令和五年 雨水
〝悪さ〟の先
道徳は風
危険な遊び
雨水_春なのに冬である。冬なのに春でもある。そんな境界線のような季節を東風が吹いて、やがて季節をはっきりさせる。風は強くても弱くても、その空間の空気を変える。
今般、若者(馬鹿者)たちが飲食店でやった〝悪さ〟がSNSで拡散された結果、その飲食企業の株価が下がるなどして大きな問題となっている。
馬鹿者がやった悪さについては〈問題外〉である。
〈問題外〉というのは、行為自体については馬鹿以外の何ものでもないということで、これ自体に議論は毛頭必要ない。しかし、このくらいの馬鹿者は私の若い頃も、またずっとそれ以前からもいた。大きく違ってしまったのは今の馬鹿者にはスマートホンという遊び道具によるSNS配信という下らぬ遊びがあって、これが子供の遊びの範疇を超え、馬鹿者が思いもしなかった結果を生んでしまう世の中になったということだ。
まさに「気違いに刃物」である。
企業側は馬鹿者の謝罪は受けたものの、民事訴訟による賠償請求をする予定だという。当然である。多くの大人が家族を抱えて働く場所を脅かせば、その代償は払わなければならないだろう。
馬鹿者の両親たち、そして彼らが通った学校の教員も大いに指導が至らなかったことを反省すべきであろう。しかし、SNS発信を除いた行為自体で言えば、このくらいのことをやる馬鹿者はいくらでも居るし、また居た。
一方、ネットなどで、本人のみならず学校や両親に対し誹謗中傷を展開するする者たちはどうだろう。彼らは完全に責める方向を間違っている。彼らが責めるべきは自分自身なのである。
私も含め、私たちが皆、馬鹿者が〝悪さ〟をする空気・土壌を作ってしまったことを反省すべきである。それは、近所に住まう者同様に、どんなに離れた地域に住んでいようとも同じである。遊びであっても、そういう類の〝悪さ〟を実社会に晒してしまうようなことをやってはならないという空気を作り出せなかった事を悔いる事である。この空気が国・地方・街、そして当該飲食店に存在していれば、馬鹿者が〝悪さ〟をやろうとした瞬間に「あっ!やっぱりまずいな」と止めただろうに。この空気こそが、その国の道徳であり品格、質というものの判断基準であると考える。しかし、我々は一旦澱んでしまった空気を変えることができる。そう、空気の流れである風を起こして—。
他人を誹謗中傷するのではなく、この類の〝悪さ〟を私は絶対に許さないという気概を強く持ち、それを周りの空気とすることが肝要なことなのである。
このことは「道徳は風」というコラムで以前も書いたことである。
この出来事を連日垂れ流すように報じ、模倣犯を生み出しているマスコミは論外であり、馬鹿者よりタチが悪い。
友垣
そして、今回のことのもうひとつの要素は「友」である。
〝悪さ〟をした当人がいれば、これを撮影した「友」がいる。この「友」が〝悪さ〟を止める者ではなく、同調する者だったことが哀しい。やはり澱んだ空気のなせる技か。
「友」という文字の成り立ちは〈双日〉から為り、曰<祝詞(のりと)や盟誓(固く約束すること)を収める器の上部を開けて中を覗く形>の上に双方の手を置いて誓い合う形を現していて、同志や兄弟間の徳というのが本来の意味で、友情や友誼(ゆうぎ)というのは拡大意義である、と『字通』にある。
飲食店で〝悪さ〟をした馬鹿者の「友」は、〈馬鹿同士〉であるが、そこには徳のかけらもない。
最近、医学的な見地からも「友」の存在は重要であると知った。曰く、「喫煙や飲酒や肥満、運動不足よりも、友人がいないことの方が早死にする」というのである。
それは森田洋之という医師の著書『人は家畜になっても生き残る道を選ぶのか?』にあった。
——以下引用——
2010年に行われたアメリカのブリガムヤング大学のホルトランスタッドという研究者によると、20世紀と21世紀に行われた148の研究(総勢30万人)をメタアナリシス(複数の研究結果を統合)した結果、「タバコを吸わない」「お酒を飲みすぎない」「身体を動かす」「太りすぎない」といった項目よりも、「つながり」があることのほうが寿命を長くする影響力が強い、という結論になったという報告がある。
——中略——
内閣府が日本・アメリカ・ドイツ・スウェーデンの「高齢者」を対象に比較調査を行ったものだ。残念ながら、日本の高齢者は、『地域の活動に参加する人の割合がドイツ・スウェーデンの約半分』『同居の家族以外に頼れる友人がアメリカ・ドイツ・スウェーデンの半分以下』『親しい友人がいない割合が、同3国の2倍以上』という結果だ。(参照:ILCJapan・国際長寿センター日本発行「われらニッポンの75歳」から引用。元データ:内閣府「平成27年度第8回高齢者の生活と意識に関する国際比較調査」調査対象は各国とも75歳から79歳)
「禁酒・禁煙・ダイエット・運動」よりも友人の存在の方が健康には大切だというのは興味深い。どれだけ気持ちのあり方が人間の健康を左右するかということである。長生きと健康と幸せは直結しない。人間がどれだけ幸せに健康で長く生きるかに必要なのは「友」というのは納得である。
友人は大切にせねばならぬと、あらためて顔を浮かべてみるが、はて、果たしてあちらはどうかしら。