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我がエロス 其の五

2017年11月21日

赤軍と血尿

ヰタ・セクスアリス⑤

十五歳_尾籠な病い

中学二年生の冬、年が明けて来週から期末試験が始まるという頃だった。
ある日の放課後、不良仲間のFから呼ばれて彼の家に遊びに行った。
雪が散らつくとても寒い日だった。
Fの家は両親が共働きでいつも家にいるのは一人っ子のFだけなので、よく仲間が屯ろしていた。
ハンサムでスタイルの良い優男で女の子にモテたFは、タバコや酒はやるがシンナー・ボンドはやらず、遊びはもっぱら女の子だった。
Fは特定の彼女を持たず、絶えず女の子を取っ替え引っ替えしていた。

その日も女の子がひとりいた。
女の子は、仲間内でも股がユルイことで有名な三年生の娘だった。
今日の相手はこの娘らしかったが、モテるFがわざわざこの股がユルくて誰とでも寝そうな娘を選んだのを訝しく思った。

あとでFに聞いたところによると、とにかく廻りの女の子をできるだけモノにしたかったので、股のユルイ娘なら早めに手をつけておきたかったと云った。

そしてその日Fには別の目論見があった。

その目論見を最初に実行するには股のユルイこの娘が最適だと思われた。

その目論見は、自分のセックスを誰かに見てもらい、その誰かのセックスも見てみたい、というものだった。

Fは何人もの女の子と寝るうちに、自分のセックスを誰かに見てもらいたいという願望が強くなり抑えきれなくなったらしい。
それは自意識の高いうぬぼれ屋のFらしい欲望だった。
この欲望を果たすには、股のユルイ娘と童貞ではなくノリの軽い女好きのダチ(——つまり私だが)が必要だったわけである。

そんなこととはつゆ知らず、私がノコノコとやって来た訳である。

Fは悪戯な微笑みを私に投げかけてから、いきなり女の子をベッドに押し倒した。
慌てて出て行こうとする私に「行くなっ、頼むから見ててくれ!」と云った。
女の子も別段嫌がる素振りも見せなかったので、好奇心の強い私は部屋にとどまり、二人の行為を凝視した。

行為自体は所詮中学生のセックスである。
特別何かすごい展開がある訳でもなく事はすぐに終わった。

しかし、今の時代のように中学生が簡単にネットでAV動画を見られる時代ではない。
初めて生で他人のセックスを見た私は昂り興奮していた。
当然股間ははちきれそうにいきり立っている。
多分目は血走っていたのではなかろうか。

女の子から体を離したFは、そんな私を満足そうに見て「やるか?」と聞いた。
もうそれしか頭にない私は、女の子に覆い被さりながら「いいか?」と聞いた。
女の子が「いいよ」と答える前に私は彼女にむしゃぶりついていた。
私が彼女と致すのをタバコを吸いながら見ていたFは、やがて自分の手を股間に持っていってしごき始めた。
私は行為に夢中になりながらも自分でやりだしたFを横目で見て「ずいぶん精の強いやつだな」と思いながらも果てた。

私が果てた後、女の子はベッドから起き上がらずにいた。
私とFは、互いの顔を無言で見ながらタバコを吸った。
女の子の手前もあって「良かったな」「やっちまったな」とも言えずに、交わす言葉を見つけることができないまま、二人は黙ってタバコを吸っていた。
女の子は起き上がって「ねえ、ビールある」と聞いたので、二人の沈黙の時間は終わり、Fは台所にビールを取りに行った。
私は新しいタバコに火をつけて一口吸い彼女に渡した。
彼女はうまそうに一服してからFが持ってきた缶ビールを呑んで私にそれをよこした。
三人で缶ビールを回し呑みしながらまったりしていると、そろそろFの母親が帰ってくる時間が近づいたので、お開きとなった。

期末試験の三日前のことだった。
次の日の朝、小便をする時尿道が痒かった。
しかし、その翌日には激痛が走り血尿が出た。
さらに、いま小便をしたばかりなのにもう小便がしたい。
何度も便所を行き来する羽目になった。
そして小便をするたびに激痛がして血尿が出る。
あまりの痛さに小便器の前で足踏みをした。
足踏みのせいで血尿が便器のあちこちに飛んだ。

期末試験の当日だったが試験どころではないので、かかりつけの医院に駆け込んだ。
診断は〝尿道炎〟であった。
年老いた医師からは、水を控えて安静にしていろと言われた。
水分を摂らないようにして、静かに寝ていたが一向に良くならない。
相変わらず小便をして部屋に戻るともう尿意を催す。
しかし、便所に行っても水分を摂っていないので尿は出ない。
血がポタポタと垂れるだけで、痛い、沁みる、足踏みをするを繰り返した。
酷くなるばかりなので「これは性病か」と総合病院に行くことにした。
総合病院の診断も〝尿道炎〟であった。
しかし対処法が全く違っていた。
水分を沢山摂って動けと言われた。

ああ—わざわざ全く逆のことをやって病状を悪化させていたのであった。
水分を沢山摂って尿を薄くし症状を和らげるところを尿の濃度を濃くしたために余計に尿道を傷つけてしまったらしい。

親からも医師からも何か心当たりはないかと聞かれたが、まさか股のユルい女の子をマワしたのが原因と言えるはずもなく。
分からないと答えたが、親父からは「お前、汚い手で弄んだんじゃないのか」と家族の前で叱責され恥ずかしいやら、情けないやらという思いをした。

