令和六年 芒種
ファイン・プレー
オリンピック・イヤー
走り梅雨
芒種_稲など穂先に刺・芒(のぎ)のある作物を植える頃。田植えなど農家が忙しい時期となる。
マンションの植え込みの紫陽花がちらほらと花を咲かせて、梅雨が近いことを知らせる。同じように立葵の花がそろそろ茎の根本に咲きそうである。天辺まで咲いて散る頃になると梅雨が開けるといわれるが、毎年なかなかそうはいかない。
日本は雨の国である。四季折々に変化する風景は雨の恵みによるものである。春夏秋冬それぞれの雨が、自然を育み美しい景観を生み出してきた。日本語には雨の名だけでも百以上あるという。
たとえば、ことし五月下旬から六月の初旬にかけて雨模様であったが、この梅雨前の雨を〝走り梅雨〟と呼ぶそうである。
稲作にとってはとても大切なこの時期の雨であるが、お気に入りの、多摩川河川敷で走り回る保育園児の歓声が聞こえぬのがちと寂しい。
先の清明のコラムで雁風呂(がんぶろ)のことを書いた。その中で雁風呂をテーマにしたサントリー角瓶のコマーシャルを紹介したが、そのコマーシャルで「日本人って不思議だなー」という台詞を言った山口瞳の本が読みたくなり、物置から引っ張り出してきた。
山口瞳は、小さな編集社を経て寿屋(現サントリー)の広告部に入った。この時の先輩に開高健がいる。その後退職して開高同様作家となった。作品に直木賞受賞の『江分利満氏の優雅な生活』や監督:降旗康夫/主演:高倉健で映画化された『居酒屋兆治』などがある。『江分利満氏の優雅な生活』は洋酒メーカーの宣伝マンである中年サラリーマンが主役で作家の実体験と重なる作品である。こちらも監督:岡本喜八/主演:小林桂樹で映画化されている。
また、『週刊新潮』に「男性自身」というタイトルで1963年から31年9ヶ月(1614回)の長きにわたりエッセイを連載している。このエッセイは、衣食住や趣味など生活一般に関して、サラリーマン生活が長かった作家独自の視点が好評であった。私が物置から引っ張り出してきたのは、『私の生活手帖』『最後から二冊目の巻』の二冊で、連載「男性自身」の一部を書籍化したものである。
『私の生活手帖』の中に「スポーツを見る態度」というタイトルの短いものがあった。
人類愛の金メダル
「——スポーツに限らない。私が小説以外で書こうとしていることは、実生活上のファイン・プレーである。それが私の役目であるように思われる。ところが、映画『東京オリンピック/総監督:市川崑』はそうでなかった。もし、去年のオリンピックでファイン・プレーを発見しようとする態度であったならば、ヨットで勝負を投げ出して人命救助にむかったチームを見逃すはずがなかったろう。だから『東京オリンピック』のスタッフたちはスポーツがわからない人たちばかりだろうと考えたのだ——」
東京オリンピックで勝負を投げ出して人命救助に向かったヨットチーム、というのが気になったので調べてみたらJOCのHPに記述があった。
「東京大会(1964)のヨット競技フライングダッチマン級レースは、10月12日から江ノ島のヨットハーバーで行われました。2日目までは穏やかな天候が続いていましたが、3日目の海上は瞬間風速が15メートルにも達するあいにくの荒天でした。
実際にレースがスタートすると、悪天候のために沈没・故障する艇が続出しました。しかしその中で、スウェーデンのラース・キエル、スリグ・キエルの兄弟選手が操縦するハヤマ艇は先頭グループを好調に追い上げていました。しかしそのとき、前を走るダウ/ウィンター組のオーストラリア艇が突風により大きく揺れ、ウィンター選手が海へ投げ出されてしまったのです。ダウ選手はといえば、横倒しになった艇にしがみつくのが精一杯という状況でした。
それに気付いたキエル兄弟は、レースを中断して100メートルも逆走し、ウィンターの救助にあたりました。そして、監視艇がオーストラリア組を助け上げるのを見届けてからレースを再開。結果、11位でのゴールとなりました。
翌日、この一件を報道した新聞記事には「人類愛の金メダル」という見出しが付けられていました。それに対して兄弟は、「海で遭難事故を見つけたら、何を置いても救助に向かうのは海の男として当たり前」と笑顔でコメントしたそうです。」(JOC TEAM JAPAN HPより)
山口瞳の言う日本人の「スポーツを見る態度」が大きく変わったのが、この東京オリンピックからではないかと私は思っている。
それまでの、日本頑張れ!勝て!というナショナリズム一辺倒から、日本人以外の選手でも素晴らしいパフォーマンスであれば純粋にそれを楽しむ、というスタンスに変化したきっかけが東京オリンピックであったように思う。
プロレスが純粋なスポーツといえるかどうかは別として、戦後人々は、空手チョップでバッタバッタとシャーク兄弟をはじめとするアメリカ人レスラーを倒す力道山に、敗戦国の悔しさをはらすヒーロー役を託し夢中になった—その力道山が北朝鮮出身であった、というのがなんとも皮肉な話であるが。
戦後から19年が経過し、復興も進んで日本人に幾ばくかの余裕が生まれた頃合いでの「東京オリンピック」という国際大会は、スポーツを競技自体を純粋に楽しむという概念を日本人に与えたのではないだろうか。
オリンピック当時ボーッとしていた七歳の私でさえ、マラソン裸足の王様アベベ、柔道王アントン・ヘーシンク、体操は東京の恋人チャフラフスカ、100m走の黒い弾丸ボブ・ヘイズをテレビで見て興奮したのを鮮明に覚えているし、60年を経た今でも東京オリンピックといえば、この名前とキャッチフレーズがスッと頭に思い浮かぶのだ。
まさに日本が戦後焼け野原から「衣食住足りて礼節を知る」状態になりつつある頃合いであったのだ。人は、スポーツや山口瞳の言う実生活のファインプレイに目を向られるようになった辺りから、礼節を知るといわれるのではなかろうか。
「本能—家が燃えるときは、人は寝食をすら忘れる。されど灰の上にすわって食べなおす/ニーチェ『善悪の彼岸・箴言と間奏曲』」とあるように、本能によって焼け野原から脱却したその先に礼節は生まれる。
よくサッカーのワールドカップや国際試合などで。日本チームの使用後のロッカーが使用前のように片付けられていたり、試合後観客が客席のゴミを拾ってスタジアムを綺麗に片付けるという行為が、美化されたりする。しかし、これは開催国や相手国などへの尊敬(リスペクト)の念からではなく(ほんの少しはあるが)、ほぼ次戦以降のオラがチームの勝利のためにやっていることである。日本人は森羅万象全てに神は宿るという思想から、スタジアムにはサッカーの女神がいると信じている。試合後のスタジアムを綺麗にすることで、〝サッカーの女神よ我がチームに微笑みたまえ〟という一種の禊(みそぎ)と勝利への祈りを行なっている。よって、スタジアムを綺麗にして去るという行為は、自分たちのみに向けた、自分たちのチームの勝利のみを願うものを日本人の観客、チームスタッフは無意識にやっているに過ぎない。もちろん他から見て美しい行為には違いないが。
兎にも角にも、スポーツの極限に磨かれた技の一瞬は、人の心と魂に刻まれ、あの世には持って行かれぬ金銭よりも本質的に人を豊かにするものである。
今年2024年は7月26日からパリでオリンピックが開催される。さて今回はどんなファイン・プレーが生まれるのか。
編緝子_秋山徹