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アリス&横山みゆきと荒井由実

昭和歌謡_其の八十一

晩夏…、ゆく夏を惜しんで

終止符
アリス&横山みゆき

晩夏(ひとりの季節)
荒井由実

怪現象のごとく

昭和時代の文化がどうの、昭和世代の息吹はどうの、ほざいてみるものの、オハズカシイ話、当ネットマガジンの主宰者・秋山さんからご教授願うまでは、日本古来、伝承的な四季の気候に因む「二十四節気」について、とんと無学でございました。
「二十四節気」では、季節は【処暑】を過ぎ、今回のコラムの公開は【白露】になるのでしょう。

【処暑】というには、ここ数日、真夏の猛暑がぶり返したがごとく、東京も、わが住まいのある上州は高崎も、昼間の気温は35度を突破する勢いです。

それでも介護13年目のお袋が独居する、都内江東区は東雲という、地名だけはある種の情緒を匂わせつつ、その実、お袋いわく「たそがれ部落」のネーミング通りの、……あまり大きな声で実態を口にできない、まぁ、〝そういう〟界隈の蝉しぐれが、「昨日の朝、みごとにピタリと消えたのよ!!」と、【処暑】の翌日、まるで怪現象が起きた風な顔つきで語ったのですから、蝉の一生は、われわれのご先祖様同様、「二十四節気」に沿わせているのでしょう。

と、……ここまでの、コラムの〝前書き〟を書いたものの、他の諸々の野暮用に追われ、原稿の続きをホカしたまま、カレンダーが9月に切り替わった途端、

いやぁ、参りましたねぇ。それこそ〝怪現象〟のごとく関東エリアの気温が、一気にグググ~ンと下がっちまった。

前々日、日中の気温は〝前書き〟同様に35度、夜中も熱帯夜だったのに、9月1日の朝の気温は17度!! リビングのエアコンのリモコンを掴みながら、冗談抜きに、設定表示を【冷房】から【暖房】へ、本気で切り替えたくなったほどです。

おそらく、肌がまだ「20度以下の気温」に慣れていないだけのこと、……でしょうが、今年の秋は、メチャメチャ淋しさを感じるほど、下界の〝空気〟にきちんと残暑の気配をまとわさぬまま、まさに「二十四節気」の【白露】の謂われ通り、「夜中に大気が冷え、草花や木に朝露が宿りはじめる頃」に突入しました。

晩夏になると

毎年、私は、カレンダーが9月に変わってから「彼岸が訪れる」ぐらいまでの時期になると、決まって鼻歌で口ずさみたくなる歌謡曲があります。それも2曲。

♪~左ききのあなたの手紙
右手でなぞって真似てみる
いくら書いても埋めつくせない
白紙の行がそこにある

友情なんて呼べるほど
綺麗事で済むような
男と女じゃないことなど
うすうす感じていたけれど

あの夏の日がなかったら
楽しい日々が続いたのに
今年の秋はいつもの秋より
長くなりそうな そんな気がして~♪

 まずは、アリスが唄ってヒットさせた『秋止符』(1979年12月20日発売/作詞&作曲:谷村新司)です。

この楽曲、当時、TBS系列の人気ドラマだった、武田鉄矢主演「3年B組金八先生」の第1シリーズ、……の中でも超話題になった、『十五歳の母』の回で、頻繁に流れたBGMでした。

さまざまな家族背景や状況が絡み合い、まだ中学3年生の鶴見辰吾と杉田かおるが、それも、いわゆる不良生徒じゃない、れっきとした優等生の2人が、〝ヤッちゃう〟んですね。結果、杉田が妊娠してしまう。当然ながら、学校の教師も両家の親も、トンデモナク動揺し、連日連夜、〝大人たち〟が侃々諤々、喧々囂々、口角泡を飛ばしての大騒動。その渦中で、杉田も鶴見も真っ当に悩みつつ、杉田の「せっかく宿った命を、私は母親として大事に育てたい!!」と宣言し、鶴見も考えに考えぬいた末、「僕も父親として、お腹の子供を育てていく」と誓います。

