隠居の流儀
君、人生の
客人となるなかれ
君、人生の
客人となるなかれ
古き良き隠居
「麻布御簞笥町倶樂部」が目指す隠居とは、世間様の向う岸にお気楽に隠れて居る/ハッピー・リタイアメントではなく個々のスキルを社会に還元し、次代の若者に伝えるという使命を持つ、隠れた居士(隠れ現役)となることである。
ジャンルは問わない、それが学術的な知識であろうが、伝統文化やその技術、はたまた錬金術でも遊び事でも良いではないか。
〝次世代に何かを遺し、さっさと居なくなる〟
これが「親爺きもの」「親爺の基準」「美丈夫」各項に共通して流れる弊誌のコンセプトである。
地方公務員だった編輯子の父親は、55歳になると早々と退職し、趣味の人となった。
職を辞してからは日々能面を打ち、週末には友人と謡いを唸り、碁を囲み、酒を酌み交わして20年を過ごし、75歳で他界した。
父のたったひとつの計算違いは、性根の定まらぬ不出来な息子をいつまでも気にかけなければならなかったことに尽きる。
編輯子の家系には、この手の人がわりと多く、銀行勤めであった叔父(父の弟)は、退職後鹿嶋に窯を構えて日々を作陶に暮らし、毎年オーストラリアに長期滞在して、かの地に作陶コミュニティーを作った。
彼らの父親、職業軍人であった私の祖父の場合は、典型的な晴耕雨読で、職を辞してから近隣の農家に畑を借りて野菜を作り、日々謡いを唸り、酒を愛した。
内孫であった編輯子は、幼い頃よく自転車の荷台に乗せられて畑に連れて行かれ、農作業をする祖父の脇で遊んでいた。
ただ、畑でできた野菜のとんでもなく不味いジュース、今で云う青汁のようなものを度々呑まされ、これには閉口した記憶が残る。
彼らは、退職前に綿密に計画を立て、それを実行した。
良き時代の良き隠居生活だと思う。
使命を持った
隠れ居士
しかし、我々の世代はこういう訳にはいくまい。
好むと好まざるに拘わらず、ギリギリまで働きに働かなければ、暮らしていけない時代になってきた。
政府が〝一億総活躍時代〟なぞとタコ部屋の親玉みたいなことを宣う。
であるならば、我々も意識を変えていこうではないか、
ある一定の年齢を境にして、仕事や生き方に対するスタンスを変化させてみる。
基本的には己の生活のためではあり、仕事の内容が同じであるとしても、また仕事以外のことでも、意識を次世代への継承へとシフトする_これを「隠居」と呼びたい。
「伝統」とは、前世代から受け継ぎ、次世代へと伝えるものである。
この責を負うのは「隠居」の役割であろう。
社会の主役ではないが客人(まろうど)でもない、
重要なバイブレイヤーを演じることが「隠居」の使命と考える。
そして「隠居」にふさわしい衣服こそ〝きもの〟なのであると声をあげてみた。