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坂本スミ子

昭和歌謡_其の八十七

特集「流行歌謡で消されてしまう、〝魂の歌声〟」その1

『たそがれの御堂筋』&『夜が明けて』
by坂本スミ子

 

『カムカムエヴリバディ』

 え~とですねぇ^^;、……冒頭に、ちょいとばっかし、NHKの朝のドラマ(以下・朝ドラ) 絡みの話を書かせてもらいます。朝ドラに、これっぽっちも興味がない皆様方は、スミマセン、〝ここ〟はスルーして下さって結構です。飛ばしても、ちゃんと話は通じるはずですから、ノー・プロブレムです(笑)。

現在の朝ドラは『カムカムエヴリバディ』という作品でしてね。先の大戦で至るところ焼け野原になってしまった、岡山が舞台です。朝ドラに興味がない御仁 は、〝ここ〟はすっ飛ばしているはずですし、内容については省きますが、タイトルの意味は、主人公の女性が、戦前から戦後にかけて聴きまくって来た、 NHKラジオの語学講座である『英語会話』の、テーマ曲の歌詞に因んでいます。

♪~カムカム エヴリバディ ハァデューデュー アンド ハァワァユー~♪  私も子供時代に、お袋の妹である叔母さんが、よく鼻歌で唄ってましたので、うろ覚えながら、今でも記憶しています。

さて本題に入りますが……、前回のコラムがネットにアップされた当日の、ドラマの内容が、朝っぱら(午前8時15分オンエア)15分間まるまる、泣かされっぱ なしでした。

主人公の彼女が、偶然にも町で知り合った進駐軍のアメリカ青年に案内され、軍の施設を訪れれましてね。そこの大広間で催されているクリスマス・パーティの、その、あまりといやぁ、あまりに華やかで賑やかな〝空気〟に、「嗚呼、日 本人は、こんな国に戦を仕掛けて負けたんだ!?」と、絶望的な想いに駆られま す。彼女は岡山の大空襲で、新婚ホヤホヤだった亭主も、実の両親も上の兄貴 も、大切な人を何人も失いました。

「どうして私を、こんな残酷な場所に連れて来たの?」……顔をしかめて帰ろうと する、彼女の耳に、ステージに並ぶ女性コーラス隊が歌唱する、原語の『きよし この夜』が聴こえて来るんですね。この歌唱が、あまりに美しいハーモニーでし て、思わず私の涙腺も緩んでしまった、……というわけです。

ふうむ、歌ってすげぇーなぁ。言葉が通じなくても、その楽曲をご存知なくて も、【ドレミ】のメロディは万国共通。いつの間にか覚えて鼻歌で唄えば、日常の様々な憂さも忘れられる……。

思えば、わが家族は、いつも両親が不仲で、かつ貧乏で、住まいは四畳半二間 で、そりゃ子供心に、理不尽なことばかりが日常にまとわりついておりまし た。……けれど唯一、巷に流れる流行歌謡の数々が、それを片っ端から覚えて口ずさむことが、唯一の〝絆〟だった気がします。

脳天気にも、何かにつけ親父もお袋も妹も、自分の好みの歌謡曲を、それも結構な音量で、てんでに唄いまくるんですね。

特にクリスマス時期になると、年に2度、誕生日とクリスマス当日だけ食べられる、生クリーム仕立てのデコレーションケーキを前に、『きよしこの夜』やら 『赤鼻のトナカイ』やら『サンタが町にやってくる」だのを、もちろん日本語の歌詞で歌唱して……。

そんなこんな、朝ドラの映像を眺めているうちに、半世紀ほど前の記憶をまさ ぐられつつ、知らず目頭を熱くしていたのですが、

別の頁で「お口」にまつわるコラムを載せている、高校の同級生の歯科医・林 も、昼過ぎの再放送で『きよしこの夜』を見聴きし、感銘を受けたようで、「これぞ魂に響く歌声だなぁ。大いに泣かされちまった」と私に告げるんですね。

返す刀で、「それに引き換え、お前の今回のブログ、梓みちよの『メランコ リー」だっけか? あんな程度の歌を、迫力ある歌唱だの、本格的な歌手だの、 さすがに持ち上げ過ぎじゃね?」と、皮肉を込めて批判してくれやがった (笑)……のです。

ふうむ、そうかい。そう来ましたかい。……となれば、私も素直に『梓みちよ特集』を書く気が失せまして^^;。

だったら、こんな切り口は、どないでっしょろ?って訳で、急きょ、昭和歌 謡のビッグスターの中で、本来は〝魂の歌声〟を持っていたはずが、流行歌手としてデビューした途端、レコード会社のプロデューサーやら、所属事務所の社長 やら、海千山千の「芸能のプロ」どもに、〝魂の歌声〟は綺麗サッパリ封印されちまった……というケースを、数例、ご紹介しましょう。今回は、その1発目!!  次回以降も、しばらく続けてみる予定です。

ま、その歌手が、正真正銘、元来は〝魂の歌声〟を持った歌い手だったか?  は、スミマセン、あくまで私の感覚です。私が「そう感じた!!」に過ぎません。

オスミ姉さん

 1発目は、今年の1月23日に、84歳で亡くなった「オスミ姉さん」こと坂本ス ミ子です。

私が生まれる3年前、昭和34年12月に、戦後初めてラテン音楽の本場・メキシコから、当時すでに世界的に超有名なバンド、トリオ・ロス・パンチョスが来日公演を行ったんですね。

