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ホセ・ムヒカ大統領

2018年12月22日

世界で一番貧しい大統領

José Alberto Mujica Cordano

幸せになるために生まれてきた

ムヒカ大統領曰く「*エピクロス、**セネカ、***アイマラ人たちは、次のように言っています。[貧しい人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、もっともっとと、いくらあっても満足しない人のことだ]と、大切な考え方です。見直すべきは、我々が築いてきた文明のあり方であり、我々の生き方です」
*エピクロス/古代ギリシャの哲学者、快・幸福を人生の目的として唱えたため、彼の名から「エピキュリアン=快楽主義者」という言葉が生まれた。
**セネカ/ルキウス・アンナエウス・セネカ、古代ローマ帝国の哲学者、詩人。
***アイマラ人/インディオの一部民族、南米アンデス地区に住む先住民族。

私は、エピクロスやセネカの思想はわからないが、ムヒカ大統領が引用したという言葉は、まさに仏陀の「知足」そのものである。

ムヒカ大統領は各国代表に豊かさの定義を指し示し、そして環境問題の解決は、実際に起こっている事象ではなく、人間の生き方の根元にこそ問題があり、正すべきだと述べた。

このスピーチの中での含蓄ある発言を拾うと

「発展を続けることが、本当に豊かなのでしょうか。西洋の裕福な社会と同じ傲慢な浪費を70〜80億人に許されるとしたら、地球の資源は足りるのでしょうか」

「私たちは発展するために生まれてきたのではありません。幸せになるために、この地球にやってきたのです」

「発展は幸せの邪魔をしてはならない、発展は〝人生の幸せ〟〝愛〟〝子育て〟〝友達を持つこと〟そして〝必要最低限のもので満足する〟ためにあるべきものなんです。なぜなら、それらこそが一番大切な宝物なのだから」

「現代社会は、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです」

「余計な物を買うために、もっともっとと働いて、人生をすり減らしているのは、消費が〝社会のモーター〟となっているからです」

「リオ+20」のスピーチ以外でも、次のようなムヒカの言葉は心に残る。

「お金を持っていても時間は容赦なく流れていくんだ。物のために生きてはならないんだよ。」

「よく考えてほしい。きみが何かを買うとき、お金で買っているんじゃないってことを。そのお金を得るために費やした時間で、買っているんだよ」

「人間はどうしても必要なものを得るために頑張らなきゃいけない時もある。けれど必要以上のものはいらない。幸せな人生を送るには、重荷を背負ってはならないと思うんだ。長旅に出かけるときと同じさ、長い旅に出かけるときに50kgのリュックを背負っていたら、たとえ色んな物が入っていても歩けない。」

これらの言葉は、まさに禅語の「人間本来無一物」に通ずる。人間は死ぬとき、どんなに財産があっても、あの世に持っていくことはできない。
持っていけるのは魂だけ、魂が貧しければ何もならない。魂が豊かな感性と幸福に満ちたものであるかどうかが、大切なことなのである。

貧しき大統領の本質

ムヒカ大統領が「世界でいちばん貧しい大統領」と呼ばれた理由

大統領給与の90%を社会福祉に寄付し、残りの10%の約十万円(ウルグアイ国民の平均的月収)で生活したこと_これは、大統領は多数派から選ばれたものであるから、多数派と同じレベルの生活をするべきである、という彼の持論から。

上記と同じ理由から、大統領公邸には住まわず自分の質素な農場で暮らし、公用車も使用しなかった。

大統領になった時の個人資産が、むかし友人達から贈られた古い中古車〝フォルクスワーゲン・ビートル〟1台の約18万円だった。
このビートルをアラブの金満家が1億7千万円で買おうと申し出た時、ムヒカは「これを贈ってくれた友人達が悲しむから」と、断ったという話は有名である。

国際会議などの公用で海外に行く飛行機に乗る際は、必ずエコノミー・クラスに搭乗した_海外視察という名の〝物見遊山〟に、公費でビジネスクラスやファーストクラスに乗る何処(どこぞ)の政治家に、爪の垢でも煎じて飲ませたい。

また逸話として、公式の場でも、ネクタイを頑なに締めなかったというのがある。それは、ネクタイが西洋社会から無理矢理に押し付けられたものの〝象徴〟だったからだという。

