美丈夫

健やかに美しく生き
ポックリ逝く
健やかに美しく生き
ポックリ逝く
朝、
気がついてみたら
息がとまっていた

大辞林に〝美丈夫(びじょうふ)〟とは「美しく立派な男」とある。
本来比較的若い男性に使う言葉と承知しているが、我が「麻布御簞笥町倶樂部」では我々親爺のための言葉としたい。
この場合の〝美しさ〟とは、見た目の美しさではない。
美丈夫のコンセプトは、次の〝池波正太郎〟の言葉に集約される。
大往生
夜、いつものように寝て、
朝、気がついてみたら
息がとまっていた。
これが大往生で、
人間の理想はそれなんだ。
それがために、
健康に気をつけるんだ。
大往生を遂げるために。
池上正太郎『男の作法』/新潮文庫
理想的な大往生を
するために
—健やかで、できうることるなら立ち振舞いを美しく生き、その時が来たなら〝ポックリ逝く〟—
これが我々が目指す〝美丈夫隠居〟の理想である。
ただ長く生きることが寿ぐことと信じきっている人に、これを言ってもなかなか共感を得ることができない。
しかし、社会に何も遺さず貢献することもなく、ただただ毎日を生きることに何を見出すというのか、余りにも日々を無為に過ごす人が多くはあるまいか、その状態はまったく美しくない隠居の姿である。
清々しき〝生き姿〟とでもいおうか、頭のしっかりしているうちに、スッキリ逝くにはやはり健康が第一であり、ほんの少し、見苦しくない程度に見た目にも気を掛けたい。
そこは何より、きものを着て小ざっぱりと洒脱にいきたいものである。
