴ゆ」とでも呼ぶような、冴え冴えと澄み切った朝には居間のベランダから富士山が綺麗に見える。天気が良い日に必ず富士山は望めるかというと豈図らんやそうでもなく、風と大気が澄んでいるという条件でないと、なかなか拝めないのである。

正月から縁起が良いと慶びながら雑煮を作った。

雑煮とおせちを鱈腹喰い、とっておきの大吟醸を開け昼間からほろ酔いで、勉強部屋兼寝室の机の前に座った。机はベランダに向けて置いてあり、座ると手すりが丁度目の高さにある。と、手すりに三羽の鳩が等間隔に留まり、互いの顔を見ながら何やら鳩首会議をしているのが伺えた。

さて会議に混ぜてもらうかと、身を乗り出したら、こちらの顔を見て一斉に飛び立って行ってしまった。飛び去る際に真ん中の一羽が手すりに糞を残していきおった。まったく怪しからん奴だ、

「鳩に三枝の礼あり、烏に反哺の孝あり」
(鳩は親鳩より三本下の枝に止まって礼を守る。烏は親鳥から貰った餌を反対に親鳥の口に入れ返すという、鳥にあっても礼儀を重んずべきことのあるたとえ)

という言葉もあるぞ、とブツブツ言っていたら、グラリときた。建物の外壁からグアングアンと嫌な音がする。椅子に座って手すりの鳩の糞を凝視しながら揺れの収まるのを待った。

未だ曾て有ざる

揺れが止まってからスマホの災害情報を見たら「震源地:石川県能登地方・震度7」とあった。時が経つにつれて被害が甚大であることが伝えられた。(1月5日午前現在:死者92名/安否不明者242名、被害の全容は未だ不明で拡大の恐れ)石川には知人が数名いるので安否が心配されたが、この非常時に直接連絡するのも憚れるため、無事を祈って待つしかないなと思っていたら、SNSの安否情報で数名の無事を確認できた。しかし、羽咋の能登上布の工房と、輪島町野町で更紗染色をやっているNさんの安否が不明である。被害が甚大な地区の近くであるので心穏やかにはいられない。

Nさんは、新宿中井の染工房で職人を勤めた後に独立し、東麻布に自身の工房を設けて更紗を染めていた。私は中井の工房時代から取材を通じて彼と親交があり、東麻布に移ってからは、私の事務所兼自宅のある六本木から近いということもあり度々呑んだ。いくつかの染めも頼んだ。東麻布の工房の建物が取り壊されることとなり、輪島に移り住んだのが5年前である。古い民家に倉と倉庫が付属した格安の物件を、輪島から車で30分ほど離れた場所に見つけて工房を開いた。移住のタイミングで嫁さんも迎えた。

最近では、有名呉服店での展示会やNHKの番組『美の壷』でも紹介されて、彼の作品が認められてきたところである。昨年の11月に日本橋で催された展示会で久々に会いゆっくり話ができたばかりである。年末に能登地方に大雪が降った際は、近隣に孤立地区が出たというニュースを見てメールをしたら、彼の工房は大丈夫だったが一晩で腰の高さまで雪が積もって、移住して一番雪が降ったと写真とともに返信が来たが、今回は未だ返信もない。非常時なのでネットを見る余裕も送る手段も奪われているのであろうが、木造の古民家であることや、火災がなかったかが気がかりである。

そんな中、ネットで地震関連のニュース映像を観ていたら、被災地で炊き出しのボランティアが暖かい食べ物を配布していて、被災者が長い行列で並んでいる映像があった。そのボランティアの中に知人の女性の姿があった。金沢市内で飲食店を営んでいる人である。こういう時に瞬時に活動できる人を尊敬する。遠いところで能書きを言うだけの我が身が恥ずかしい。

地震の翌2日には、被災地に物資を運ぼうとしていた海上保安庁の輸送機と日航機が衝突し、海上保安庁の輸送機の乗員5名が亡くなるという痛ましい事故も起こった。日航機の乗客全員が無事であったのが何よりの救いである。

地震関連ではないが、3日には我が郷里北九州小倉のアーケード商店街『銀天街』に隣接する食堂街で大規模火災が発生し35棟近くが全焼した。『銀天街』あ日本初のアーケード商店街で、それだけに建物は古い。特に火災のあった食堂街は昔ながらの風情を残した町並みで、ほとんどが木造建築であったため一気に燃え広がった。

正月の三が日に、こう立て続けに災いが起こると、心穏やかではない。

政府が災害支援として予備費から40億円を拠出すると発表した。当然これからも金額は増えるだろうが。昨年末ウクライナへ6000円億の支援を発表した政府ならば、国内の未曾有の災害に拠出する支援金は、被災者がとりあえず安心できる金額を最初から発表できないものか。これに比し、大谷翔平とドジャーズが発表した寄付金額が1億4000万円である。なんだかバランスがおかしくないか。

政治は国民に安全と安心を与えるのが仕事である。政治家の使命は、国民に夢と希望を与えることである。まず十分な金額を提示して被災者に勇気を与えるべきである。
予算が手当できていないから大きな金額を発表できないというのは、役所仕事がすぎると思うのだが。

俺が責任を持って予算をつけるというのが総理大臣だろう。所詮、パー券のキックバックを貰って喜んでいる小物政治家の集団の親玉には無理な話か。

災い続きの中での今回のコラムは、この辺で失礼。

1月6日夕刻に、Nさんが無事で避難所にいるという確認が取れたと共通の知人から連絡があった。とりあえず安堵した。

編緝子_秋山徹