総合病院で色々検査するうちに尿に蛋白が出ているのがわかり、慢性腎炎の疑いでしばらく通院する羽目になった。

私は総合病院への通院を嫌った。
それは、まだ14歳であった私は小児科に回され、動物の絵が描かれた診察室でぬいぐるみに囲まれた診察用ベッドに横たわらなければならなかったからである。
自意識の高い思春期の私にとって小児科での診察は屈辱でしかなかった。

期末試験の当日から一週間、私は〝尿道炎〟との格闘で学校を休んだ。
当然、期末試験は全く受けられなかった。
病気が病気だけに「まったくお前は情けない」と親父はカンカンだった。

しかし、私が学校を休んでいた間、世の中ではとんでもない事件が起こっていた。
それが「連合赤軍浅間山荘事件」だった。
過激派の連合赤軍が起こしたあまりにも有名なこの立てこもり事件について詳しく書くつもりはないが、当時の日本人にはショッキングな事件だった。

私が家にいる間中、テレビを点ければ各局この事件の生中継を放送し続けていた。
不謹慎であるが、この歴史的な事件のお陰で病気の私は退屈することなく家で過ごせた—下半身は痛かったが。

浅間山荘の壁に放水とともに巨大な鉄球がぶつけられて壊されるところ。
警官隊突入の瞬間をリアルタイムの生中継で見ることができた。
厳寒の浅間山麓で繰り広げられた警官隊と連合赤軍の攻防は、下半身の痛みとともに私の脳裏に今でも刻み込まれている。

試験開けにようやく登校できる状態に回復できた。
登校するなりFの姿を見つけた私が「あのなーお前なー」と言いかけると、
Fは「あのさー、俺さー一週間休んでて試験全然受けられなかった」と言った。
「えっ、俺もだけど」と〝尿道炎〟の話をしたら、Fも全く同じ症状で休んでいたのたという。

それでは女の子はどうだったのかというと毎日学校に来ていたらしい。
元凶はピンピンしていたのである。
げに女は恐ろしいとこの時思い知らされた。

これで私たちの不埒な遊びは流石に終わりを告げたかというと、さにあらず、その後機会さえあれば私たちは同じ女を抱いた。
思春期といわず幾つになっても男の性的欲求は果てない、酷かった尿道炎の痛みもなんのその、肝心の女の調達は全くFにお任せして、私は欲望を果たすことができた。
女を抱くことにも、女を口説くことにも大いなる悦びを感じるFは、嬉々として女を調達してきた。
この遊びは私たち二人だけの秘め事であり、他の奴が登場してくることはなかった。
Fと私には、互いに同じ女のせいで〝尿道炎〟を患ったという同胞意識というか同じ苦しみを分かち合った戦友のような感情が芽生えていたと思う—もちろん快楽も充分共有していたが。

しかし、我々のこの秘め事にも突然終わりがやってくる。

それは中学三年生の夏休みのことだった。

その日も私とFは、Fが調達して来た高校生の娘と遊んでいた。
暑い日だった。
汗だくになりながら一通りの行為が終わった後、Fが階下へ水風呂を浴びに行く際「この娘、クリトリスがすごく伸びるんだぜ」と、私に耳打ちした。
「へえー」と私はベッドの女の子に「本当?」と聞くと彼女は「うふふ」と笑った。
私はベッドの彼女に脚を広げさせてその股座に顔を突っ込んで、クリトリスを摘んでみた——伸びる、すごく伸びる。
「あー、本当だー」と私が感心していると「あはは」と笑う。
彼女が笑うと同時に陰部が怪しく蠢く、クリトリスをつまんで引っ張るのを繰り返していると「やめてよねー」と笑っていた彼女が「あんっ」と感じ始めた。
陰部が粘液でヌルヌルと淫らに光を放ち出した時、脚がビクンと震え「えっ!」という彼女の声がして、彼女の体が硬直しているのがわかった。
「どうしたの?」と彼女の顔を見るとドアの方を見たまま表情が固まっている。
裸の体をひねってドアの方を見ると、そこには真っ青な顔をして私を睨みつけているFの母親がいた。

いつもより仕事場から早く帰った母親は、複数の人の気配がする息子の部屋を開けて見ると、息子のベッドで見知らぬ女の子が大股びらきをしていて、その股の中に顔を突っ込んでいる私の間抜けな姿がそこにあったのである。

この日以降、私はFの家を出入り禁止となり、Fは非常に厳しい監視の中におかれた。
両親の留守中には近所に住まう母親方のお祖母さんが来てFは監視されることになった。

助かったのは彼の母親が私の親に何も言わないでおいてくれたことだった。
彼は言い訳として、秋山に部屋を貸してくれと頼まれて、貸してやったら勝手に女の子を連れ込んできたので、断ることもできず私が女の子とよろしくやっている間、自分は水風呂を浴びていたと言ったそうである。
母親が信用したかは怪しいが、母親も息子の言葉を信じる振りで母として可愛い息子の純潔(—汚れまくっていたが)を保っていたかったのであろう。
私の親に言うことで事が大きくなり、真相がわかってしまうのは避けたかったのではなかろうか。

私にとってはそれが良かったし助かった。

その後、私たちは別々の高校に進学し、顔を合わせれば挨拶する程度になり、私が高校二年生の冬に退学処分となり隣の県の高校に転校してからは全く交流がなくなった。

のちにFが関西方面の大学に行ったらしいというのを噂で聞いた。

私とFを尿道炎にした娘は、中学を卒業後工場に就職したが二年ほどで辞めて街中のキャバレーで働いていたのを友人が見かけたが、その後の消息はわからない。

尿道炎の傷はかなりあとあとまで違和感が残り、こちらは娘をなかなか忘れさせなかった。

編緝子_秋山徹