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小林旭

昭和歌謡_其の四十六

「早口言葉」歌謡曲(番外編)

小林旭の『自動車ショー歌』&『恋の山手線』

前回、前々回の2回のコラムで、歌謡曲の歌詞をコミックソング的に〝面白おかしく〟いじり、古典落語の「言い立て」のごとく、さまざまな品物の名称を、韻を踏みながら多数並べ上げておいて……、それをメロディに乗せ、歌手に「早口」で唄わせるタイプのヒット曲を、紹介させていただきました。

前編・後編で終わりにするつもりだったのですが、アントニオ古賀が歌唱した『クスリ・ルンバ』の歌詞が、「市販薬の名称の、ただの羅列」に過ぎないという、あまりに芸のないシロモノであることに、今更ながら呆れてしまいましてね。

「だったらなんで、俺のヒット曲を取り上げねぇんだよ?」

と、一面識もないはずのマイトガイの兄貴!! 小林旭から、思いっきりドヤサレたような、奇妙な妄想に囚われました。

そうでした、そうでした。古典落語の「言い立て」風の歌謡曲として、『クスリ・ルンバ』などという、しょせんキワモノに走る前に、まっとうな感覚として、真っ先に取り上げなきゃならない楽曲を、小林旭は2曲も大ヒットさせているのでした。

今回は〝番外編〟として、改めてご紹介させていただきます。

まずは、皆さん、よくご存知のナンバー!! その歌詞を載せておきましょう。

自動車ショー歌

♪~あの娘をペットにしたくって ニッサンするのはパッカード
 骨のずいまでシボレーで あとで肘鉄(ひじてつ)クラウンさ
 ジャガジャガのむのも フォドフォドに
 ここらで一発シトロエン
 ベンツにグロリア ねころんで ベレットするなよ ヒルマンから
 それでは試験にクライスラー 鐘が鳴る鳴るリンカーンと
 ワーゲンうちだよ 色恋を
 忘れて勉強をセドリック~♪

 

この『アキラの自動車ショー歌』のシングルレコードが発売されたのが、昭和39年10月15日。……といえば、東京オリンピックの開催の真っ最中ですね。西欧で生まれたオリンピックを、日本の中心地、東京で開くことは、敗戦国であるニッポンの悲願!!

戦後のドサクサを乗り越え、「もはや戦後ではない」という時代を経て、ようやく、まっとうな経済国家として、イケイケドンドン、欧米に肩を並べるところまで〝復興〟したということでしょうか。「そろそろ自家用車を買っちゃおうかしら~?」なんて心理が、どのくらいの数かは判りませんけれど、国民の中に、そんな気持ちの余裕が生まれた……その状況下で、この楽曲は大ヒットしました。

まぁ、実際には「自家用車なんて、夢のまた夢」だったにせよ、歌詞に登場する外国車、国産車の名前を覚えるだけでも、楽しかった時代でしょう。

私は当時、2歳でしたけれど、幼少時代の記憶として、巷のあちこちで、このメロディが流れていて、ごく自然な感覚、それこそ「早口言葉」を覚える要領で、鼻歌まじりに唄っていましたよ。

特に好きな歌詞は、2番に出てくる次のフレーズです。

♪~オペルオペルは もうお止(よ)し
  あんまりコルトじゃ 身が持たぬ~♪

いまだに意味不明、「何のこっちゃ?」のチンプンカンプンですけれど、言葉の配置のセンスの妙と言いますかね、語呂が良いんで、つい判った気になっちゃうんですね。このあたりが、この種の「早口言葉」歌謡のクリエーターの腕の見せどころでしょう。

作詞が、演歌の大御所、美空ひばりの『悲しい酒』や北島三郎の『風雪ながれ旅』を書いた、大ヒットメーカー・星野哲郎大先生であることに、たまげてしまいます。これで作曲が船村徹と来りゃあ、それこそ〝演歌の花道〟のメインストームになりますけれど、そうは問屋が卸さなくて、『自動車ショー歌』の作曲は、叶弦大です。星野大先生とのコンビで、『昔の名前で出ています』(1975年1月25日発売/作詞:星野哲郎)も書いています。

