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平成四年 冬至

2022年12月22日 ~ 2023年1月5日

『みなさん、さようなら』

様式美とリアリズム

冬至_二至二分四立の中で、夏至と冬至の二至はまさに季節ここに至れりという感がする。

陽の一等長い夏至と、最も短い冬至。それぞれに際(きわ)である。それを終りと採るか始まりとするか。

私は冬至という言葉を聞くと、ぐっと年の瀬なのだと感じ年の終りと感じるが、古の人は〝一陽来復〟と太陽の力が一番弱まるこの日から物事が始まると考えたそうだ。

さてさて、またまた人生の終わりの話である。

映画『楢山節考』

前回のコラムで、〝棄老・姥捨〟の文学作品として深沢七郎の『楢山節考』を取り上げたが、このセンセーショナルな作品に触発されて、早速これを原作とした映画が翌年制作された。監督:木下恵介/主演:田中絹代の『楢山節考』(1958年松竹公開)である。
「東西東西」という黒子の口上から始まるこの作品は、オールスタジオセットで展開され、全編に浄瑠璃と長唄が流れて、遠くの山々は書割という歌舞伎の舞台のような中で進行する。しかし、安っぽい印象は受けない。
木下恵介監督は、様式美の中に哀しみを淡々と包み込んで、対象とはある一定の距離を保つという深沢七郎の作風にもつながる描き方であった。

この作品は、ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門に出品されて『無法松の一生』と金獅子賞を争った。この様式美をゴダールの僚友フランソワ・トリュフォーは絶賛したという。

この時、主人公おりん役の田中絹代は49歳で69歳の老婆を演じたが、老け顔の役作りのため差し歯4本を外して演技したという。もともと差し歯ではなく、この映画のために健康な歯を抜いたという説もある。おりんの息子辰平役を好演した高橋貞二は映画公開の翌年、飲酒運転事故のため33歳の若さで他界している。

私は3歳から4歳の頃、家の斜め前にあった映画館を遊び場としていたが、この映画のラストシーン、おりんが楢山の頂上で雪を被りながら座り、辰平に〝行け、行け〟と手を振って、辰平が転げるように山道を下る場面を暗がりで見て怖くなり、それから当分映画館から足が遠のいた、という記憶が鮮明に残っている。子供心に異様な何物かを感じてしまったのである。

木下作品から下ること25年の1983年には今村昌平監督の『楢山節考』(配給:東映)が公開される。

木下恵介が深沢七郎の原作に忠実に物語を描いているのに対し、今村昌平は同じく深沢の『東北の神武(ずんむ)たち』と『楢山節考』の2本を合わせて脚本を作った。

様式美の木下作品に対し、今村作品はあまりにも生々しくリアリズムを求めている。辰平(緒形拳)とその後妻玉やん(あき竹城)や、おえい(倍賞美津子)と勝蔵(小沢昭一)などの性的描写も多く、中には利助(左とん平)とおかね(清川虹子)なんていうものまである。

また、木下作品のおりんは玉やんが言うように〝おばあやんはいい人〟だが、今村作品のおりんは、孫のけさ吉の嫁松やんが、その夜実家に戻ると殺されるとわかっていながら、わざと行かせて死なせたりと、おりんの一筋縄ではいかない強(したた)かさ、狡猾で残忍な溟(くら)い部分も描いている。

今村作品はカンヌ国際映画祭に出品されて、最高賞であるパルム・ドールを受賞した。

今村作品の主演は坂本スミ子(ラテン歌手としての坂本スミ子に関しては勝沼紳一さん連載の『昭和歌謡』のこちらを参照)、当時息子辰平役の緒形拳が46歳、彼の母親で69歳のおりんを演るために47歳の坂本が、田中絹代と同じように歯を削ったのは有名な話である。

