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令和七年 立夏

2025年5月5日 ~ 2025年5月20日

本物は無いッ

四半世紀

尻にぺったり

立夏_八十八夜が過ぎ暦は夏となった。端午の節句でもある。

五月五日端午の節句の供物は、関西の粽・関東の柏餅と言われるが、古里の九州では柏餅であったと記憶する。

もともとは五月に限らず月の端(はじめ)の午(うま)の日を端午と呼んだ。同様にその年の初めの午の日は初午(はつうま)で稲荷神社では祭祀がある。午の音が五(ご)に通ずるため、吉数の五が重なる五月五日を江戸幕府は五節句のひとつとして〝端午の節供〟と定めた。

以前、と言っても私が子供の頃までは、柏餅も粽も自分の家で作られていた。現在は和菓子屋かスーパーで買うようになった。スマホをいじるのに忙しく調理に時間をかける暇が無くなったということか、豊かになったのか貧相になったのかわからない。

芭蕉の句
粽結ふ かた手にはさむ 額髪
は、粽を笹の葉で包む娘の前髪が額に落ちて、その髪を片手でうなじの方にそっと流す。なかなか色気のある風情を詠んだものだ。浮世絵あたりにありそうである。流した髪をそっと抑えてあげたいなと、ついつい我が年齢を忘れる爺いかな。

端午の節句には菖蒲が菖蒲酒などにいろいろ使われるが、現在は菖蒲湯が一番馴染み深いだろう。
これを一茶は
湯上りの 尻にぺったり しょうぶかな
と詠んだ。
湯上りの若い娘さんの白い尻に緑の菖蒲の葉が付いているなら、色っぽいはなしだが、この場合は一茶自身の尻のようで、爺さんの尻にぺったり菖蒲の葉が張り付いている絵は想像したくない。

こんな馬鹿なことばかり考えていて、はや2025年、二十一世紀も四半世紀が過ぎようとしている。まさかこんなに長生きするとは思わなんだ。二年後には七〇歳〝古希〟である。馬齢を重ねて二進(にっち)も三進(さっち)もいかぬほど不埒に仕上がってしまった我が頭の出来はどうにもならぬ。

ミレニアム クルーズ

二十一世紀に突入したその年を思い出すと、やたらミレニアム〇〇〇という商品やグッズがあった。
ヴェスビオ火山の噴火も、ノストラダムスの地球終焉の予言も当たらず(もしかしたらジワジワと進行しているのかもしれぬが)。コンピュータの誤作動も起こらずに、無事、新世紀を迎えた。

私の2000年のトピックといえば、日本郵船の豪華客船クルーズ「ミレニアム・クルーズ」に二度乗船したことである。最初は一月に「飛鳥」で、二度目は十一月に「にっぽん丸」、どちらも世界一周クルーズの最終目的地、初回は台湾、二度目は香港から神戸・晴海までの四泊五日の乗船である。当然の如く自腹ではない。半分は仕事である。

このコラムに何度か書いたが、この頃私は、編集の仕事だけでは喰えずに、イタリアはフィレンツェの免税店の日本事務所を兼務していた。日本事務所の使命は大手旅行会社への営業と付き合いである。このミレニアムクルーズも某大手旅行会社から半強制的に買わされたものだ。当然、旅行代金はイタリアの会社から直接旅行会社に振り込まれる。

クルーズ船への乗船は、二日間の台湾もしくは中国観光を終えてからになる。

二度目のクルーズの時である。

その日成田に集合したのは、欧米の免税店の日本事務所や現地スタッフ、各航空会社の営業担当の約五十名であった。四時間半のフライトで中国・広州空港に到着し、大型バス二台に分乗して、最初の目的地「桂林」に向かった。桂林では「漓江(りこう)の川下り」を体験する。漓江川下りは、桂林市内の竹江埠頭から 陽朔(ようさく)までの83kmを約四時間かけて観光船で航行する。

漓江は南嶺山脈の最高峯猫児山に源を発し、桂林の市街地を流れ珠江に合流する全長426kmの川であるが、特に桂林から陽朔までの船旅は国際的な人気を集める。
まさに古の悠久の地、水墨画の世界を旅する中国を代表する観光コースである。川の両岸には奇石と呼ばれる切り立った岩山が連なる。山があり、なだらかな丘陵地帯があって平野があるという他の山々とは違う。川があり岸から平坦な野が並び、すぐそのとなりに突如として切り立つ峨峨(がが)なる岩山がそびえ立つ。野には少数民族の村落が垣間見える。この景色が延々と続くのである。

航行途中に昼食となる。勝手知ったる競合相手の欧米各地の日本事務所の人間たちと、景色そっちのけで白酒(ぱいちゅう)で酒盛りとなった。皆ほろ酔いで陽朔にて下船した。

埠頭からバス乗り場までは少し距離がある。この間に物売りたちが寄ってくる。売り物は様々である。おじさんの物売りは、でかい扇子をひと抱え持っている。日本の街中華屋などの壁に飾られている、長さが50〜60cmくらいで広げると幅が1mくらいになるやつである。「一本千円でいいよ。安いよ、安いよ」とバスに乗るまでしつこく着いてくる。バスに近づくに連れどんどん値段が安くなっていく。「二本で千円、安いよ、安いよ」さらに「三本で千円、安いよ、安いよ」。バスに乗ってからも窓越しに叫ぶ「四本で千円、安いよ、安いよ」。荷物にはなるは、飾る場所もないわで誰も買わないが、「しかし、千円というのは変わらんな」「四本千円って原価いくらだ」と皆不思議に思った。

