粋はご法度
Only Good Taste
& The Others
Only Good Taste
& The Others
趣味の良い人
『Only Good Taste & The Others』は、
敬愛する久保田二郎の著書にあったもので、NYのあるバーに掲げられていた看板の文言だという。
直訳すれば〝趣味の良い人だけ、そして、その他の人々〟で〝みなさんどうぞ〟となるが
逆説的に「趣味の良い人だけ」ということが強調されている。
「貴君〈私は趣味が良い〉という自負と自信があるのなら扉を開け」と問うて、少しだけ店の敷居を高くしている。
もちろんシリアスにというよりは、洒落っ気の部分が大いにあるのであるが、ウィットを効かせた看板に、このバーの趣味の良さが現われていて、それが扉を開かんとする者の心に留まり、このバーでは「スマートな客で在らねば」という覚悟をさせる効果がある。
粋を語れば
野暮になる
我が麻布御簞笥町倶樂部の看板もこうありたいと願う。
しかし、他人にこう投げかけるためには、まず己を磨かなければならない。
趣味の良さを人に問えば、それは必ず自分自身に返ってくる。
そこで我々は、このマガジンの場では〝粋〟という言葉を遣わないで物事を語ろうと思う。
〝粋〟という言葉は便利である。
とりあえず〝粋〟という表現で括っておけば、趣味が良いということになってしまいそうである。
そう、〝粋を語れば野暮になる〟と言われるように、これを貫きたい。
その反面〝野暮〟を語ることで、自ずと粋は見えてくるのではなかろうか。
己が己自身を〝粋〟だと思った瞬間、それは〝野暮〟の骨頂であることを知り、
「粋は他人様が決めることで、てめえで言っちゃあ お終めえよ」
を心に刻んでおこう。
一通りの仕事と遊びをこなしてきた大人が、あるものを嗜むとき、持ち物を選ぶとき、
そこには人それぞれの基準と流儀があるはずである。
きもの遊びも然りである。
中途半端では何事も見えては来ない、遊び倒してみようではないか