原作に、年老いても歯が丈夫であることを恥じたおりんが自ら火打石で歯を傷つけ「これできれいな年寄りになった」と言う、物語でも印象的なくだりがある。田中絹代も坂本スミ子も、この場面のために歯を抜いたといっても過言ではないだろう。それほど『楢山節考』の物語には、女優の性に訴えてくる熱情のようなものがあるのだろうか。伊藤整が深沢七郎の『楢山節考』を〝僕らの血がこれを読んだときに騒ぐ〟と評したように女優の血を騒がせたか。

イブ・モンタン『愛と宿命の泉』

映像作品で『楢山節考』と同じように、死生観について強く印象に残っているものに、イブ・モンタン晩年の映画『愛と宿命の泉』がある。

この作品は『PART1/フロレット家のジャン(原題:Jean de Florette)』『PART2/泉のマノン』(原題:Manon des Sources)の二部構成からなり、共に1986年公開/日本公開は1988年だが、私が見たのは映画館ではなくその後のテレビ放送でだった。テレビで放映されたのが1991年でこの放送後間もなくイブ・モンタンの訃報が伝えられたため、ずっと遺作だと勘違いしていた。この映画のラストシーンがあまりに印象的で、その直後にイブ・モンタンが死んだのだと思い込んだものだから、なお強く私の心に残っていたのだった。

物語の舞台は南仏の田舎村、隣り合う二軒の家族の愛憎劇である。イブ・モンタンの住む隣の家に、むかし恋仲であった女性の息子が家族で引っ越してくる。この息子はジェラール・ドパルデューが演じている。モンタンはこの息子ドパルデューに執拗に嫌がらせをする。結果、ドパルデューはそれが元で過労死してしまう。
10年後、ドパルデューの娘エマニュエル・ベアールが登場して村人を巻き込んだ騒動へと発展する。そんな中モンタンは、実はドパルデューはかつて恋仲であった隣人の女性と自分との間にできた子供であったことを知る。実の息子を自分のせいで死なせてしまったことを悲嘆したモンタンは、身辺整理を済ませて明日の朝二度と目覚めることのない覚悟でベッドに入り、翌朝見事に冷たくなっている。

私が何を驚いたといって、イブ・モンタンは服毒などしたわけでもなく、自分の意思のみで死んだということだった。人間は意思で死ぬことができるのか。映画の中の設定とはいえ、これは実際にありそうな事だと気付かされたことが衝撃であった。この衝撃を受けた映画を見た数ヶ月後にイブ・モンタンの死を知ったので鮮明な思いが残ったままだった。

『みなさん、さようなら』

さらにもうひとつ、カナダとフランスの合作映画『みなさん、さようなら(原題:Les Invasions barbares)』2003年公開がある。

カナダ・モントリオールに暮らす歴史学の教授レミは、末期ガンで余命幾ばくもないと宣告される。母親のルイーズに頼まれた息子のセバスチャンは、不本意ながら父レミが楽しく最期を迎えられるようにと奔走する。

激痛緩和のためにレミの元愛人の麻薬中毒の娘に依頼してヘロインを用意したりもする。

レミの元には、長く別居している妻のルイーズ、二人の元愛人とそのジャンキーの娘、友人、セバスチャンの婚約者も集まり、終(つい)の日までのひとときを過ごす。

友人の別荘で、致死量のヘロインを点滴で入れて、妻子、愛人、友人たちに囲まれてレミは最期の時を迎える。

いうならば、非合法の安楽死である。この作品を観たときも、ああこういう逝き方もあるのだなと識り、羨ましく思った。私の場合、過去の女性たちに囲まれてというのはご勘弁願いたいが—

この作品は第76回アカデミー賞外国語映画賞などを受賞した。

と、このコラムを書いている最中に、〝辰平の後妻玉やん〟あき竹城の訃報が入った。享年75歳、死因は大腸ガンだそうである。

人は必ず死ぬ。何人たりとも必ず死ぬ。

私も65歳、楢山さまにまいるまで、あと5年である。

編緝子_秋山徹