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麻布御簞笥町
倶樂部
由縁

幼き片岡千恵蔵が
駆け抜けた街

幼き片岡千恵蔵が
駆け抜けた街

童子 千恵蔵の庭

江戸時代、幕府は所有する武器を〝御箪笥〟と呼んだ。

その御箪笥を、いざという時のために整備し監理するは御箪笥奉行という役職の御家人が相務めた。

御簞笥奉行とその配下に拝領された地が「御箪笥町」と呼ばれ
江戸市中の下谷(現台東区根岸)・牛込(新宿区・牛込神楽坂駅近辺)・四谷(新宿区)と麻布(港区六本木一丁目)の四カ所にあった。

弊誌のコンセプトが〈きものは親爺の武器である〉ならば、
江戸幕府に倣い武器(=きもの)は御箪笥
きものを仕舞うも箪笥
編輯子が棲まうは麻布六本木ときて「麻布御簞笥町倶樂部」と相成った。

往年の時代劇の大スタア〝片岡千恵蔵〟は幼少期を、ここ御箪笥町で過ごしている。
近所の子供たちと「チャンバラごっこ」で大立ち廻りをしながら走り回る千恵蔵の姿が目に浮かぶようである。

※麻布御箪笥町名の由来(港区公式ホームページ「麻布地区の旧地名由来」より)
寛永(かんえい)8年(1631)、幕府にはじめて御箪笥奉行がおかれ、所属の同心が屋敷を設け町人を置くようになり御箪笥町となった。山本与九郎の組10人、加藤伝兵衛の組10人の合計20人が箪笥組同心に召し出され、同10年3月に屋敷を拝領した。

明治維新直後、御箪笥町の御の字が除かれ箪笥町となり、明治2年(1869)に麻布谷町(あざぶたにまち)に合併されて、その後分離独立し麻布箪笥町となった。現在の地名は六本木一丁目

永井荷風の棲家
麻布『偏奇館』

また、永井荷風の『濹東綺譚』で、荷風自身とみられる主人公大江匡(58歳)が向島玉の井〝お雪(26歳)〟のところから帰る道すがら職務質問されて

巡査「住所は」
大江「麻布区御箪笥町1丁目6番地」
巡査「職業は」
大江「何もしていません」

というやりとりの件がある。
物語執筆当時、荷風の実際の住まい「偏奇館」は、御箪笥町に隣接する麻布市兵衛町一丁目(現港区六本木一丁目)にあった。
こちらの町名は市兵衛という地主の名前に由来し、町内には岡場所もあったという。

偏奇館は住友邸(現在は泉屋美術館と泉ガーデンを含む一帯/泉屋{せんおく}は住友の屋号のひとつ)に隣接して建っていた。
今は「泉ガーデン」の裏手に「永井荷風『偏奇館』跡」というプレートが残っている。

※麻布御箪笥町の町域
六本木から溜池に向かう六本木通りの斜面沿いの谷を中心にした町。
現在の六本木一丁目の一部、六本木二丁目の一部、六本木三丁目の一部で構成される。