令和五年 冬至
風に吹かれて
風風吹け吹け
冬至に生誕
冬至_一年のうちで一番の夜長となり冬が極まるが、〈一陽来復〉太陽が蘇る初日でもある。
この冬至の一陽来復の思想が、キリストの誕生日12月25日クリスマスにも深く関わっているという。キリスト教界の中で長らくキリストの誕生日ははっきりしておらず、のちにローマ教会によって「冬至祭」の12月25日に定められた。定めた理由としては〈太陽の復活の日に救世主の誕生を重ね合わせた〉ということらしい。
人類は世界各地の古今東西で、すべからく季節と無縁ではいられない。
風が冷たくなった。
和装コートの襟を立て、手をかくし(ポケット)に入れて猫背で歩く。下を向き縮こまって歩きながら、この背中の曲線がこれ以上丸くなったら、それこそ爺さんだな、まずいぞと、急に背筋を伸ばしたら、膝と腰に電気が走った。途端、歩みがよたよたとなり、不覚にも爺さん化が進んでしまった。
風というのは、季節ごとに表情を違えると呼び名も変わる。
梅の香を運び春を呼ぶ「東風(こち)」が、桜を散らす強い風「春疾風(はるはやて)」となる。
初夏に若葉の香りを乗せて吹く「薫風(くんぷう)」が、南から吹く「南風(はえ)」となり、南風は梅雨の最中は黒南風、梅雨の強い風が荒南風、梅雨明けには白南風と呼ばれる。「青嵐(あおあらし)」は、若葉や青葉をそよがせて吹く夏の風。
西からの秋風の「西風(せいふう)」は、時に台風の「野分(のわき)」を招く。
冷たい北からの冬の季節風「北風」「凩・木枯らし」「空っ風」。山から吹き降りる「颪(おろし)」の寒風は冬を本格化させる。
英語の「wind」は〈体に感じる早い風〉で、暑気を払う涼風、すがすがしい清風など〈心地よい穏やかなそよ風〉は「blizzard」と表現するという。誰しも「blizzard」のそよ風に吹かれたいと思うが、海辺で強めの潮風に吹かれながら呑むビール、ごおごおと鳴る寒風の音を聞きながら炬燵で熱燗を舐めるのも捨てがたい。
中国では空高く舞う鳳凰の起こす空気の流れが「かぜ」と考えられ、「鳳」という字を当てたが、それがやがて簡素化されて「風」という字になった。ゆえに「虫」とは何の関連もない。
阿辻哲次の『部首のはなし2/中公新書』の「風/かぜがまえ」の頁に風にまつわる面白い話が載っていた。
秦の始皇帝や漢の武帝が、天を祀る霊山として崇めた「泰山」が中国山東省にある。土地の高官などは、しばしばこの山に参詣したという。泰山の中腹には道教の尼寺「斗母宮(とうぼきゅう)」があり、この寺を参拝者の高官たちは〈宿〉として使っていた。この尼寺の手前には「䖝二」と記された石碑がある。「䖝二」は「風月」の外側の辺を取ったもので、この場所の風景の素晴らしさを「風月無辺」(無辺とは際限がないという意味)と表したものとされる。と、ここまではふーんという程度のものであるが。実は隠された意味があるという。中国で風月は「風」と「月」の交わり、つまりは男女の夜の営みを意味し、尼寺「斗母宮」の尼は泊まった高官たちに濃厚な夜のサービスを提供し、それが「無辺」際限なく素晴らしいものだったという賛辞の石碑だという。古の中国は斯くも大らかであった。
風の色合い
風には実質的な空気の流れ以外の意味合いもある。
風習や風土といった、その土地の持つ気候や習慣、特徴など全般を指す使われ方がある。
躰を巡る「気」の流れも「風」と表現する。分かり易いのが、私が患っている「痛風」がそれである。「痛い気」が「風」となり躰を巡り流れている病気なのである。巷でよく言われる「風が吹いても痛い」は本来の意味ではない。しかし、実際の症状はそれに近いので、意味合いは遠からぬものである。
また、料理などの和風、洋風といった種類や傾向を示すものもある。
以前のコラム『道徳は風』で「我々の空間を包む空気(道徳や倫理観、親切心など)は時に澱み変質するが、その空気を醸し出したのが人ならば、澱みをまた澄ますことができるのは人であろう。道徳は、文化・気質というものを構成する大切な風土のひとつであり、その地域に流れる風である。」と書いたのも実質的な風とは異なる。
今般、政界に金銭に関する澱んだ空気が漂っている_今に始まった事ではないか。
以前、官房長官や外務大臣を務めた昭和の政治家(故人)の金庫番だったという人に、うちのオヤジの口癖は「汚い金でも綺麗に使えば報われる」だった、という話を聞いたことがある。入口が汚くとも出口が綺麗ならば、後ろ指さされ、表沙汰となり問題になることはない、とも。確かにそうであろうが、我々としては、できるだけ身綺麗であってほしいと願うのが正しかろう。
12月4日は、アフガニスタンで凶弾に倒れた〈中村哲医師〉の丸四年目の命日であった。北九州若松でゴンゾウ(沖仲仕)のために戦った『花と龍/火野葦平』の主人公・玉井金五郎と妻マンの孫で、医師でありながら、アフガニスタンで自らブルドーザーを操り治水・灌漑工事の先頭に立った人。「困っていたり苦しんでいたりする人を見ると放っておけず、彼らを助けるために体を張る自己犠牲的精神を持つ人。弱い者を助け、強い者をくじき、義のためには命を惜しまない人」まさに祖父同様に任侠の人であったと、これも以前のコラム『任侠の人』『任侠の人・三回忌』で記した。
頼むから〈中村哲〉とまでは言わないから、爪の先ほどの政治家はいないものか。
命日の4日、アフガニスタンでは、多くの現地人が中村医師の意志を継いで治水工事に従事し砂漠の緑地化が進みつつある、というニュースが流れていた。
中村哲の任侠の風はまだ止まぬ。
ボブ・ディラン『風に吹かれて』
どれだけの道を歩けばいいのだろう
一人の男として認められるまでに
どれだけの海を飛べばいいのだろう
白い鳩が砂浜で安らげるまでに
あとどれだけ放たれればいいのだろう
砲弾が永遠になくなるまでに
友よ、答えは、風のなかにある
答えは、風のなかにある
The answer, my friend, is blowing in the wind.
The answer is blowing in the wind.
編緝子_秋山徹