〝そんな〟展開のストーリーの要所要所で、アリスと共作で『秋止符』を発売した、横山みゆきの歌唱する、 ♪~左ききのあなた手紙~♪ が流れるのです。
谷村新司がお得意とする、いかにも哀愁を帯びて〝ウエット〟な歌詞&メロディが、思春期真っ盛り、高校2年生(17歳)だった私の胸中に、かなり深く刻まれました。

当時、当たり前に童貞だった私は、特に ♪~あの夏の日がなかったら~♪ の部分に、異常なほど、ときめいてしまったんですね。【あの】夏の日に、一体、楽曲の主人公は何をしたのだろう? そんなの、決まってるじゃないですか。だって、「金八先生」の生徒の2人が、15歳だてらに【それ】をしたからこそ、妊娠してしまった!! わけですからね。

というようなことを、さまざま想像、妄想するのに、『秋止符』は必要十分な題材でした。加えて、決して上手ではない横山みゆきの歌声が、切なく、気だるく、私の劣情に絡みついて来るのです。

『秋止符』が、元々、アリスのシングル曲だと知ったのは、少し經った頃でした。TVの何かの歌謡番組で、髭ヅラの堀内孝雄が、〝あの〟顔と声で ♪~あの夏の……~♪ と唄うのを見聴きし、瞬時に興ざめしたのを、今でもハッキリ覚えています。

もう1曲は、当コラムでは初めて登場しましょうか? ユーミンこと松任谷由実が、まだ荒井由実を名乗っていた頃の名曲、『晩夏(一人の季節)』(昭和51年11月20日発売/作詞&作曲:荒井由実/プロデュース:松任谷正隆)という楽曲です。シングルカットはされず、デビュー4枚めのアルバム『14番目の月』の収録曲になります。

♪~ゆく夏に 名残る暑さは 夕焼けを
吸って燃え立つ 葉鶏頭
秋風の 心細さは コスモス
何もかも 捨てたい恋があったのに
不安な夢があったのに
いつかしら 時のどこかへ置き去り

空色は水色に 茜は紅に
やがて来る淋しい季節が 恋人なの~♪

なんとも田園的情景描写に彩られた、季節感あふれる歌詞ですね。特に唄い出しの部分。【ゆく夏に 名残る暑さは 夕焼けを 吸って燃え立つ 葉鶏頭】……。

一度聴くと、この印象的な日本語の、あまりに見事すぎる五七調の〝並び〟と、この歌詞に憎らしいほど〝寄り添う〟メロディの1音1音が、何故か、無意識のうちにスーッと、私の自意識に入り込み、すっかり居座ってしまいました。

「現代詩」の秀作として、高校の現代国語の教科書に載せても、おかしくない!! ぐらいのクオリティの高さがありましょう。

私は決してユーミンの楽曲に惚れ込むタイプじゃありませんし、むしろ彼女の声質の悪さは、〝引っかかる〟ことの方が多いのですが、――でも〝これ〟だけは、他の歌手のカバーではなく、ユーミン自身の声で聴きたくなるのですから、不思議です。

おまけに、今まで誰にも話していないことを打ち明けますが、私は9月初旬、つまり、この原稿を書いている、まさにリアルタイムの季節ですが、〝これ〟を口ずさむと、急に胸の奥がじんわりと熱くなり、涙ぐみそうな心持ちになるのです。

今も、そうです。この原稿を書きながら、you-tubeにアップされているユーミンの歌声に合わせて、私も鼻歌を口ずさむと、おのずと泣けてきます。

大好きな昭和歌謡は、そりゃもう、膨大な数ありますけれど、こんな「パブロフの犬」みたいな、梅干しを想起すると唾が出るがことく、の楽曲は、他に思いつきませんね。

荒井由実の頃の作品の中で、『晩夏(ひとりの季節)』は、際立って異色な楽曲だと、私は勝手にそう感じています。

生家が八王子の老舗呉服店という、根っからのお嬢様で、かつ、幼い頃から才気煥発!! 糞生意気にも中学在学時に、メチャ抜きん出た〝トッポイ〟連中以外、出入りが許されない、カルチャー系遊び人の溜まり場「キャンティ」(六本木にあるイタリアンレストラン)の常連だった、……という彼女の、21歳の時の作品。