旭は、あの風貌と体格からは想像もつきませんが、仕事に関しては、意外なほど「来るものは拒まず」なんですね。映画に関しても、結構トンデモナイ筋書きの作品に主演していますし、歌手としても、大スターであれば普通は嫌がるだろうという、キワモノ風の楽曲(『ダイナマイトが百五十屯』(昭和33年11月発売/作詞:関沢新一/作曲:船村徹)や、コミックソングを「けっこう好んで」唄っています。

これには〝ちゃんとした〟理由もありまして……、

彼は、まだ高校在学中の昭和30年に、映画会社・日活の「第3期ニューフェイス』に合格し、翌年の10月に『飢える魂』で映画デビューを果たしましたが、扱いはずっと〝大部屋〟俳優のままであり、昭和34年に『ギターを持った渡り鳥』で主演を飾るまで、

「(同じ大部屋俳優同士で)役を奪い合って、お互いが足を引っ張り合う、醜い勢力争いの毎日だったよ。幸い、親からもらった丈夫な体があったから、俺は誰にも喧嘩じゃあ負けなかった(笑)」
だったそうな。

4つ年上の石原裕次郎が、まるっきり〝別格〟扱いで、苦労の【く】の字も知らず、昭和31年5月に『太陽の季節』で颯爽とデビューし、一夜にして大スターに化けた……のとは雲泥の差。同じ映画界に生まれながら、「住む世界が違った」わけですね。

ハングリー精神を骨の髄まで叩き込まれた旭は、晴れてスターになって以降も、仕事をもらえる有り難みを決して忘れず、どんな作品であれ、〝面白がって〟チャレンジして来たのでしょう。

恋の山手線

『自動車ショー歌』とならび、昭和歌謡史に残る、大ヒットしたコミックソングといえば『恋の山手線』(昭和39年3月発売/作詞:小島貞二/作曲:浜口庫之助)ですね。当時の国鉄(現在のJR)山手線の駅名を、歌詞の間にうまく織り交ぜた楽曲ですが、こちらはオリジナルではなく、人気落語家・四代目柳亭痴楽の、同名の演目『恋の山手線』のオマージュとも言うべき作品です。

♪~上野オフィスのかわいい娘(こ) 声は鶯(うぐいす)谷わたり
  日暮里笑ったあのえくぼ 田端ないなァ好きだなァ
  駒込したことァ抜きにして グッと巣鴨がイカすなァ
       (中略)
  代々木泣くのはおよしなさい 原宿ならば食べなさい
  渋谷顔などいやですわ 顔は恵比寿にかぎります
  目黒の刺し身か天ぷらで あたし五反田いただくわ~♪

駄洒落のセンスが、格段に『自動車ショー歌』より劣る気がするのですが、皆さん、どう思われますかね? この手の楽曲は、昭和歌謡であれ、平成ポップスであれ、作詞を担当したクリエーターのセンスの良し悪しが、大きく作用します。

ちなみに『恋の山手線』の作詞を担当した小島貞二は、相撲取り(力士)出身の演芸&プロレス評論家という、ユニークな経歴の持ち主でして、本業の作詞家ではありません。

これは、あくまで私の想像ですが、小林旭にコミックソングを、それも、「柳亭痴楽の『恋の山手線』を、歌謡曲にアレンジさせたものを唄わせたい!!」と制作スタッフが思いついた時、歌詞については、既成の作詞家に頼むより、「落語家のことが詳しい人間に書かせた方が早いんじゃないか?」とかナントカ、そんな話になったのでは……ないでしょうか?

いずれにせよ、旭は昭和歌謡史に、コミックソングを2曲も大ヒットさせた歌手として、永久に記録されるわけです。『純子』(昭和46年10月25日発売/作詞&作曲:遠藤実)や『昔の名前で出ています』ほか、〝まっとうな〟演歌を数々、持ち歌にしながら、コミックソングにまで触手を伸ばすような、奇特な歌手は、小林旭の他には、……そう、吉幾三ぐらいなものです。

吉は、大ヒット曲『酒よ』や『海峡』ほか、味わい深い演歌の世界と、初期のコミックソング『俺は田舎のプレスリー』とのギャップが、あまりに激しいですが、いわば歌謡曲の【両刀遣い】の先輩として、小林旭がいたことを、今回、私も改めて気付かされました。

 

勝沼紳一 Shinichi Katsunuma

 

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