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令和六年 小満

2024年5月20日 ~ 2024年6月4日

日本人はどこ

温泉宿に想ふ

雨上がり

小満_陽気が高揚し、万物が満ち満ちて、草木が成長する頃。

4月の下旬と5月の中旬、家人のお供で(お供というところが寂しい)、箱根・強羅と湯河原の温泉旅館に宿泊した。両日とも生憎小雨の中の訪問であったが、葉桜や若楓に山萌える時期の小雨というのは、樹木を一層映えて美しくさせる。宿の露天風呂から眺める万緑の山々は眼福となる。

「雨上がりほど撮影に絶好の時はない」と聴いたのは風景を専門とする写真家からだった。雨露に濡れた草木ほど精気を放つものはなく写真家からすれば極上のシャッターチャンスとなるそうである。

よく取材先で「今日はよく晴れて撮影日和で良かったですね」などと言われるが、ピーカンに晴れた日ほど撮影に不向きな日はない。まず強い陽光で色が飛んでしまい奥行きのない写真になってしまう。何度、撮影現場で雲に太陽が隠れるのを待った事だろう。

この写真家には幾度となく取材で撮影してもらったが、二人で行くと必ず小雨が降って絶好の撮影日和となった。撮影自体ができないという激しい雨でないところが絶妙であった。

木々に覆われた柳生街道、山辺の道の柿青葉、奄美大島の蘇轍群、ブナの森白神産地、山間の玉川温泉などなど、今でも脳裏に残る緑の記憶である。特に、徳島の秘境・祖谷(いや)で小雨降る早朝に、古民家の茅葺き屋根から漏れる囲炉裏端の煙を撮った時は幻想的な景色絵となった。雨に濡そぼりながら、カメラと写真家に傘を指し続けた事も苦にならなかった。

とまれ、温泉宿に戻る。

二軒の旅館のうち箱根・強羅の旅館は、全国に知られる老舗旅館で、私自身くたばる前に泊まれるとは思っておらず、良い冥土の土産になった。この旅館の室礼や料理、スタッフのサービスは申し分ないものだったが、期待値が高すぎたためか、こちらが驚くようなモノはなかった。それだけ、何につけても不満を感じることのない安定・安心感があることが流石というべきか。

二点だけ挙げれば、部屋に設けられた露天風呂が真湯で温泉でなかったこと(二階より上階の部屋は真湯であるとHPに記載があるので、こちらの確認不足であると判明した)。そこから眺める庭園の中の避難用はしごが納まった鉄製の箱が剥き出しで汚れていたことぐらいか。

ただ、この旅館で驚いたことは、宿泊客に欧米人が多いことであった。いや、実は館内で日本人の夫婦連れ(これは会話から日本人と確認した)以外は欧米人にしか会わなかったのである。休憩処のサロンでも、バーでも利用しているのは欧米人ばかりである。いずれも五・六人のグループが多い。

夕飯前に大浴場に入った際、出てきたばかりの三人とすれ違い、中で先に入っていたのが一人、後から入ってきたのが一人。いずれも欧米人で皆が始終笑顔であったのが印象的だった。宿泊中三度大浴場に行ったが、最初以外は私一人の貸切であったのには驚いた。

女風呂について連れに聞いたところによると、彼女も三度大浴場に入ったが、やはり欧米人が一人いるかいないかの貸切状態で、うち一人は水着を着て入っていたという(旅館の規則では水着はNGらしい)。

中居さんにこれを確かめると、欧米の人の温泉好きは増えているが、人前で裸になるのにはまだまだ抵抗があるらしく、コロナ前に欧米人の宿泊客が九割以上にもなり、ここはどこの国といった状態の時は大浴場が常にガラガラだったという。

ここで新たな疑問が浮かんだ。この旅館のほとんどの部屋は露天風呂付きであるが、先に記したように二階以上の部屋の露天風呂は真湯である。ということは大浴場に入らぬ欧米の宿泊客のほとんどは温泉に入ったのではなく、真湯だけで帰って行ったのであるまいかと。何だか非常に惜しい気がするのは私だけか。

むかし、大戦敗戦後アメリカ軍の上級将校には宿舎として、資産家などの屋敷があてがわれたが、その際、彼らが一番最初にやったことは、庭の石一面に広がった立派な苔をブラシで洗い流した、という話を思い出した。

翌朝のチェックアウトの際には、新たに二十人ほどの欧米人の団体がやってきた—うーん、団体で来るような宿ではないはずだが。

日本人はどこいった。

おい、金を返せ!

五月の湯河原の温泉旅館は、各温泉にある歴史ある老舗の宿で、それなりの室礼・料理・サービスで、良い意味でも悪い意味でも可もなく不可もないものだった。こちらの宿では欧米人は一人も見かけなかった。

この宿の泊まった部屋の床の間の掛け軸に、「尺長寸短(せきちょうすんたん)」とあった。「尺短寸長(せきたんすんちょう)/尺も短きところあり、寸も長きところあり」は以前中国の古典からと教わったことがあって、「大きいものにも短所があり、小さきものにも長所がある」と、須らく物事には長短があり姿形だけで判断できない、と聞いた。しかし、この掛け軸には長短が逆に書かれた「尺長寸短」とある。

中居さんに聴くと、流石に各部屋の掛け軸の文言とその解説が書かれた虎の巻がありますからと、すぐに調べてくれた。それによると「尺は長し寸は短し」の通り「そのままが当然の真理」と書かれているという。一見全くの捻りもないが、掛け軸の書を書いた人(残念ながら作者はわからなかった)「尺短寸長」を念頭において本歌取りではないが逆説的に書いたと思われる。

しかし、最近「尺長寸短/そのままが当然の真理」のごとく、身も蓋もない醜態を晒しているのが政治ではなかろうか。岸田が総理となってからの政府の有り様は酷すぎる。減税を謳った後の増税、インボイス制度、LGBT法案、能登半島地震への対応、裏金問題などなど、それ以前の政治への不信の程度が沸々とした怒りへと益した。床の間の掛け軸から連想して起きた憤りを、外気で冷やそうと露天風呂に使っていて思い出した小噺があった。

陽の当たらぬ人気のない裏通り。
通りを行く老人に拳銃を突きつけ強盗が凄んだ。
「おい、金を出せ!」
すると老人は臆することなく強盗に怒鳴り返した。
「何を言うか!ワシはこの国の国政に長く携わる政治家であるぞ」
それを聞いた強盗は拳銃の撃鉄を起こして静かに言い直した。
「おい、金を返せ!」

今、日本国民は強盗と全く同じ気持ちである。

今回は温泉宿に泊まってつらつら思い浮かんだことを、脈絡なく書いてみた。

編緝子_秋山徹