すでにシングル曲の『ルージュの伝言』(昭和50年2月20日発売)やら『あの日にかえりたい』(昭和50年10月5日発売)のヒットで、センシティブな女の子の心情を「リアルに歌い上げる!!」、新進女性歌手〝ユーミン〟の出現は、音楽業界のみならず、全国のお茶の間の老若男女にも浸透しつつあった頃でしょう。

〝その〟ユーミンが書いたんだ、と思って、歌詞を眺めると、どうです? ちょっと、いや〝かなり〟違いません?

あくまで私的な分析ですが、『晩夏(一人の季節)』が収録されたアルバム『14番目の月』は、ユーミンの亭主であり、生涯の音楽パートナーと言いますか、彼女の〝唯一〟のプロデューサー、松任谷正隆との〝初仕事〟なんですね。

アルバム発売の9日後、ユーミンは松任谷さんと、横浜山手教会にて結婚式を挙げている!! ……という事実と重ね合わせると、愛しいダーリンとの出会いが、彼女の〝新しい才能〟を掘り起こした、といえるかも? あくまで「かも?」ですが、私はそう感じるのですがね。

私がこの楽曲を初めて聴いたのは、ドラマの主題歌として、でした。

当時、14歳だった私は、NHKが毎週月曜~金曜の夜、21時40分から20分間、放映する『銀河テレビ小説』というドラマ枠を観るのが、大の楽しみでした。これは長くなるから書きませんが、中学時代の〝この〟ドラマ鑑賞の習慣が、のちに「自分でも脚本を書きたい!!」というモチベーションにつながるのですがね。

昭和51年の9月に「ふるさとシリーズ」と銘打ち、幾つかの作品が放映されまして、シリーズを通しての主題歌が『晩夏(ひとりの季節)』だったのです。

その1つに、市川森一が脚本を書いた『幻のぶどう園』がありました。主演が尾藤イサオ。その父親役を、名優・花沢徳衛が演じていましたっけ。

田舎臭い、生家の「ぶどう園」経営などに嫌気をさした尾藤イサオは、「俺は東京に出て、歌手として一旗揚げる!!」と意気込んで、単身、上京したものの、現実の厳しさ、都会に住まう連中の冷たさに負けて、すっかり生活が〝やさぐれて〟行きます。でも父親への手紙では、「超人気のある歌手になっている」とかなんとか、大嘘をコキ続けるわけですね。

そんな〝事実〟を知らぬ花沢徳衛は、長年の果実農家の疲労から体を壊し、思い切ってぶどう園を手放し、さぞや「売れているはず!!」の息子を頼って、上京して来る……。市川森一は、この手の、青春時代の〝切ない痛み〟を描かせると、天下一品です。個人的には山田太一や倉本聰よりも、腕は上だと思います。

父親の突然の上京に、さぁ困った尾藤イサオは、知り合いのライブハウスのマスターに、必死に頼み込み、頭を下げ、「ひと晩だけ、俺の単独ライブをやらせて欲しい!!」と……。まぁ、そんなストーリーです。

この時、劇中で尾藤イサオが、いやぁもう、〝あっぱれ〟としか言いようのない、「あしたのジョー」の主題歌を唄い上げた〝あの〟喉を、「お見事!!」な歌声を、視聴者に披露してくれるのですが、その楽曲が『ダスティン・ホフマンになれなかったよ』です。

……と書いて、ピンと来られる方は、相当な歌謡曲フリークでしょうね。そうです、知る人ぞ知る、大塚博堂が作詞作曲し、みずから歌唱した楽曲のカバーです。

大塚は、プロ受けする楽曲ばかり創り続け、ほぼ一般の皆さんに知られることなく、37歳で早逝します。

この続き、次回に回しましょう。大塚博堂の音楽の魅力について、稿を改めて、次回、たっぷり語らせていただきます。

 

勝沼紳一 Shinichi Katsunuma

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