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和装礼賛

とにかく着るべし
素人らしく、通ぶらず

とにかく着るべし
素人らしく、通ぶらず

粋を語れば
野暮になる

2020年の東京五輪が決定してから、和装業界が妙に喧(かまびす)しい。
やれ「日本の伝統産業を世界にアピールできる絶好の機会だ」だの「きものの素晴らしさを世界に発信」云々_三年後のわずか1ヶ月のイベントで好転するほど和装業界の現状は楽観的ではない。

今現在、我々ができること、それは御託を並べる前に〈とにかくきものを着るべし!〉ひとりでも多くの人が、きものを着て街を歩く、このことに尽きる。

外国の人々に〝きもの〟の素晴らしさをどのようにプレゼンテーションしようが、街中できもの姿の日本人を見かけなければ、説得力がないではないか。
和装の普及を議論する政府関係者や知識人と呼ばれる人がスーツ姿であることの違和感、もどかしさは何であろう。

きものとは衣服なのだ。
着るものは着姿を見せて初めてその良さがわかる。

一瞬の夏にスポットを当てるのではなく。
それまでにいかに、きもの/和装を復権させるかにシフトするべきである。

そして外国の人に聞かれた時のために「どこで誰がどのようにして作っているかを知っておこう」

親爺たちよ、特に小金を持っているそこの貴方
浅田次郎の次の言葉を胸に、似合わぬ高級スーツを脱ぎ捨てて、きものを着なさい。

和装回帰
浅田次郎

地球の重力に抗しえず垂れ下がり始めた顔も、きっぱりとしたハゲも、スーツ姿とはやはり矛盾するのであるが、和服であれば特段の欠点とは思えぬ。
いやむしろ、引き締まった精悍な顔よりも、緩んだ顔のほうが着物には向いており、豊かな髪よりもハゲのほうが断然好ましい。

-中略-

ブヨブヨの体に、これまた着物が似合っちまうのである。
なおかつ、ラクチンこのうえない。

すっかり窮屈になったスーツの着心地に比べたら、その気になれば空も飛べるんじゃないかと思うくらいの開放感がある。
女性の場合はむしろ逆かもしれぬが、男の着物はローライズと決まっているので、下腹に締めた帯の上にタプタプの腹をのっければよく、会食の際など何ひとつ苦痛を感じない。

また、夏は思いのほか涼しく、冬はすこぶる暖かい、というのも着物の特製であろう。
考えてみれば当然なのである。
長い歴史を経て日本の風土に最も合う形に完成した着物が着心地の悪かろうはずない。

それにひきかえ、私たちが洋服を着るようになってから、せいぜい百年とちょっとしか経っていないのである。

つまり私たち日本人は、風土適性を犠牲にして機能性を優先させた結果、洋服を着るようになったのであって、その行動力をさほど必要としない年齢に至れば、着物に回帰するほうが理に適っていると言えよう。

以上、浅田次郎『パリわずらい 江戸わずらい/和装回帰』(小学館刊)より抜粋