トリオ・ロス・パンチョスと聴いて、ピンと来ない方でも、令和の現在、お好きな方はカラオケで熱唱されるはずの、『ラ・マラゲーニャ』、『キサス・キサ ス・キサス』、『ベサメ・ムーチョ』、『キエン・セラ』……これらのタイトルを目にすれば、「あー、あの曲ね!!」となりましょう。

昭和歌謡の巨匠的作曲家、古賀政男の弟子で、たった1人、師匠の名字を芸名に頂戴してデビューした、アントニオ古賀の看板ソング『その名はフジヤマ』(昭和36年発売/作詞: 安井かずみ/作曲:C・ナバーロ)も、オリジナルは彼らの歌唱です。

この日本公演で、日本人2人だけ、前座出演して歌唱を披露することが許され たのが、『赤いグラス』で大ヒットを飛ばしたアイ・ジョージと、坂本スミ子の ご両人です。

論より証拠で、まずは若き日の彼女の歌声を聴いてもらいましょうかね。昭和 40年の大晦日、NHK紅白歌合戦に出場して、ラテンの名曲『グラナダ』を熱唱する〝オスミ姉さん〟です。当時、御年29歳!!  https://www.youtube.com/watch?v=MMASZIFzYMc

でも、彼女の真骨頂といえば、誰がなんと言おうと『エル・クンバンチェロ』です。子供時代に、初めて坂本スミ子の〝これ〟を聴いて、鳥肌が立ちました よ。『グラナダ』と同時期の吹き込み音源があれば、即座にお判りいただけたのですが、なかなか見つからず、ようやく見つけたのが、ジャスト還暦の歌声です。

どうでしょう? 〝魂の歌声〟だと、感じませんかね?

〝オスミ姉さん〟は、大阪は東住吉の出身。生粋バリバリの浪花っ子で、大阪に行きゃあ、どこの家庭にもいそうな、サービス精神旺盛で、口うるさいオカンのイメージが、体付きからみてもピッタリ合います。

日本で数少ない、本格的なラテン歌手の1人として音楽業界の仲間入りし、昭和36年にNHKテレビで始まった、音楽バラエティ番組の元祖『夢であいましょう』の出演者、ならびに主題歌を唄ったことで、一躍、全国のお茶の間でも、坂本スミ子の名前と、持ち前のパワフルな歌声が知れ渡ります。

……ところが、この歌声の持ち主に「オリジナルな歌謡曲を唄わせる」となる と、途端に、つまらんことになっちまう!!んですよね、日本の芸能界というところは。

昭和歌謡としての、彼女のヒット曲といえば、たったの2曲。それも、こんな屁垂れなメロディラインの作品じゃ、これっぽっちも〝魂の歌声〟を活かせねぇじゃんか!! と、私はいつも腹立たしい想いをして聴くことになる、昭和42年2月発売の『たそがれの御堂筋』(作詞:古川益雄/作曲:加藤ヒロシ)と、昭和46年10月21日発売の『夜が明けて』(作詞:なかにし礼/作曲:筒美京平)です。

「たそがれの御堂筋」

♪~御堂筋のたそがれは
若い二人の夢の道
お茶を飲もうか 心斎橋で
踊り明かそう宗右衛門町

送りましょうか 送られましょか
せめて難波の駅までも

今日の二人の思い出を
テール・ランプが見つめてる~♪

「夜が明けて』

♪~夜が明けて 手さぐりをしてみた
ぬけがらのとなりには だれもいない

目をあけて 部屋のなか見てみた
陽がもれる 窓のそば だれもいない

夢を追いかけて
ひとりふかす たばこのけむり
白い 白い~♪

『夜が明けて』は、作詞も作曲も、当時のメチャ売れっ子コンビの作品ですか ら、ムード歌謡の出来とすりゃ、私の評価で、まぁ70点ぐらいじゃないか、と感じますが、

『たそがれの御堂筋』は、そりゃ酷いもんです。大阪のご当地ソングとして、 地元人気もあり、関西を中心に〝そこそこ〟のヒットは飛ばしましたけれど、この楽曲のどこに、彼女の〝魂の歌声〟を発揮する箇所がありましょう?

本人も、生まれ故郷の歌ですから、大事に歌い継いで来たようですが、やは り、この〝間が抜けた〟テンポだと、『エル・クンバンチェロ』並みに、思いっきり伸びやかに声を張り上げられないんでしょうね。

その証拠に、後年、彼女はこれを歌唱する際に、途中から、自分流にアップテンポにアレンジを変えて、楽しげに唄いまくっています。

ふうむ、もったいないなぁ、これだけの超飛び抜けた〝才〟を、日本の芸能界 は飼い殺しにし、かつ、売れなくなってしまえば、……というよりも、地上波の TVで顔を見なくなりゃ、「あの人は今」的な興味しかなくなります。

坂本スミ子がかつて、「ラテンの女王」として燦然と光り輝いていた歴史への リスペクトなど、僅かほども感じられなくなるのですからね。

そんな〝オスミ姉さん〟も、彼岸へ旅立ちました。

今年(令和3年)に逝去された彼女の追悼も兼ねて、3年前、御年81の時の歌唱を、最後に載せておきます。日本歌手協会が主催する、年に一度のフェスティ バルに出演した際の映像で、おそらくは生涯最期のステージ姿になりましょ う。……合掌。

 

 

勝沼紳一 Shinichi Katsunuma

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