以上を知ると〝世界でいちばん貧しい〟という形容は、〝本質は世界でいちばん豊かな〟の〈レトリック〉であると、私たちは知る。

何者なのか

ホセ・アルベルト・ムヒカ・コルダーノ( José Alberto Mujica Cordano)は、1935年5月20日ウルグアイの首都モンテビデオの貧しい家庭に生まれた。大学卒業後も家業の畜産や造園を手伝っていた。子供の頃、近隣の日本人移民に造園を教わったことがあり、日本人の勤勉さなどが印象に残っているという。

そんな中、当時革命の起こったキューバを訪れ、チェ・ゲバラの〝どんなデモよりも、一発の銃弾が社会を大きく動かすことがある〟という演説を聞いて衝撃を受け、ウルグアイに戻り、当時南米最強と言われた極左ゲリラ〝トゥパマロス〟に参加する。

やがて組織の中心人物の一人となり、ゲリラ活動を活発に展開するようになる。

企業トップの誘拐や銀行を襲ったりしたが、ムヒカらは決して私利私欲では動かず、当時利権を貪り富を蓄えていた企業のみをターゲットとしていたため、民衆からは人気があり、支持を得ていたという。

そんなムヒカたちの存在に危機感を抱いた政府は、本腰を入れて彼らの粛清に動き、ムヒカの多くの同志が命を落とした。

ムヒカも4度投獄されたが2度脱獄、最後の4度目の投獄では酷い拷問を受け、独房に十数年入れられた。その独房でムヒカは、「武力では何も変わらない」ことを悟る。

過酷な獄中生活を乗り切って釈放された時、彼は「私は、私にひどい扱いをした人間を憎まない。憎しみからは何も生まれない」と語ったという。

釈放後、彼は今までの武力に訴えるゲリラ活動とは全く違う、平和的な政治活動を始める。

ゲリラ当時の同志を結集した彼は、左派の政治団体を結成し、1995年の選挙で初当選を果たし国会議員となる。

その後の2009年11月には大統領選挙に当選し、2010年3月1日から2015年2月末の5年間ウルグアイの第40代大統領を務めた。リオでのスピーチは、大統領就任から2年間を経た時に行われたものである。

ムヒカという人物の稀有なところは、十数年間投獄され辛酸を舐めさせられたにも関わらず、それが〝恨み〟という負の方向に向かわずに、〝赦す〟という悟りの方向に向いたことにある。
これは誰にでもできる容易なことではない。長きに渡る投獄の期間は、ムヒカにとって修験者の修行に比するものであったのかとも思う。

この境地に至ったからこそ、禅宗の高僧のように彼の言葉には虚飾と嘘偽りがなく、凄みがある。

本来宗教とは、人生哲学である。人が人として進むべき道を指し示し、道標/道しるべとなるものである。

ムヒカという人は、机上の学者哲学者ではなくて、荒野の実践哲学者とでも言うべき立派な思想家であり、政治家である。

以前この漫筆「杉原千畝」の項で、その人の行いが立派すぎて、その人の前ではこちらが恥ずかしくなる人〝恥ずかしき人〟という言葉を紹介したが、ムヒカ前大統領も私にとっては〝恥ずかしき人〟のひとりである。

ムヒカ大統領が、地球の裏側でブッダの「知足」と同じ考え方を披瀝したように、真理というものは、宗教・人種・民族・国が違ってもその姿は一つであろう。

それを求めるかどうかで、その人の本質が問われる。

敬虔なキリスト教者であった作家の〝遠藤周作〟は次のように述べている。

「真理はひとつである。それに到達するまでに辿る道(宗教)が違うだけ。辿る道は、仏教であろうと、キリスト教であろうと、イスラム教、どのような宗教であろうとかまわない。そこに到達することが大切なのである」

しかし、皆が宗教に帰依するべきだというのではない。

ムヒカ大統領の言うように、余計な物質を追い求めるのではなく、自分の国の歴史と文化を敬い、そして日本でいえば〝二十四節気の日〟などに花や菓子などを供えて過ぎ行く四季の日々を慈しみ、人生を心穏やかに過ごすことこそが、真理への道と続いているように思える。

しかしながら、平成最後の年の瀬に我が身を振り返れば、いい歳をして〝真理の頂上〟の麓にさえ辿り着いていない有様である。
富士山でいえば裾野の樹海に迷い込んだままであるのが情けない。

編緝子_秋山徹