おばさんの物売りは、蝶々のブローチを売る。1シートに10個が付いていてそれが3シートで一パック、計30個である。ブローチと言っても、安っぽく彩色されたアルミの蝶の胴体に脚と羽の付け根がバネで出来ており、ビロンビロンと揺れるのが面白いといえば面白いチープな作りであった。これも「1袋千円、安いよ、安いよ」とおばさん。やはりバスに近づくと「二袋千円、安いよ、安いよ」となり、最終的には「四袋千円、安いよ、安いよ」となった。ここでも千円は変わらず商品の数が増える。これはナポリのカメオ店の日本事務所の知人が買った。「120個もどうするの」と私、「千円だもの、娘にお土産」と赤ら顔の酔っ払いの彼。

これには後日談がある。クルーズから帰国して二週間ほどして蝶々ブローチの彼から電話があった。「あのブローチ買ってないよね」「買ってないよ」「あの時他に誰か買ってないかな」「分かんないけど、どうしたの」「実はさ、たくさんあるから小学生の娘が学校で配ったら、同じ学年の女の子の間で大ヒットしちゃって、あのブローチを衿元につけるのが大流行、他の学年の子なんかも欲しがって、足りなくなっちゃったんだよね」「そりゃすごい。他の連中に聞いてみるね」「お願い」。結局知り合いの連中の中には買った人間がいなくて、蝶々ブローチは娘さんの1学年の流行で終わったらしい。

陽朔の埠頭からバスが出る時、一同が後悔した場面があった。物売りの中には赤い花を抱えて売っていた小学生くらいの年齢の少女がいた。可愛いなとは思ったものの、生花を買っても持て余すだけなので誰も買わなかった。ところがバスが駐車場を出ようとしたその時、さっきまでニコニコして蝶々ブローチを売っていたおばさんが、鬼のような形相で、花を一本も売ることができなかった少女の頬を思いっきりビンタしているのを見た。ああ、そんなことならたくさん買ってあげればよかったと、みんなが後悔したのも後の祭りである。その後のバスの車内の空気は昏かった。桂林の心に残る思い出は、奇石と女の子の受けたビンタである。

バスは次に広東省に入った。こちらは博物館(名前は失念した)見学である。一通り美術品を見た後に、今まで見た美術品のレプリカが売られているスペースへ、その先は、だだっ広い土産物売り場へと続いていた。中国の特産品などが売られるその一角にモダンな内装の売り場があった。ショーケースの後ろに立つ店員のそのまた後ろの棚には、なんと欧米の高級ブランド品が所狭しと並んでいる。ルイ・ヴィトン、エルメス、フェンディ、グッチ、フェラガモ等々である。ショーケースには財布等々の小物も揃う。

早速、パリの免税店事務所の人間がヴィトンのバッグを手に取る。「これ最新モデルだけど、あれっ」と彼、店員に「これ本物?」、店員「偽物ッ」と胸を張る。「本物は?」「本物は無いッ」とまたまた胸を張る。次々にミラノ、フィレンツェの免税店の人間が、グッチ、フェラガモなどのバッグを手に取る。そして同じやりとりが「本物は?」「本物は無いッ」、良く見ると出来の良いものは高い棚にあり店員が取る。良くない出来のものは低い棚にあり客がすぐ手に取ることができる。「おすすめは?」「今日入ったばかりのものがある」とブルガリのバッグをどうだとばかりに出した。「本物?」「だからッ、本物は無いッ」ややキレ気味である。ヨーロッパの店の連中は、財布などの小物を中心にかなりの種類を買った。偽物のサンプルとして現地の店に送るためである。相当な売り上げとなったので店員はニコニコと上機嫌になった。
私たちはその売り場から出るときに、予定調和の掛け合いで再度彼女に訊いた「本物は?」「本物は無いッ」。

この後香港に着き、ホテルで一泊して翌日夕刻に客船に乗り込み香港を後にした。

あれから四半世紀が経ち、幼子を含めた物売りがいた桂林、国立博物館でヨーロッパの高級ブランドの偽物を堂々と売っていた広東省の美術館は大きく様変わりした、と再度旅行したあの時の同行者が言っていた。今や日本の製品、そしてマンション・土地・建物までも買い漁る中国。日本の政治家が媚び諂い、アメリカが大きな脅威と感じる中国。たかだか25年でこの急激な変化はどうだろう。

立場が代わり、中国人観光客の乗るバスに向かって、「千円、安いよ、安いよ」と物売りする羽目にならぬよう、我々は次の四半世紀を過ごさなければならない。

編緝子_秋山徹