寒苦鳥
寒苦鳥
キリギリスとお友達?
寒苦鳥
寂れたさまの閑古鳥ではない、仏教の説話にある鳥のお話である。
「ヒマラヤの中腹にある、気候の良い里に住む鳥のこと、昼は花の香に酔い、木陰で木の実を喰んで1日を遊んで楽しく過ごした。
ところが、夜になるとヒマラヤからの冷たい風に凍え、夜を過ごす巣を作っていないことを悔やみ〈夜が明けたら巣を作ろう〉と悲しく鳴いた。
しかし、朝が来て明るい日差しに包まれると、夜の寒さも忘れ、また1日を楽しく遊び、ふたたび夜を迎えると、寒さに鳴いたという」
昼に「無常の身には巣など必要ない」と鳴き、夜に「夜が明けたら巣を作ろう」と鳴くこの寒苦鳥を、仏教では、〝人間の怠け心〟〝仏道を求めない心〟にたとえられる。
という、まさに私のことである。
イソップ物語の「アリとキリギリス」に通じる話でもある。
人間の怠け心を諌める寓話は、時代と洋の東西を問わずということだろう。
本ウェブマガジン『麻布御簞笥町倶樂部』は、二十四節気にあわせて更新している。
ということは、月2回の更新で、その更新と更新の間には14日間ある。
更新は、
〝漫筆〟の二本−「の・ようなもの」「二十四節気に想う」
〝親爺の基準〟の勝沼紳一さん連載「昭和歌謡」
この3本に加えて、着物関連の記事〝特集〟と〝連載〟を2本リリースしていくのが、ウェブマガジン発行当時の予定であった。
編輯子は、勝沼さんの連載を除く4本を14日で仕上げる。
何もなければ1本あたり3日半のペースで仕上げればよいが、
隠居の身とはいえ、悲しいかな、身過ぎ世過ぎの仕事もある。
現実的には2日半に1本が良いところか。
また、漫筆の2本はある程度自由に書くことができるが、着物関係の記事は、間違ったことが書けないので、どうしても資料を確認しながらの制作となる。
2日半では時間がなかなか足りない。
とはいえ、14日間遊びもせずに向き合ったとは言えないことは自分自身が一番よく知っているのである。
いく日かは、「今日こそは」と朝に鳴き、夜には「明日からだ」と鳴いた。
着物関連の記事の更新が遅れに遅れているのは、
ひとえに私の〝寒苦鳥〟のせいである。
以下はノンフィクション、紛うことなき、或る日の寒苦鳥〝私〟である。
よし今日1日で「漫筆−二十四節気に想う」を仕上げるぞと、朝に鳴いた。
書き始めてすぐに、ひとつの表現につまづく。
いくら思い悩み、考えを巡らしても、もともと手持ちの少ない語彙である。
次に辞書類を眺め、検索する。
なにか適切で面白い言葉がないか。
すると探している意味の表現とは関係ないが、素敵な言葉を発見する。
その言葉を使った文章をぼんやりと想像してみる。
あれっ、あの小説に似たような表現があったような。
本棚から小説を探す。
なかなか見つからない。
あっ、ここに読みかけの本があった。
どこまで読んだんだっけ、開いて少し確認しよう。
いーね、面白い。(しばし、読む)
おっと、あの本を探さねば。
(本棚もそろそろ整理しなけりゃな)
やっと、あった。
どのページだったか、
はいはい、この辺りだ。
んー、表現が少し違っていたな、
なになに−−(と、本を読み進め時間が経過し、辺りは暗く)
あれっ、何してたんだっけ。
げっ、書きかけだった。
「あー、誰か助けて」と夜に鳴く。
というこの状態を、『超隠居術』の著者・板崎重盛は、『「秘めごと」礼賛』に次のように書いている
この、一般的には怠惰としか思われない(実際怠惰そのものなのだが)、至福の時間を満喫していると、〈物を書くことの真の意義とは、書かねばと思いつつも、そこから逃れて、余計な本を読んだり、あれこれ思いを巡らせたりして机に向かわずに時を過ごす、この、無為にして豊かな時間にあそぶことそのものにあるのではないか〉
ああ−、この甘言に惑わされてはならない、寒苦鳥になってしまう。
明日からは真面目に−おっといけない−今日からだ、今日からやらねばならない
と、固く思いつつ−文章に引用するため『「秘めごと」礼賛』の本を探していて、
『日本の風俗起源がよくわかる本/樋口清之』『日本映画「監督・俳優」論/萩原健一・絓秀実』(あっ、次回、健さんについて書こう−と思いつく)の2冊を見つけてしまった。(どちらも本当にオススメ)
今、机の上に、それもパソコンの隣にこの2冊が(何故か)置かれている−
本当に、ヤバイ−とまた鳴く寒苦鳥
と、まあ、結局はこの文章自体、更新が遅れてしまった言い訳なのである。
寒苦鳥 懐ぐあいは 閑古鳥