1. HOME
  2. 24節気に想ふ
  3. 令和六年 穀雨

令和六年 穀雨

2024年4月19日 ~ 2024年5月4日

春雷

雷と雨と花

さくら、さくら

穀雨_春雷と共に恵みの雨の降る時候である。

今春の東京は、気温低く雨天が続き例年よりも桜の開花が遅れた。

東京の開花宣言がなされた後も、棲まう多摩川沿いの桜はなかなか満開とはならず、ようやく見頃となったのは四月も中頃になろうかという時期であった。

同じ街にあっても桜が満開となるには差があるようで、マンションに隣接した道では、例年、他の場所よりも4日から5日ほど早い。その道は長さ約50メートル・幅4メートルほどのどん突きの道で、両側にそれぞれ10本ほどの染井吉野が並んでいる。

他の場所が満開である時には、もう桜吹雪が舞っている。この場所の希有なところは、地形による風の廻り方の仕業であろうか、桜吹雪が吹き溜りのように特定の場所に溜まることなく綺麗に道を覆うことである。浅く積もった雪のように、道全体に桜の花絨毯が敷かれる。ほとんど車が通らぬため絨毯が乱れることもない。

先日この桜の絨毯を眺めに行ったら、近所の保育園の三歳くらいの園児たちが花吹雪と一緒に舞っていた。桜舞い散る中を歓声を上げながら幼児が駆け回る。ある児らは流れる花弁を追い回し、別の児は両手いっぱいに花びらを抱えて上に投げたり、頭から友だちにかけたり、中には花の絨毯の上で転げ回って笑っている児もいる。

ベンチに座ってこの幼な児と花の姿を見ていて、冗談でなく本当に涙が出そうになった—ここは天国か極楽浄土か—危うく永い眠りについてしまうところだった。

意識をこの世に戻して買い物に行き、また桜の絨毯の前のベンチに座った。園児たちの姿はなく、あたりは鎮まり返り静寂の中で桜のみがハラハラと舞っている。と、目の前を桜の塊が跳ねて行くのが見えた。楕円に型なした20枚ほどの花弁が10センチほどの高さに上下して横切っていく。ギョッとしてよくよく見ると、カエルの背に花びらがびっしりと張り付いている。目も塞がれているようで、方向が定まらぬようだったが、やがて側溝までたどり着き中に消えた。私の穏やかな心持ちとは違い、彼(彼女か)にとっては、桜の花弁はいい迷惑だったろう。

1955年から気象庁は靖国神社の桜・染井吉野の標本木で東京の開花日と満開日を観測し発表している。この記録によると1980年代までの桜の開花日は三月の最終週で、満開日が四月の第一週であったが、現在では開花日が三月第三週、満開日が三月最終週と早くなっているらしい。江戸時代の日記などによると、当時の満開日は新暦に換算して四月中旬十四日から十五日だったという。十七世紀初めの日記には四月二十日過ぎという記述もあるという。

満開日が四月の中旬から第一週になるまで1週間早くなるのに、江戸時代から昭和三十年代まで二百年近く要しているのに、四月第一週から三月最終週に早まるまで四十年もかかっていないというのは、温暖化などで自然環境が大幅に変化しているということなのだろう。草木は嘘をつかない、環境が変わればそれに忠実に従うだけだ。

私の世代では桜は入学式の花だったが、わずかの間に今では卒業式の花となってしまったのである。それが今年に限っては季節外れの花冷えとなって、四月の上旬に満開となり入学式の花となった。

そういえば、私たちの大学受験の時くらいまで、地方の受験生のために合格発表の日その成否を代理で見て電報で知らせるというバイトの学生がいた。合格通知が「桜咲く」、不合格が「桜散る」であったのを思い出す。あのバイトはいつまであったのだろう。

雨づくし

日本は雨の国であるという。雨のおかげで四季折々に変化する景観は作られる。また稲作の国である日本に雨は無くてはならぬものである。したがって雨に付けられた名称は多く。百をゆうに超えるという。

春の細く静かに降る雨は「春雨」、しとしとと長く降り続けるのが「地雨」、この地雨が降ったり止んだりしながら長く続くのが「霖雨(りんう)」。〈霖(ながめ)〉はこの一字で長く続く雨を意味するので、春の長雨を「春霖」、秋の長雨を「秋霖」と呼ぶ。

「春霖」と「梅雨」の間に振る〈霖〉が「卯の花腐し」でこれは四月の別称である〈卯(の花)月〉から付けられている。

穀雨のこの時候の春の雨にはさまざまな名がある。穀物を育む雨を「瑞雨(ずいう)」、草木を潤す雨を「甘雨(かんう)」または「滋雨(じう)」、花よ早く咲けと降る雨「催花雨」、菜の花が咲く頃の霖を「菜種梅雨」、百穀を潤す「百の雨」などなどであるが、今年のように気温を下げて桜の開花を遅らせた雨はさしずめ「桜待雨」とでも呼べるか。

「時雨」は初冬の降ったり止んだりする雨であるが、春のにわか雨を「春時雨」と呼び、春時雨は時に春雷を伴う。今年は春雨と共に春雷もたびたび聞いた。穀物を潤し育む雨と共に、雷もまた穀物を育むのはあまり知られていない。

農業の中心が稲作である日本では、むかしから雷が落ちた田圃には〝しめ縄〟を張り巡らせて特別なものとした。

これは、長らく迷信とされてきたが、雷が起こった周りでは窒素が発生し、これが肥料として雨に混じって田圃に降り注ぎ栄養を与えること、また雷は周囲にマイナスイオンを発生させ、あたりを広範囲にわたって殺菌し悪玉菌を殺すことが、近年、科学で解明されている。

雷が落ちれば、稲が肥え、悪い菌を殺して周りの田圃にも良い影響を与えることを、そのメカニズムを抜きにして昔の人は知っていた。
だからこそ、しめ縄で囲って神からの恵みである雷(神鳴り)に感謝をしたのである。

科学は迷信を後追いしているに過ぎない。
科学者が迷信と嗤っていたものに、実は科学的根拠があることを今更ながらに認識しているだけである。

以前のこのコラム「無いものは、なんですか」で二千年前のポンペイのことを書いた。ご存知のようにポンペイは、ヴェスビオ火山の噴火により火砕流が二千年前の街の姿をそのままパッケージして遺した遺跡である。通常の遺跡とは異なり、落書きや選挙関連のポスターなど市井の人々の暮らしぶりをそのまま識ることのできる遺産である。

まだキリスト教が新興宗教に過ぎなかった二千年前のポンペイと現代の我々の生活との違いは何か。それは、たかだか電化製品がないことくらいである。

現代人が夢中になって投稿する〝インスタグラム〟や〝X(ツィッター)〟〝YouTube〟などのネットのSNSも古のポンペイの落書きと全く変わらぬ。人は二千年以上〈進歩〉という幻想に惑わされ続けてきただけである。


編緝子_秋山徹